
「西成のチェ・ゲバラ」15-2 【続報】革命家が、大嫌いなアメリカとやりあってきた
第十五話 帝国の灯火2
「ドクター」
支配人の声は、受話器越しでも冷たかった。
「少しお話があります」
「私からも」
ゲバラは静かに答える。
「話がある」
翌朝。
診療所の前の路地に、黒塗りの高級車が止まった。
降り立った支配人の姿に、通りがかりの人々が振り返る。
「ポデローサ診療所」
支配人が、看板を見上げる。
「噂には聞いていました」
診療所の中は静かだった。
早朝の診療時間前。
まちは、まだ来ていない。
ゲバラは黙ってシガリロに火をつける。
支配人は、その仕草に眉をひそめた。
「昨日の件について」
スターリングが切り出す。
「あのような...方々を、放置するわけにはいきません」
「あのような方々?」
ゲバラの声が低く響く。
「この街のイメージを、変えていく必要がある」
支配人の声が強まる。
「安全で、清潔で、誰もが安心して訪れられる街に」
「誰もが?」
煙を吐き出しながら、ゲバラが問い返す。
窓の外では、市場が動き始めていた。
威勢のいい掛け声。
魚を運ぶ台車の音。
日雇い労働者たちの、静かな足音。
「ドクター」
支配人が、じっとゲバラを見つめる。
「あなたは、この街の...影響力のある方だと聞いています」
「私は、医者だ」
「だからこそです」
スターリングの声が、さらに冷たくなる。
「あの手の...患者さんたちにも、影響力があるはずです」
シガリロの灰が、音もなく落ちる。
診療所に、重い沈黙が広がった。
「あなたの言う『影響力』とは」
ゲバラは静かにシガリロを灰皿に置く。
「誰かを、排除する力のことか」
「誤解しないでください」
支配人の声が冷たく診療所に響く。
「私たちは200億円を投資した。この街に、未来を作るために」
「未来?」
ゲバラの声が低く唸る。
「誰のための未来だ」
「もちろん、皆のためです」
スターリングが一歩前に出る。
「でも、そのためには...ある程度の、浄化は必要です」
「浄化?」
ゲバラの拳が、机を強く打った。
診療所が、凍りつく。
支配人の表情が、一瞬歪む。
「じゃあ、言ってみろ」
ゲバラが立ち上がる。
「誰を『浄化』する?市場で働く人々か?路上で生きる者たちか?」
「この街で、必死に生きている人々を、お前は消せると?」
「冷静になってください、ドクター」
支配人の声に、わずかな動揺が混じる。
「私たちには客観的な基準が...」
「客観的?」
ゲバラの笑みが、凍てつく。
「お前には、この街が何もかも『客観的』に見えるのか?」
「誰かの机上で決められた基準で、人の命の価値が測れると?」
支配人の目が据わる。
表面的な紳士の仮面が、剥がれ落ちる。
「あなたに、分かりますか?」
声が氷のように冷たい。
「スラムは、スラムのままでは」
「いつまでも、この国の恥として」
「恥?」
ゲバラの目が、燃え上がる。
「恥ずかしいのは、人の痛みも分からぬ資本の横暴だ」
二人の視線が、火花を散らす。
静寂が、重く診療所に落ちる。
「私たちには、警察も、行政も、ついています」
支配人が、ゆっくりとスーツの襟を正す。
「どうか、賢明な...」
「出て行け」
ゲバラの声が、診療所を震わせる。
支配人は一瞬、たじろぐ。
だが、すぐに冷たい微笑を浮かべた。
「分かりました」
ドアに向かいながら、振り返る。
「では、私たちのやり方で、この問題を解決させていただきます」
「やってみろ」
ゲバラの声が、背中を射抜く。
「だが覚えておけ。この街には、お前の想像もつかない力がある」
支配人が去った後、診療所に重い空気が残る。
窓の外では、早朝の陽射しが古びた街並みを照らしていた。
ゲバラは新しいシガリロに火をつける。
戦いは、始まったばかりだ。
*
支配人が去って三日後。 変化は、静かに、しかし確実に始まっていた。
「田中さんのお兄さんが...」 まちが、震える声で告げる。 「解雇されたって」
理由は、「衛生管理の基準を満たさないため」 包丁の持ち方が、という話は消えていた。
「ほかの人も次々と」 李が続ける。 「特に地元採用の人たちが」
翌朝、路上生活者の老人が救急搬送された。 「具合が悪くて、ロビーで休ませてほしかっただけなのに」 「警備員に突き飛ばされて...」
その日の夕方。 市場の若い衆が、診療所に飛び込んできた。 「魚の納入、打ち切られました」 「野菜も、全部キャンセル」 「系列会社からの仕入れに切り替えるって」
技能実習生たちは、制服を返却させられた。 「英語も日本語もできるのに」 「見た目が基準に合わないと」
窓の外では、警備員の数が増えていた。 黒い制服が、エントランスの周りに立つ。 まるで、要塞のように。
「これ、見てください」 まちがスマートフォンを差し出す。 SNSには、新しい投稿が溢れていた。
『ホテルの前で職務質問された』 『見た目で判断された』 『従業員が露骨に避ける』 『子供が遊んでいただけなのに』 『救急車を呼んでくれなかった』 『水も飲ませてもらえず』 『トイレすら使えない』
商店街の電気屋が、防犯カメラの設置を依頼された。 「不審者を監視するためです」と言われたが、 カメラは全て、市場の方を向いていた。