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〝天衣無縫〟という言葉を教えてくれた伝説の噺家『古今亭志ん生』

突然ですが、ぼくはWikipediaを読むのが好きです。

あなたはWikipediaを利用してますか?
ウソだらけで鼻持ちならないでしょうか?

もちろんぼくも、お金を出して学ぶ必要があると感じたものにはキチンと資本をかけます。

でも、『読みもの』として時間つぶしに読むくらいなら、wikipediaはちょうどいい存在じゃないでしょうか?


そんなわけで、ぼくはダラダラとWikipediaを読み漁るのが趣味の一つです。

それも、著名人とか、歴史上の偉人とかの記事を見るのが特に好きなんです。

何でかって?

時には著名人や偉人の発言、心掛けていることや思想なんかにもお目にかかれるからです。

冷静に考えなくても、これは相当お得だと思いませんか??


Wikipediaは募金のお願いはあれど、強制徴収はありません。

言ってみればWikipediaは、著名人や偉人が言ったとされる言葉や思想を、ほぼ無料で知ることが可能なのです。

もちろん、編集した人の裁量によるものですから、全てが明かされていない人物の記述もありますが…。

少なくともぼくは、信憑性とかその人が本当に言った言葉かどうか?とかには興味ありません。

読みものとして楽しみつつも、時に目の覚めるような気づきを得られる。

そんな、ゆるゆるな感じが楽しいのです。

出どころが何であれ、ぼくがビビッと来る言葉やスタイルに『出会うかどうか』が大切だと思っています。

で、で。
それでですね。

ぼくは運命の出会いとも言える言葉との邂逅を何度も経験したわけなんですけど。

まさしく人生を変える取っ掛かりになったのが、

5代目古今亭志ここんていししょう』という噺家はなしか(落語家さんのこと)のWikiを見た時でした。

古今亭志ん生 画像出典:Wikimedia Commons(朝日新聞社)



もともと演劇をやっていたから、役者さんとか古典芸能で有名な人を見てたわけなんです。

ふと、別の人物から、この古今亭志ん生さんのページにジャンプしたんですね。

白黒写真で写ってて、

『うわぁ、めちゃ昔の人っぽいな…』

少しとっつきにくいかな?
なんて思いながらも、読み進めてみたんです。

すると、そこに書かれていた言葉にビビッと来てしまったんです。


「完成した5代目志ん生」を見ると

天衣無縫てんいむほう
と思えるが、

実際は売れない時代が長く、芸について苦労して非常に考えた上であの芸風を苦心して作り上げたことが窺える。

Wikipedia-『古今亭志ん生(5代目)』


天衣無縫てんいむほう……?

この言葉との出会いが、その後のぼくを大きく飛躍させたのです。

1.天衣無縫てんいむほうとは何か?

天衣無縫という言葉はどういう意味か?

直接の意味は、『天人の纏う衣には縫い目がない』という教えです。

それから転じて、

『技巧や飾り気がなく、自然。
かつ、完全無欠で美しい』

というあり方を指しています。

余計なものに惑わされない自分そのもののあり方であり、

それが過不足もなく、自然で美しさすら感じられる。

そんな境地に達していることではないか、とぼく個人は解釈しています。

2.古今亭志ん生ここんていしんしょう=天衣無縫

実際、天衣無縫の言葉を知るキッカケとなった『古今亭志ん生』という噺家さんの生き方は、

それはもう破天荒で、世の中のルールという枠にとどまるような人柄ではありませんでした。

逆を言えば、

自分のありのままという意味では、ここまで徹底して飾り気のない人物もいないでしょう。

以下は、Wikipediaに書かれていたエピソードを要約したものです。

・別の噺家さんの家が火事になったスキに、ネタ帳を盗み出して自分のネタにしてしまった

・口演中、演じる登場人物の名前を平気で間違える。

・しかも、『どうだっていい名前』と開き直りお客さんを爆笑させる。


・酒を飲んで高座に上がり、呂律が回らない状態で演じる(しかもお客さんも許す)。

・自分が主役を務める会に、まさかの欠席。

といった具合で、

今の世なら、ドツき回されるレベルにハチャメチャなのですが(笑)

とはいえ、志ん生さんには志ん生さんなりのルール、一本芯が通った面もあるのです。


はなしの了見を大事にしており、そこさえ伝える技量があるなら枝葉の言葉などに囚われる必要はない

・自分は人に教えてはいけない、メチャクチャになると、後輩に対してきちんと弁えている

・ヤジを飛ばされたり、進行にミスがあるなどのハプニングの時には、持てる技量を最大限に発揮して場を収める頼もしさがある

・自分の持ちネタはなかなか人に伝えないものの、一度伝えたら以降は自分では一切演じないというケジメをつけていた

というように、志ん生さんにはいわば『自分ルール』があったのです。

一見世の中からはみ出しているようで、よく見ると一本の筋が通っている。

それは、誰かに取り決められたものではなく自分の中から生まれた一本の軸。

だからこそ。

決める時は決める実力や仁義までは失くしていないからこそ、

お客さんは『それが志ん生だから』と許してしまうのです。

昔の大らかな時代だとしても、袋叩きに遭いかねない振る舞いをしながら。

志ん生はそうでなくちゃ』とまで思わせてしまう魅力がある。

だから、受け入れられるし許されるのです。


自分の自然体を突き通せる。
それを周囲に『認めさせる』ことができる。

それが天衣無縫ということなのではないかと、ぼくは考えます。

それでいくなら、天衣無縫とはまさしく古今亭志ん生さんの為にあるような言葉とすら思えてくるのです。

3.天衣無縫は不可能な道ではない

古今亭志ん生さんのような生き方を、あなたはどう感じるでしょうか。

羨ましいでしょうか。
馬鹿げているでしょうか。

こんなだらしない人になってたまるかと感じるのでしょうか。

それとも、

『なろうとしてもなれるもんじゃない』

と感じて、諦めているでしょうか。


ぼくは、本気でこの『天衣無縫』というあり方を目指そうとしています。

そして、18年をかけて、その領域に入ってきていると確かに感じるのです。

・自分のスタイルをユニークだと感じてもらえる。

・『ざきさんはそのままがいい』と言ってもらえる。

・ざきさんだけのスタイルですよね、と評価される。

・歳上に可愛がられる。
ついでに歳下からも何故か可愛がられる(笑)

・初対面の人からも『あなたは面白い』と仲良くなれる。

・自分のポリシーを尊重してもらえる。

深い信頼を寄せてもらえている。

ぼくの思想やスタンスを譲ることはないまま、他人と衝突せずに受け入れてもらえています。

また、自分と相性が限りなく悪い環境がすぐに分かり、距離を取ることで衝突を避ける感覚も鋭くなりました。

全ての人と合うということはありませんが、

合わない存在を自分の周囲に置かないという行動力、判断力、コミュニケーションの構築が格段に上手くなったと考えています。

ぼくだって『天衣無縫』というあり方は受け売りに過ぎませんでした。

でも、今はそれに着実に踏み込んでいる。

天衣無縫は、決して不可能な道ではないのです。

天衣無縫になると言っても、どうしろと?

まぁ、これだけでは理解不能ですよね。

『アナタが近づいているのは分かったけど、わたしが天衣無縫とやらになるには、どうすればいいのよ?』

はい。

その道のりを、これからぼくのnoteで明かしていくのです。


天衣無縫てんいむほうへの道』

これが、ぼくのnoteの一貫したテーマとなります。

よろしければ是非、フォローして今後の更新を追っかけていただければと思います。

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