「アベンジャーズ/エンドゲーム」は複利で面白くなる
「アベンジャーズ/エンドゲーム」はもう観ましたか!
その名にふさわしく、これまでのMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)22作品を締めくくる内容の本作ですが、クロスオーバーモノのヒーロー映画作品でこれ以上はなかなか出てこないんじゃないかと感じております。
それは、MCUが複利でおもしろくなるように巧みに工夫された作品群であり、アベンジャーズ/エンドゲームはこれまで積みに積み上げた元本に超高金利をぶち込んでくるような作品だからです。
さて、この先は「MCUは複利で面白くなるんや!だからアベンジャーズ/エンドゲームは素晴らしいんや!」ということをヲタク特有の早口でただ語りまくる内容です。
バリバリにネタバレを含むので、まだ「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観ていない人はすぐに回れ右をしてお帰り願います!
そして、MCU過去作をまだ観ていない方は、ぜひ全て観てからエンドゲームを観賞してください。
あ、キャプテン・マーベルはもう劇場でやってないですね・・・。
BDもまだ発売してないし、仕方ないのでこれは観なくていいです。
そうすると20作品観ればいいので楽勝ですね!
20作品でも多すぎる?
苦渋の思いで削るとしたら、
「インクレディブル・ハルク」
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Remix」
は観なくてもいいです。
でも後で観てくださいね。
え?もっと減らせないか?
減らせません。
減らしたいのはやまやまなのですが、過去作を観ているのと観ていないのとでは大違いであることを知ってしまっている以上、「観なくていい」とは口が裂けても言えないのです。
ご了承いただきたい。
ではいってみましょう!
MCUの最大の特徴は、積み上がるおもしろさ
さて、ここを読んでいる皆さんは既にエンドゲームを観賞されたかと思います。
質問です。
他のMCU作品は何作観ましたか?
5作?
hmmm...例えるなら『ようやくつかまり立ちした赤ん坊』みたいな感じ。
15作?
そこまできたならもう全部観たほうがいいと思う。
全部観た?
おめでとうございます!あなたは最高のエンドゲームを体験したことでしょう!
MCU界隈では「最新作を観るまでに、どの作品をどれだけ観ればいいんだね?」ということがたびたび話題になります。
noteをみても、過去こういった記事があったりします。
(azitarouさんによる素晴らしい作品解説!)
なぜこういう話題が尽きないのかというと、単に作品数を重ねてきた結果ということもありますが、一番のポイントはMCUが色んな作品を観れば観るほど面白くなる構造をしているからだと思います。
具体的に、エンドゲーム劇中セリフ&シーンで振り返ってみましょう。
そう思わせたのなら、私の最大の過ちだわ... / ペッパー・ポッツ
皆を救えるタイムマシンをうっかり発明してしまい、家族との暮らしを守りたい気持ちVS危険を犯してでも世界を救いたい気持ちの狭間で「(まだ今なら)やめることもできる」と言ったトニー・スタークに対して、最愛の妻であるところのペッパー・ポッツがかける言葉です。
なんてことないセリフのようですが、アイアンマンシリーズをどれだけ観てきたかで味わいが大きく変わるシーンでしょう。
シリーズを通して、ポッツはずっとトニー・スタークが危険な戦いに身を投じ続けることに反対し、時にはヒステリックな反応も見せてきました。
そんな彼女のためにアイアンマンスーツを全て打ち上げ花火にしてしまったことさえあるわけで、トニー・スタークとしては「彼女のために」戦いに身を投じない選択をするべきかもしれない、と思っているわけです。
当然、シリーズ3作を通してそんな彼女の姿を強く印象付けられた我々も、ポッツはスタークの参戦を望まないのではないかと危惧するところ。
しかし、ポッツは過去の自身の振る舞いは過ちだったと認め、トニー・スタークの背中を押します。
これにはグッときました。正直、序盤で最もグッときたシーンかもしれません・・・。
...アホ? / "ローディー"・ローズ
インフィニティ・ストーンを手に入れるべく過去へ向かったアベンジャーズの面々。
ローディーとネビュラは、パワーストーンを奪取すべく惑星モラグに向かいます。
モラグに到着すると、鼻歌を口ずさみながらダンスするピーター・クイルが現れるわけですが……この演出、MCUファンであれば手を叩き声をあげたくなることでしょう!
