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1分小説 空白の埋め合わせ

新米郵便配達の僕は、老人ホームの田中さんに手紙を届けるのが日課だった。
認知症の彼女は、いつも窓際で息子からの手紙を待っている。
3年前に事故で亡くなった息子からの手紙を。

母を事故で亡くして以来、僕は誰かの息子である実感を失っていた。
だから、最初は躊躇したものの、田中さんへの手紙を書き始めた。
他人の息子を演じることで、自分の喪失を紛らわせようとしていたのかもしれない。

それが半年続いた。手紙を書くたび、亡き母への言葉も重ねていた。

ある日、突然の転勤を告げられた最後の配達。
田中さんは静かに言った。
「ずっと気づいていたのよ。息子の字じゃないもの。でも、あなたの手紙には温かさがあった」

僕が謝ろうとすると、彼女は続けた。
「私にも分かるの。あなたも誰かを失ったのね」

そっと差し出した最後の手紙。 「ありがとう」

田中さんは微笑んで言った。 「私からもお礼を書いたわ」

彼女が渡してくれた封筒には、「愛する息子へ」と書かれていた。
その瞬間、僕たちは互いの中に失ったものを見出していたのだと気づいた。

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