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もうすぐ14年。

東日本大震災を機に自身の原点を見直し、生まれ育った町から見える水平線の風景を描き始めた。
以来、ひたすらぼやけた水平線を描き続けている。
海をテーマにすると、人によっては雲や波、船などの具体的なモチーフを描きたくなってしまうようだが、私にはそれがない。ただ空と海の境界線をなぞる日々である。

日常の生活で考えていることは、人と人との壁や境界線。自分や他人、あるいは他人同士の考え方のズレについてである。相手に対する信頼、憎悪、差別などの感情、対立したり孤立したりすることへの疑問や悩みが付き纏う。
私はこの境界線を水平線になぞらえている。空と海の境目がはっきりとできていたりぼやけたり変化していく。人間は境界線を引かなくては息苦しい部分もあるが、ぼやぼやとした曖昧さがあるのが社会である。臨機応変に他者と関わっていく中で自身も心情が動く。その変化は自然なことであり、戸惑いもある。他者との関わりは対面だけに留まらない。

あらゆる情報が溢れるこの世の中で、流されることも埋もれることもなく地に足をつけて、いつまでも凪を見つめていたい。


水平線の絵を確立することができるようになって8年ほどになる。その間に前述した文章をステイトメントとして掲げてきた。

私が大学の学部を卒業する頃、ハッとする出来事があった。卒業制作では私はいまとはまったく異なる作風のものを描いていた。2011年3月11日は4年生になろうとしていた時期だった。
学部の同期に気仙沼出身の人がいた。関東とは比べ物にならないくらいの悲しい状況が起こった場所のひとつだ。
彼女が完成させた卒業制作の作品は、キャンバスに白の下地を施し、そこに白の絵具で彼女自身の、そして地元の身近な人たちの想いが言葉でたくさん綴られたものだった(と記憶している)。彼女なりに苦悩し、考え抜いて生み出したのだろう。目を凝らさないと見えない言葉たちが散らばったあの白い画面が忘れられない。

私も他人事ではないので、何か形にしたかったし変わりたかった。大学院に進学して心機一転し、拙い表現から始まりいまに至る。
そこから月日は流れ、被災地の復興も少しずつ進み、再び日常が流れていった。

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