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わたし-1
誰かといるときほど孤独を感じる
これは普段の私が雑魚めすOLを
生み出す前から感じてたこと。
家族、親友、恋人
どんなに近しくて大切にしたいと願う
人たちといたとしても所詮は他人。
そう感じてしまう私は欠陥品です。
今まで誰にも吐き出したことがなかった
気持ちをここに残します。
多分これは雑魚めすOLがなぜ生まれ、
彼女が何をしたいのかという本質にも
繋がる気がするから。
少し長くなるかもしれないけど…
お付き合い下さい。
田舎にある私の家は「世間体」を
とにかく気にする家でした。
私は親に褒めてもらいたくて
幼少期は必死に生きていた気がします。
端から見れば裕福で素敵な家庭。
恵まれた子供。それが私でした。
当時の私もそう信じてました。
でも蓋をあければそんなこと無かった。
それに気がついたのは私が高校生のとき。
その当時から父と母の喧嘩は絶えず
夜になると毎日怒鳴り声。
喧嘩の終わりに近づくと
「パンッ、パンパンパンッ」と
母親が自傷行為で自分を叩く音が家中に響く。
子供たちは毎日、逃げるように
布団に潜り、眠りにつく。
私も姉や弟と同じようにそうして
眠りについてました。
母は小さな会社の長女として生まれた。
父はその会社の社長(私の祖父)に
世話になったこともありお見合いし結婚。
当時は3人の子供をこの世に産み出し
幸せな生活を送っていたのだろう。
でも母はとても幼稚な人、
そして父は男としての責任を重んじる人。
そんな2人はいつしかすれ違い
父は男は家庭を守るという重圧に
耐えきれず、職場の数個年上の上司と浮気。
この浮気は少なくとも5年以上続いていた。
母はずっと一人でこの事を抱えていたらしい。
毎日続く喧嘩にいつしか私の夢は
こんな家を1日でも早く出ることでした。
家庭としては崩壊していたと思います。
母もとっくに限界を越えていたんですよね。
ある日、私が塾から帰宅すると
とても怖い顔をした母親が玄関にいました。
私が帰宅するなり「これを見て」と
書類を渡されました。
今でも覚えてるオレンジ色の封筒。
その中には母親が興信所に依頼し
集めた父親の浮気の証拠でした。
今でもなぜ母が私にそれを見せたのか
わかりません。母は生きてますが、
真意を聞けたこともないです。
でも家に既にいた姉でも弟でもなく
私にだけそれを見せました。
それを見た私に沸き上がった感情は
悲しみでも動揺でもなく「怒り」でした。
母親に対して初めて最大限の
怒りの感情をぶつけました。
「なぜ子供にこんなものを見せる」
「私の気持ちは無視?」
「気持ち悪い」
あまりこの時の記憶はないけど
この様な言葉を吐き捨てた記憶があります。
その時の母親の顔は覚えてません。
いやもしかしたら思い出したくないのかも。
そして悲劇はそれだけでは済みませんでした。
その夜、母は父に対し興信所の
結果を叩きつけ、いつものように喧嘩。
「パンッパンパンパンッ」という音も
いつも通り。私は耳を塞ぎ眠る。
これもいつも通りでした。
しかしその夜、母は脳梗塞で倒れました。
倒れた結果、母は今も右半身に麻痺が
残っています。
これをきっかけに父は不倫相手と別れ
母を一生面倒みることを誓い、今生きています。
家族は母が倒れた原因は父親との
関係のストレス故、と言います。
それは私と母の出来事を知らないから。
私はずっと自分のせいで母親が
倒れたと思ってます。
今でも後悔しか残っていません。
なぜあの時彼女を受け入れる事が
出来なかったんだろう。
せめて優しい言葉をかけ、寄り添うことが
出来なかったのか。
自分を生んでくれた母親を見捨てるような
ことをした私は最低。
そんな薄情な自分は人から大切に
されるわけがないし、そんな資格もない。
そして私は自分も信用できなければ
他人も信用することができません。
中二病みたいな考え方ですが
これが私という存在です。
一人でいたいのに一人は寂しい
人を大切にしたいのに突き放してしまう
人を信用したいのに疑ってしまう
こんな欠陥品、嫌になるし本当に気持ち悪い。
この気持ち悪いという嫌悪感は
雑魚めすOLに繋がるキーワードになるかも。
これを書いている最中も涙が止まらなくて
自分に対する嫌悪感で吐きそうです。
でも初めて心の内を吐き出すことが
出来たことは良かったのかもしれない。
いつかそう思える日がくるいいな。