そう、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(GotG)」シリーズ第1作めの冒頭シーンです。
GotGという作品の雰囲気を象徴するようなこのシーンが挿入されることで、愛すべきおバカヒーローチームの姿と物語が一気にフラッシュバックします。
この時クイルをみてローディーが放つ「…アホ?」もしかり、後のガモーラに対してネビュラが言う「こいつと木の二択だった」もそうですが、エンドゲーム上映中で一番笑いが起きるのはやっぱりGotG絡み。
「そうそう、これこそがGotGだ!銀河一の愛すべき"落ちこぼれ"チームだぜ!」と浸れるのは、過去のGotG作品を観た者だけの特権と言ってもいいでしょう。
間違っても「ガーディ…なんとか…ギャラクシー? アイアンマンとかスパイダーマンみたいなイカした有名マスクヒーローは出てこないんだろ?パスだね!」などと食わず嫌いしてはならないのです。
アベンジャーズ・アッセンブル! / キャプテン・アメリカ
このシーン、あまりの興奮で滝汗をかいたり、拳を握りすぎて手のひらに爪の跡をつけてしまった人も多いのではないでしょうか。
正直、ここだけはシアター内で誰かが大声をあげても私は許します。
原作ファンにとっても待望のセリフだったかと思います。エイジ・オブ・ウルトロンでは寸止めでしたからね!
このへんは語りたいことが山ほどあるのですが、まず、サノスの大軍に対してキャップが孤立無援で立ち向かう、印象的な引きのカット。
ヒーロー映画のありがちなシーンでしょと侮ることなかれ。キャップだからこそ際立つ理由があります。
キャプテン・アメリカはアベンジャーズを代表する「ビッグ3」のヒーローですが、手にした力は他のヒーローと比べても強力だとは決して言えません。
言うなれば、チョットツヨイ・ニンゲン、ぐらいのものです。キャップより強いヒーローやヴィランはたくさんいます。
しかし、キャップには正しいと思うことを貫き通す心があります。
たとえ孤立無援だとしても。
そのことを過去のキャプテン・アメリカシリーズを通して知っているからこそ、「キャップは諦めない。絶対に立ち向かう。まだやれるぞ」と信じることができるし、同時に、キャップの力だけでサノスの大軍に勝つのは困難だろうということも想像できてしまうのです。
(よくわからない人は「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」と「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」を見返すことをオススメします!)
そして、キャップに対してサムから通信が入るところも胸熱ですね。
自らの正義を貫くがゆえ、時にはS.H.I.E.L.D.やアイアンマンらとさえ対立し、味方が多くない時期もあったキャプテン・アメリカですが、サムはずっとバディであり続けました。
そんなサムも、他のヒーローたちともどもインフィニティーウォーで塵となり消えてしまったわけですが......ヒーロー復活大集合の第一声が彼であることで、キャップに味方が戻ってくる!という機運が一気に高まる、深い配役です。
本題と少しずれますが、ポータルから次々とスーパーヒーローが登場するシーンは過去に観たどんな作品よりもカッコよかった!
