「レオナの孤独」8 天才同士の別れ
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「まもなくブランデンブルク国際空港に着陸いたします」
レオナは目を開けた。ベルリンの空は、いつもの灰色。
到着ロビーには、懐かしい姿があった。
「レオナ」
父フランツが、静かに微笑んでいた。
シャルロッテンブルク地区の父の家。窓から見える街並みは、12歳の頃と変わらない。
「レオナ、ETHのヴァイス教授から連絡があった」
篠宮がタブレットを手渡す。
「私の元指導教官です。研究の自由を守るため、ペンタゴンと対立してきた人物」
レオナはスクリーンに目を走らせる。
Project IMMORTALの真の姿。国防総省主導の極秘計画。そして、それに抗う科学者たちの存在。
「教授からの警告です」
篠宮が続ける。
「正規ルートは全て危険。国防総省は欧州の主要な入国ポイントを監視下に置いている」
フランツが新聞を広げる。
「NATO加盟国の協力も取り付けているようだな」
「陸路しかないわね」
地図を広げながら、レオナは呟く。
「アルプスを越えるつもりか」
父の声には、懸念が滲んでいた。
「ダ・ヴィンチも越えたわ」
「ダ・ヴィンチは、戦争機械の設計図も持っていた」
フランツが静かに告げる。
「お前は、それとは違う未来を—」
*
バーゼルに向かう列車の車窓に、夕暮れが映る。
「国境警備が強化されています」
篠宮がタブレットを見せる。
「バーゼル中央駅は、最も警戒が厳しい」
「では?」
「地方路線です。ここで降ります」
人けのない小駅。二人は闇に紛れるように列車を降りた。
篠宮は地図を広げ、LEDペンライトで一点を示す。
「ライン川に沿って、この位置まで。建築物の配置から見て、ここが監視の死角になっているはずです」
建築士の目が、地形を読み解いていく。
夜の山道を、二人は黙って歩く。
時折、パトロール車のヘッドライトが谷間を照らす。
その度に、木々の陰に身を潜めた。
「どうして、そこまで」
息を潜めながら、レオナは囁く。
「レオナさんの研究は、人類の分岐点です。それが戦争に使われるか、それとも—」
言葉は闇に溶けた。
夜が明けた。
ようやく国境の山を越えた二人は、小さな町のカフェに滑り込む。
霧雨に濡れた服を乾かしながら、温かいコーヒーを飲む。
「これからが本番です」
篠宮が静かに告げる。
「僕はブリュッセルに向かいます。そうすれば彼らの注目は私に集まる」
「篠宮さん...」
「レオナさんは、アルプスを目指してください。この後、私の方で充分な騒ぎを起こしますから」
彼は微かに笑った。
「ETHのヴァイス教授から、確かに調査を依頼されました。でも—」
篠宮はコーヒーカップを見つめる。
「レオナさんの研究に出会って、単なる任務以上のものを見つけた」
「デジタルの中の生命」
「ええ。それは兵器になり得るし、人類を救うことも出来る。その分岐点に、私たちは立っている」
夜明け前。
小さな駅のプラットフォーム。
「さようなら」
それだけを残して、レオナは始発列車に乗り込んだ。
窓の外で、篠宮が手を振っている。
その姿は霧雨の中に、ゆっくりと溶けていった。
前方に、アルプスの峰々が、白く輝き始めていた—