異次元の…
異次元の…というのは前の日銀総裁のコメントで発された言葉で、それは「かつてないほどの」という意味だったんだろうなぁと思いつつ、でも「異次元の少子化対策」というフレーズを聞いたときには、日銀の施策がうまくいったかどうかは別にして(現総裁はそれを検証すると仰っていて、まだその期間だから)、かなりの期待をしたわけです。
ところが議論されていることって、手当の金額と範囲の話ばかり。これって、まったくもって異次元ではないような。同次元の、程度の話でしかない。いや、これはこれで大切なことなんだとは思うのだけれど、「異次元の」というフレーズを聞いたときの、(かなり勝手な)期待感は見事に肩透かしを食らってしまった。
じゃぁなんだったら異次元なんだろう?
それは社会の構造やらシステムやらまで変えてしまうようなことではあろうかと思うんですよ。もしかした風習や習慣までも変えてしまうものかもしれない。
そもそも少子化って、何か直接の原因があるわけではなく、「大人になったら結婚して2人以上子どもを産んで、育てて…」という人生パターンみたいなものが、「それって、違うくない?」とか「それは無理かな…」とか「そうじゃなくっても良くない」と思う人が増えたからなのでは?とも考えられるわけで(エビデンスはないよ! エビデンスがあって書くならそりゃnoteじゃないところに書くわな)。
とすれば、このあたり、つまりなんとなく社会に漂っている価値感とか考え方とか、当世風にいえばナラティブに働きかけないと、少子化の傾向(というよりはむしろ少子化の風潮?)は逆転しなさそうなわけで。とすれば次元が異なるというのであれば、こういう社会や風習や習慣などに切り込むもんなんじゃなかろうか?
例えば「親の顔が見たい」
成人した男女が何か不始末をしでかしたときに、出てくる「親の顔が見たい」。いやさ、もういい大人なんだからさ、親の言うことなんか聞いてないと思うよ。というか、自分で判断できる「大人」だから成人なんでしょ。じゃぁもう親がどうのこうのというのはやめたら?
自分のことでも精一杯なのに、我が子が不始末をしでかしたら…ということまで考えると、というところでひるんでしまいそうでは?
経験的にいうと、親の影響って確かにでかい。だけれどそれだけで子どもが成長するわけではないですよ。だめ親でもえらく立派な人は育つし、親よく頑張ったじゃんというところでも不始末しでかす子はいると思いますけどね。
そしてそもそも世の中から「親の顔が見たい」とかといわれて糾弾される以前に親の方は「世間に申し訳ない」とかと思っていることも多いわけで。
「親の顔が見たい、とかいうの止めません?」というのも少子化対策の一つになったりするのではないかと思うわけですよ。異次元の。
「そんなことで変わるか?」といわれそうですけど、これ一つで変わるわけないじゃないですか。その他にもいろいろ変えなくちゃ。「イエ」社会とか、夫婦別姓とか、3号被保険者とか…。だって、社会の価値感とか風習とか習慣を変えるんですからねぇ