クロスオーバーものといえば日本ではレンジャー系・ウルトラ系・ライダー系が十八番だと思いますが、彼らとアベンジャーズの最も違うところはヒーロー性やギミックが同質的であるかないかだと思います。
ウルトラマンは、ウルトラマンタロウであってもウルトラマンレオであってもウルトラマンと認識できるから意味があるわけで、そのためにビジュアルは似通ってきますし、ギミックも細かい違いはあるものの同質的になりがちです。
これは、シリーズモノの宿命。逆に言うとそれがあるからこそシリーズとして成立すると言ってもいいでしょう。
(ちなみに、自分はライダーもウルトラマンも大好きです!特に昭和世代)
さて、アベンジャーズはどうでしょうか。
彼らは本来それぞれの単体作品シリーズを持ったヒーローたちです。
世界観こそ共有していますが、一緒のスクリーンにいなければ全く別々の存在だと言えます。
ですから、ビジュアルもギミックも個性を制限されません。
味方も敵も構わず大暴れしてぶっ倒してしまう緑の巨人(グリーン!)がいても構わないし、機械のスーツを纏った皮肉屋で元武器屋のインテリ・ビジネスマンがいても問題ないし、ハンマーを振り回して飛ぶ雷の人外がいてもいいのです。
この違いが集合(アッセンブル)シーンに色濃く現れています。
とにかくアベンジャーズは個性がカラフルです。
ウェブを使って弧を描きながら飛んでくるスパイダーマン、堂々と威厳をたたえながら登場するブラックパンサー、ジェットの翼を吹かせながら現れるサム、ペガサスに乗ってファンタジー全開なヴァルキリー。
ある意味個性の押し売りと言ってもいいでしょう。
とにかく情報量が多い。
これだけの異物を同時に登場させながらも違和感なく成立するのは、MCUがこれまで積み上げてきた世界観と、それを目撃してきた我々の間で得られるコンセンサスがあってこそだと思います。
あーこのシーンだけ無限に観たい!
『トニー・スタークにもハート(心)がある』 / アーク・リアクターに書かれた言葉
過去のアイアンマンシリーズにもたびたび登場したこの言葉。
個人的には、トニー・スタークだけでなく、アイアンマンからエンドゲームに至るまで、インフィニティサーガの根底を支えるテーマだと感じます。
もともとは武器を売りさばくビジネスマンでありながらヒーローになり、エンドゲームではついに自己を犠牲にしてでもヒーローを全うしたトニー・スターク。
『トニー・スタークにもハート(心)がある』とは、彼がヒーローの心を手に入れたことを指して言っているのだと解釈しています。
一方で、インフィニティサーガを象徴するもうひとりのヒーロー、キャプテン・アメリカ(スティーブ・ロジャース)はどんな人物だったでしょうか。
彼はトニー・スタークとは対照的に、もともとヒーローでした。身体は小さく痩せっぽちだったかもしれませんが、その頃から、ハートはヒーローでした。ずっとヒーローを背負い続け、時には自身を犠牲にしてでもそれを全うしてきました。
しかし、劇中ラストでスティーブ・ロジャースはキャプテン・アメリカを降りて、スティーブ・ロジャースとしての人生を全うすることを選択します。
そう考えると、トニー・スタークとスティーブ・ロジャースは、出発点が真逆で、真逆の方向へたどり着いた対照的なヒーローだったのではないでしょうか。
この2大ヒーローの生き様、そして『トニー・スタークにもハート(心)がある』という言葉は、『スーパーヒーローも皆と同じように悩み笑い生きているし、ヒーローの道を往く時もあれば、そうでない時もあるさ』というメッセージなのかもしれません。
・・・そういえば、複利の話全然してませんでしたね。まぁなんとなく雰囲気でご理解いただけたことでしょう!
そして新世代へ
先日、インフィニティサーガの最終作となる「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」の最新予告が公開されましたね。
エンドゲームの劇中で、キャプテン・アメリカはサムへ盾を継承しました。
そして、予告から察するに、アイアンマンの継承を描くのが「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」なのではないでしょうか。
2大ヒーローの意思の継承とともにインフィニティサーガは幕を閉じ、今後は新世代のヒーローたちが新たなMCUを盛り上げていくのでしょう。
というわけで、「アベンジャーズ/エンドゲーム」はMCUファンにとって最高のギフトのような、時間を費やしてきたぶんだけ報われる、そんな映画でした。
トニー・スタークやスティーブ・ロジャース(そしてナターシャ・ロマノフら)を失ったことは寂しくはありますが、今後のMCU作品への期待に胸を膨らませつつ、とりあえずエンドゲームのBDが発売したら30回ぐらい観ようと思います。いや、50回かな。
では、「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」で会いましょう!