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「西成のチェ・ゲバラ」27 「働いたら負け」が正しかった件

分析

「奴隷労働?」
まちの声が、診療所の闇に浮かぶ。
「それは...言い過ぎじゃないですか?」

カーテンの隙間から、CPBT社のネオンが青く射し込む。

「だって、ちゃんと給料も貰ってるし」
「休みだってある」
「何より、みんな自分の意思で...」

「ああ」
ゲバラが静かに頷く。
「その点では、確かに違う」

シガリロの煙が、螺旋を描く。
普段は寡黙な男が、今夜は珍しく言葉を重ねる。
かつてキューバで見た労働者たちの姿が、記憶を押し上げているのかもしれない。

「技能実習生には、選択肢がない」
ゲバラの声が低く響く。
「実習先の変更は実質的に不可能」
「最長でも五年」
「そして、失職は即ち帰国を意味する」

まちはペンを走らせる。
診療所に通う実習生たちの姿が、次々と思い浮かぶ。

「CPBT社は、その制度の上に新しいシステムを作った」
「『より良い実習制度』という名の、より巧妙な管理を」

窓の外では、実習生たちのスマートフォンの光が、蛍のように明滅している。

「評価システムは、彼らの不安を利用している」
言葉の端々に、産業大臣時代の分析力が垣間見える。
「高評価を維持できなければ、強制帰国の可能性」
「母国では、すでに借金を抱えている者も多い」
「だから、彼らは笑顔で従うしかない」

まちのペンが止まる。

「そして、このシステムが最も巧妙なのは」
ゲバラが窓際から振り返る。
普段は決して語らない過去が、その瞳に浮かんでいた。
「これが『改革』として、『進歩』として喧伝されていることだ」

ゲバラは珍しく饒舌だった。
怒りと共に、かつての記憶が言葉を押し出しているのが分かる。

街の喧騒が、かすかに届く。
実習生たちの笑い声。
スマートフォンの通知音。

自由を装った鎖の音に、
ゲバラは再び沈黙を取り戻していた。

診療所の電話が鳴ったのは、夜の九時を過ぎていた。

「少しお話が」
白木の声。
「例の場所で」

三角公園の端、街灯の届かない場所。
黒いコートの男が、ベンチに佇んでいた。

「CPBT社についてです」
白木の声が、闇に溶けていく。

「ああ」
ゲバラは短く応じる。

「気付いていましたか」
白木の声に、わずかな驚きが混じる。
「彼らは完璧に合法です。しかし...」

「合法的な企業活動を」
ゲバラは闇の中に歩み寄りながら言う。
「なぜ警察が調べる」

夜風が、白木のコートの裾を揺らす。

「東帝の事故の後」
白木の声が冷たくなる。
「もう二度と、見過ごしたくなかった。それだけです」

月が、雲の切れ間から覗く。

「CPBT社のシステム」
白木が続ける。
「技能実習制度という檻の中に、さらに新しい檻を作り出している」

「説明してくれ」

「失職は即、強制帰国」
白木の声が冷たくなる。
「転職も実質不可能」
「その上で、AIによる完璧な管理」
「評価システムという名の監視」

夜風が二人の間を通り過ぎる。

「なぜ日本人を雇わない」
ゲバラが問う。

「辞める自由があるからです」
白木は苦く笑う。
「日本人には『逃げる』という選択肢がある。
でも、実習生には、その自由すらない」

遠くで、誰かの笑い声が聞こえる。
スマートフォンの通知音。

「母国では、すでに借金を抱えている」
白木が続ける。
「渡航費用、保証金、様々な名目で」
「帰国など、選択肢にすらない」

CPBT社のネオンが、遠くで青白く光る。

「弁護士に相談することもできない」
「言葉の壁もあるが、それ以上に」
白木の拳が震える。
「相談したことが会社にバレれば...」

「そして、これら全てが」
ゲバラが言葉を継ぐ。
「合法的だと」

「ええ」
白木の声には、歯がゆさが滲む。
「完璧なまでに」

夜風が冷たい。
白木がコートの襟を立てる。

「すみません」
ふと、白木の声が変わる。
「シガリロ、一本いただけますか」

ゲバラは黙って差し出す。
マッチの火が、夜闇に揺らめく。

白木が火をつけ、深く吸い込む。
そして、激しく咳き込んだ。

月明かりが、苦笑する横顔を照らす。

「かつて」
ゲバラが静かに言う。
「革命には銃が必要だと思っていた」

白木が、わずかに視線を上げる。

「今は違う」
シガリロの火が、夜空に向かって上がっていく。
「見えない鎖を断つには、見えない武器が必要だ」

「記録だけでは」
白木が、二度目の煙を吐く。
今度は咳き込まない。
「足りないかもしれない」

「ああ」
「街には、まだ他の武器がある」
「市場の声」
「路地の記憶」
「そして...」

遠くで、実習生たちの帰寮を告げるチャイムが鳴り始める。
規則正しい音が、夜の街に響く。

「私にできることは」
白木が立ち上がる。
黒いコートが、夜風になびく。
「限られています」

「分かっている」

シガリロの火が、闇の中で小さく明滅する。
二人の影が、月明かりに長く伸びる。

「また連絡します」
白木が短く告げる。

その背中が、闇に溶けていく。
街の喧騒が、かすかに届く。
実習生たちの笑い声。
スマートフォンの通知音。
自由を装った鎖の音。

ゲバラは最後のシガリロを吸い終える。
火を揉み消す手つきに、かつての革命家の影が残っていた。​​​​​​​​​​​​​​​​

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