ウィリー・メイズ、旅立つ
メジャーリーグの名選手で
ジャイアンツやメッツで活躍した
ウィリー・メイズさんが亡くなった。93歳。
打って守って走っての万能選手で、
本塁打王と盗塁王を4回ずつ獲得している。
プロ野球で本塁打王と盗塁王を両方経験した方は
滅多におらず、本場の米国では歴代で10人に満たないと思う。
日本では西武時代の秋山幸二さんが1回ずつ、
ヤクルトの山田哲人選手が2015年に
本塁打王と盗塁王を両方獲得しているぐらい。
それぐらい難しい偉業だ。
主に外野、センターを守り、
ワールドシリーズで大飛球を好捕したプレイは
「ザ・キャッチ」と言われて語り継がれている。
打った本人が
「あの当たりが取られずに三塁打やホームランに
なっていたら、私は忘れ去られるよ」
と面白いコメントを残している。
150年を超す米国野球の歴史で、
メジャーリーグ通算安打3,000本、
通算本塁打500本を両方成し遂げた選手は
7人しかいない。メイズさんはそのうちの1人。
最多の762本塁打を放ち、盗塁も500個を超した
バリー・ボンズさんでも
通算3,000本安打は打っていない。
メイズさんは通算安打が3,283本、通算打率.302、
通算本塁打660本。記録ずくめの人物である。
徴兵、従軍などがなく環境が備わっていたら
もっと積み上げていたかもしれない。
メイズさんは米国アラバマ州出身、
縁の地では来たる6/20に引退から50年の節目に
メイズさんを讃える試合を開催予定だった。
主賓が試合前に世を去るのは残念だが、
高齢者の別れは突然やってくることもある。
敬意と弔意をあわせたような試合になりそうだ。
メイズさんは1931年生まれ。
1948年からニグロリーグで2シーズン過ごし、
1950年にニューヨーク・ジャイアンツと契約。
朝鮮戦争の任地に赴くなどがあったが、
頭角をあらわして1954年から20年連続で
オールスターゲームに出場した。
最後の4割打者、テッド・ウィリアムズさんが
「オールスターゲームはメイズのためにある」と
洒落たコメントをしたぐらい、
メイズさんの実力と人気は卓越していた。
本拠地がサンフランシスコに移転しても、
メイズさんの人気は凄かったのだ。
現役引退は1973年。日本では読売ジャイアンツが
V9を達成した年だ。私は4歳だったから、
メイズさんは歴史上の人物であるが、
それでも米国内でニアミスしたことがある。
2007年の夏休み渡米でサンフランシスコに行き、
球場に近接するスポーツバーで
オールスターゲームをTV観戦したのだが、
試合前のイベントにメイズさんが登場した。
自身の名付け親であるバリー・ボンズさん
(ボンズさんの父親、ボビー・ボンズさんと
メイズさんはジャイアンツで僚友)を始め、
オールスターに出場した選手が拍手でお出迎え。
当日売りの立見席チケットが売り切れていて、
中に入れなかったことを悔やんだ。
そのうえにマリナーズのイチロー選手が
3打数3安打にランニングホームランの離れ業で
オールスターMVPを獲得していたから尚更。
メイズさんは当時76歳だったが、
かくしゃくとしていらした。
野球場の住所はウィリー・メイズプラザ24番地。
名前と往時の背番号にちなんでいて、
球場前の植樹も24本とこだわりが凄い。
背番号24はジャイアンツとメッツで永久欠番。
私もジャイアンツの24番Tシャツを持っている。
黒人選手に背番号24をつけたがる選手が
多い気がするが、それはメイズさんの影響。
ファーストネームがウィリーという方が、
ミドルネームでメイズを名乗ることもあった。
映画メジャーリーグに登場した足の速い選手、
ウィリー・ヘイズが自身を
「ウィリー・メイズ・ヘイズ」と名乗ったり、
ロイヤルズの強打者だった
ウィリー・エイキンズ選手は
「ウィリー・メイズ・エイキンズ」と名乗った。
ロイヤルズでの背番号は24番だったと思う。
エイキンズはヤクルト入りも言われていたが
諸事情で実現しなかった。
メイズさんの話がクローズアップされず、
残念に思ったものだ。
今年は夏休みが延期になってしまったが、
もし米国に行ける機会を得たら、
サンフランシスコに行きたいと思っている。
お会いできないのが残念だが...
安らかなご永眠をお祈りいたします。