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ソフトフォーカス

唇に塗った真紅のルージュは彼女の内臓を彷彿とさせ、清潔なタオルの上に並べられたディルドとヴァイブは淫靡な光沢を発しながらいまにも動き出しそう。その横に置かれたローションは容器の中でうねうねと透明な気泡が動き、敏感なところを隠さず見せる紫色のランジェリーが夫を誘った。

彼女の中で何度か動くと夫は果てた。夫は余韻にも浸らず起き上がり身繕いを始めた。けれども、こんなに準備した彼女はまだ続きをしたかった。彼女が懇願すると、夫はヴァイブを見つめながら

「この後は、一人で楽しんで」

そう言い放った。言葉を失いかけながらも彼女は

「それならあなたとセックスする必要がないわ」

と怒鳴った。立ち上がりベッドルームのドアを開けて出ていく夫。そのドアにヴァイブを投げつける彼女。それ以降、夫は彼女を求めなくなった。



夫になる人の海外赴任がきまった。結婚後は日本を出て生活することになる。彼女にはついていくことが当たり前と思え、尚且つ新しい世界に興味津々だった。そして二人で海を渡った。

移住した先で夫は仕事に励んだ。彼女は家事に勤しむとともに、二人の間にできた子供を一生懸命育てた。たまに時間ができると趣味の写真を撮り、日記を書いた。広大な自然を前にそれ以上にすることは何もなかった。人との付き合いも無縁になっていた。

それでも、内向きな気持ちを満足させるインターネットがあった。SNSを通して、世の中の女性がどんな生活をしているのか、自分がワンオペであることや、家事をしている男性がいることなどを知った。ときには家庭内の赤裸々な内容、セックスに関することまで知ることができた。

夫は仕事に、彼女は家事と育児に。それぞれ分担しているのだから、夫に多くのことを望もうとは思わなかった。けれども、セックスだけは改善したかった。
濃密な時を過ごせる行為であるのに、夫はいつも淡白だった。前戯もなく、突然入れてイッて終わり。そんなルーチンだから今までセックスが楽しいと思ったことがなかった。SNSでみんながしているような目くるめく性の体験をしてみたいと願った。

考えると止まらなくなった。色々な方法をネットで検索、研究した。刺激を楽しむためにおもちゃを買い、前戯を長くするためのローションも選び、雰囲気を大切にするためにセクシーな下着も準備した。それ以上にセックスのハウツーを調べ、夫に提案して一緒に楽しんでもらおうとした。

恥ずかしくもあったが、お互いを高めるために必要なものだと信じ、二人で分かち合わなければと考え、夫を説得した。すると夫は「僕は変態のすることをしたいとは思わない」と言い切ってきた。めげずに楽しもうとした結果、彼女はヴァイブを投げた。



夫との性生活にピリオドを打ったあと、SNSでセックスレスであることや夫の愚痴を言うことがきっかけで、様々な男たちが優しく声をかけてきた。海外にいると知っても、気にせず口説いてきた。

求められていることに喜びを感じた。男たちに夫にはない情熱を感じた。自分を欲してくれる、相手が望むならと、なんでもしてあげた。テレフォンセックスもした、セクシャルな動画も送った。自分でしているところをうまく撮影できるか、アングルや機材を工夫した。どうすれば相手が喜んでくれるか考えるとわくわくした。

海外にいたら男たちと会うことはできない。それは良くわかっていた。それでも、少しの間だけでも、会う事が出来ないかと夢みた。

移住後、今まで帰国せずに頑張ってきた。時が経ち祖父母も年老いて孫の顔を直接見たいと言うので、子供の夏休みに合わせて長期間日本に滞在することにした。夫はその間も現地で仕事をしているので、出来るだけ滞在は短めにと言われたが、自由になることができるこの機会を逃したくなかった。

そして、帰国中の約一カ月、短くも熱い日々を過ごした。その年によって違う男性に会って甘い果実を味わった。



彼女と居酒屋で待ち合わせた。会うなり良い薫りのするアルコールスプレーを手にたっぷりとかけてくれた。消毒されてびっくりしたが、サッパリとして気持ち良かった。その後、彼女はちゃきちゃきと注文をして、出てきた飲み物を気持ちよく飲んで、元気にたくさん話をしてくれた。

今まで会った男たちに付き合おうと言われた事はないし、彼と言える人は未だにいない。一年に一度会えればいい。心の中で自分のことを思ってくれて、会える時期が近くなったら連絡がもらえればいい。本当は頻繁に連絡が欲しいが、思いが強くなるやり取りをしても苦しくなるだけ。もともと海外にいる身なのでそれは仕方がない。

そんな言葉を聞いて切なくなりそうだったが、楽しければいい、楽しいのがいいと言う彼女は至って今を満足している気がした。彼女は一貫して何事にも好奇心旺盛な雰囲気を醸し出していて、そこが悲壮感を感じさせないのだろう。

恋愛の根幹である、好きな気持ちをはっきりさせた付き合い方をすると、疲れるし拗らせるからしたくない。カメラの撮影技術のように、相手に対しソフトフォーカスでいれば、気持ちを穏やかにしていられると彼女はいう。ピントを常にあわせるだけの恋ならばそれは息苦しいものかもしれない。ボケていることで味のある写真になることも、ほのかな恋の様相を匂わせることもあるのかもしれない、そう思わずにいられなかった。


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