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カールマルクスが渋谷に転生した件 19 マルクス、アイドルにハマる(前半)
マルクス、丸め込まれる
「是非、アイドルグループのプロデュースをマルクスさんに」
マルクスの髭が凍りついた。
新宿の高層ビル、某大手芸能事務所の応接室。アンチテーゼのN-1準優勝以降、Das Kapital TVの影響力は若者層にまで広がりを見せていた。その波に乗って、という企画らしい。
「グループ名は『MRX47』。『資本論アイドル』というコンセプトです」冬川プロデューサーがゆったりとコーヒーカップを置く。「47人体制で、政治や経済を歌って踊る。斬新だと思いませんか?」
マルクスが立ち上がった。
「ふざけるな!私の理論を、そんなおふざけに...!しかも、なぜそんなに大人数が」
「ファンは選択肢が多い方が楽しいんです」冬川が穏やかな笑みを浮かべる。「それに、これだけの規模があるからこそ、ドームツアーも商品展開も...まあ、ビジネスの話は置いておきましょう。大切なのは、若者たちに夢を与えることです」
マルクスの髭がピクリと動く。
「夢、だと?」
「いや、おふざけではなく」冬川が両手を広げる。「『イデオロギー』『疎外』『剰余価値』。こういったワードを可愛く歌って...」
「可愛く!?」
「これって面白い可能性があるかもしれません」ケンジが前のめりになる。
「なに!?」
「アイドルって、すごいんです。握手会でもライブでも、ファンの心を掴んで...」
「ほう?」冬川が目を細める。「詳しいんですか?」
「まあ、推しが5人くらい...」ケンジが言いかけて口をつぐむ。「つまり、若者に届けるツールとして」
「届ける?何を?」マルクスが椅子に深く腰を下ろす。「可愛らしく踊りながら資本主義の矛盾を告発するとでも」
「私の妹の世代とか、アイドルの影響力すごいんです」さくらが机に両手をつく。「政治的な発信だって...共創体も、そろそろ本格活動しなきゃいけないんですよ!」
「君まで」マルクスが言いかける。
「先生!」
突然、廊下から数十人の声が重なって響く。研修生たちだ。制服姿の少女たちが次々と応接室に詰めかけてくる。
「マルクスさん!」前列の一人が両目を輝かせる。「私たち、『資本論』大好きなんです!」
マルクスの髭が震えた。
「冬川先生が『理論は大切』って」
「みんなで勉強会もやってます!」
「政治や経済の歌で、日本を変えたいんです!」
純粋な瞳が、マルクスを見上げている。
「ま、まあ」マルクスが思わず髭をいじる。「若者たちの情熱は、確かに...」
冬川プロデューサーが、静かに微笑んでいた。
マルクス、作詞家になる
一週間後。レッスン場の片隅で、マルクスは新曲の歌詞チェックに追われていた。
『恋する♡万国団結』
『らぶりん♡プロレタリアート』
『Everyday♡革命前夜』
「これは...」マルクスの髭が萎える。「私の理論がここまで...」
「どうですか?」冬川が紅茶を差し出す。「もちろん、理論的な監修は先生にお願いしたいのですが、アイドルソングですから、ポップに仕上げさせていただきました」
「ポップ、か」マルクスが溜息をつく。
レッスン場からは相変わらずインストラクターの声が響く。
「もっと笑顔!次のユニット、準備!」
汗を拭う間もなく、次々と入れ替わる少女たち。昼休憩を挟んで8時間目のレッスン。
「彼女たちの様子は気にしないでください」冬川が穏やかに微笑む。「先生は歌詞の理論面だけ見ていただければ。これもマルクスの思想を世に広めるため、大切な一歩なんです」
「むむ」マルクスは不満げだが、確かにその通りではある。
「おや?」休憩に入った少女の一人が駆け寄ってくる。「マルクス先生、新曲の歌詞どうでしょう?私、バイト三つ掛け持ちしながら必死で覚えてます!」
「バイト、三つ?」マルクスの髭がピクリと動く。
「ええ!レッスン料のため...あ、呼ばれてます!失礼します!」
少女が駆けていく後ろ姿を見送りながら、マルクスの中で何かが渦巻き始めていた。
「次は選抜総選挙の話を」冬川が立ち上がる。「ファンが投票券を買って、順位を決めるシステムなんですが」
「投票券を、買う?」
「ええ。CD一枚につき一票。これが売り上げの大きな...いえ、ファンの皆さんの夢の実現の場なんです」
マルクスの髭が、静かに震え始めていた。
「総選挙の仕組みについて、もう少し詳しく」マルクスが身を乗り出す。
「シンプルです」冬川が図を描き始める。「CDを買えば買うほど、推しメンに投票できる。ファンは推しメンの順位を上げるため、どんどん購入してくれる」
「まさか複数購入を?」
「そうです。何百枚も買ってくださる方も」冬川が嬉しそうに。「推しメンのために、アルバイトを増やしたりして」
マルクスの髭が痙攣する。
「ファンまでもが...」
「先生!」また別の少女が飛び込んでくる。「私の『資本主義☆クライシス』という振り付け、見ていってもらえますか?」
「いや、私はダンスの専門家では...」
「でも先生の理論を表現したくて、こだわったんです!」
純粋な瞳に射抜かれ、マルクスは観覧席へと導かれる。
「むむ」渋々見守るマルクス。確かに一生懸命な様子が伝わってくる。
「どうでしたか?」
「ああ、まあ...」
「ありがとうございます!私、選抜に選ばれるまで頑張ります!」
少女が去った後、冬川が説明を加える。
「選抜に入れば、給与も発生しますから」
「今は?」
「研修生は完全無給です。でも、それも彼女たちへの投資というか」
「投資?」
「そう。才能ある子を見出し、育て、商品として...いえ、スターとして羽ばたかせる。私たちプロデューサーの使命です」
マルクスの表情が曇る。しかし、レッスン場に響く少女たちの声は、実に生き生きとしている。
「あの」さくらが心配そうに覗き込む。「マルクスさん、大丈夫ですか?」
「ああ」マルクスが重々しく頷く。「ただ、この構造は...」
その時、廊下から嗚咽が聞こえてきた。
続く