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ピート・ローズさん旅立つ

メジャーリーグで訃報に接した。
シンシナティ・レッズ、
フィラデルフィア・フィリーズ、
モントリオール・エクスポスで活躍し、
通算最多の4,256本の安打を打った
ピート・ローズさんが亡くなった。83歳。

来日経験が何度かあり人気が高かった。
バットは日本のミズノ製。
東洋水産のカップ麺、激めんのCMにも出た。
東進ハイスクールの招待(?)で
我が地元吉祥寺にも来たと思う。
ダイビングみたいな名物ヘッドスライディングは
物真似によく使い、守備で自身のプレーで
3アウトになってベンチに戻る際に
ボールを叩きつけて帰ってくる荒々しさは
なんか格好良かった。

レッズとフィリーズでは
ワールドシリーズ優勝に貢献し、
エクスポスでは通算4,000本安打を達成。
打順は1番や2番が多い印象で、
レッズ時代は1番打者で三塁手、
フィリーズ時代は2番打者で一塁手が主だった。
ローズさんがいた頃のレッズ打線は
ビッグレッドマシンの異名があり、
主砲で捕手のジョニー・ベンチさんや
大砲のジョージ・フォスターさんの前を打つ
安打製造機。首位打者も経験。
ご両人はローズさんがいた頃に
本塁打王や打点王を獲得していて、
ローズさんが塁に多くいて、
打点に寄与したことが容易に推し量れる。

フィリーズに移籍後は2年目の1980年に
ワールドシリーズ優勝に貢献した。
主砲のマイク・シュミットさんが三塁手で
ポジションがかぶるローズさんに
どこを守らせるんだろうと気になったが、
シュミットさんがそのまま三塁、
ローズさんは一塁手になった。
本塁打の多くない一塁手は珍しく思ったが、
40歳近くなってもフル出場のタフガイぶり。
そのシュミットさんはローズさん在籍時に
打点王を獲得していて、1980年はMVP。
ローズさんはここでもチャンスメーカーだった。
功績は計り知れない。

ローズさんを初めて知ったのは1978年。
その年の来日よりまだ前、
小学三年生になったばかりの春だった。
きっかけはフジテレビのアメリカ大リーグ放送。
初回放送の試合がレッズvsアストロズだった。
その試合でローズさんは珍しいプレイを演じた。
走者として二塁から三塁に向かう途中、
打球がローズさんを直撃して、
アウトになったのだ。それが出会い。
以来レッズの選手を覚え始めたが、
ビッグ・レッド・マシンの時代。
正捕手のジョニー・ベンチ、
ロングヒッターのジョージ・フォスター、
名ショートのデーブ・コンセプシオン、
エースはトム・シーバーだった。

シンシナティにあるレッズの殿堂。レリーフがあった


相手だったアストロズの試合は
後日ホームゲームを見て、
屋根付き球場のアストロドームに衝撃を受けた。
外国人選手ばかりいる試合は新鮮で豪快。
カタカナ表記ばかりで漢字がないぶん、
選手の名前が覚えやすくてツボにはまった。

当時あった26球団の名前もすぐ覚え、
ローズさんの44試合連続安打や
通算3,000本安打達成のエピソードも知った。
張本勲さんが巨人からロッテに移籍して、
日本球界初の通算3,000本安打を達成したのは
その2年後。ローズさんの凄さが推し量れた。
約7ヶ月後にレッズが来日したときは
私はすっかり豆博士になっていて、
クラスの解説者気取りだった。
私を野球狂に仕上げてくれ、魅力にハマったのは
ローズさんのおかげだ。

訃報がただただ残念でならない。
安らかなご永眠をお祈りいたします。

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