鈍感なくらいがちょうどいい
自分も傲慢だった。自分の苦しみや努力を分かって欲しくて、イライラしていたし、その努力が分かるような言動を繰り返してきた。
承認欲求と言うべき、認めて欲しいという気持ちが強かったからだと思うし、決して満たされることのない日々を過ごしてきた。
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今振り返れば分かることもある。
側から見たら、傲慢な言動にしか見えない。自分さえ良ければいいとしか思われていないのだが、自分では分からず繰り返すことになる。自分がどう見られているのかを気にする余り、その傲慢な言動で人が傷ついていることなどには鈍感だった。
逆も然り。
やる気なく無気力に人に対しては鈍感で、自分が傷つかないように、自分を守るようにしている言動をする。そんな人との関わりの中で自分の頑張りや努力を認めて欲しくて、イライラしたり、時には認めて欲しくて分かって欲しくて、傲慢な言動をする。
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だから、傲慢な人はある意味で鈍感で、鈍感な人に対しては傲慢になると思えてならない。
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特に気にし過ぎで、心も身体も疲れやすい人は注意が必要で、気にし続けることにより、心や身体を壊しかねない。
だからこそ、鈍感なくらいがちょうどいいと思えてならないし、人と接する上で、鈍感な部分もあっても良い。
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それこそ、完璧を目指して、完璧に自分の思いのままに、物事が進まないのは常にあると思うので、どうでもいい、どっちでもいいと思うのであれば、あえて鈍感に感じていくくらいで、ちょうどいいと思えてならない。