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20030527 オーディオ

 吉田桂二$${^{*1}}$$という建築家が書いた本を読んでいたら、金をかけてオーディオ専門部屋を家の中に作るのは愚の骨頂である、と書いてあった。オーディ装置は所詮、録音して再生する偽物なのでいくら金をかけても本物にはなり得ないからだ。そういった物に家の一部屋をあてがうのはあまりにも勿体ない。何でも家の中に取り込んで、生活を家の中だけで完結させようとすると、偽物を本物と思い込んでしまい人生をつまらなくしてしまうというのだ。

 オーディオに関してそれ程凝っているわけではないが、許される最大限の予算で出来るだけいい音が聞けるオーディオ装置が欲しいといつも考えていた。しかしこのオーディオは所詮偽物という話を読んでから、オーディオ関係の物欲$${^{*2}}$$はかなり消沈した。許される予算の上限はかなり下がってきた。

 オーディオセットの音は偽物ということはこれまで考えたことはなかった。オーディオ装置の最終目的は原音に限りなく近づけることであり、そのためには様々な技術が投入されて当然と思ってきた。考えてみれば、原音は必ず存在していて、オーディオ装置はその代替であるのでいくら金や技術をつぎ込んでも原音同等の音を聞くことはできない。原音が最初から存在しなければ理想に近づける活動は永遠に続くが、原音が存在するのであれば、理想そのものが既にあるということので、それに近づけるための行き過ぎた努力は虚し過ぎる。

 レコードやCDは名演奏家の演奏を自宅で手軽に聴くことが出来るので便利だが、それを原音に対し忠実に再生しようとするのは程々にしておいた方が賢明である。そういうものに金や時間をかけるよりも名演奏家でなくとも実際の演奏会に出向いて本物の音を聞いた方がいい。

 ということで今までパソコンでオーディオCDを再生して、ひどい音を聞くのは以ての外と考えていた。が、そう考えること自体が「以ての外」という考え方になった。パソコン$${^{*3}}$$のCD-ROMとマザーボードとを電線でつないでオーディオCDが聞けるようにした。全く問題なく鑑賞が出来る。新しいCDプレーヤを買わずに済んだ。 

*1 吉田桂二・間取りの玉手箱
*2 20030204 物欲を抑える方法(2)
*3 20030506 パソコンの電源交換

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