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漫画名言の哲学「HELLSING:漫画における戦争表現の哲学的考察」

漫画における戦争表現の哲学的考察

―『HELLSING』少佐の演説分析を中心に―

著者:財前創平
キーワード:ヘルシング、少佐、戦争


本論文は、平野耕太の漫画『HELLSING』に登場するキャラクター、「少佐(本名:モンティナ・マックス)」の戦争礼賛演説を分析対象とし、現代社会における戦争の表現と暴力性の問題について哲学的考察を行うものである。特に、その表現の過剰性が持つ逆説的な啓示機能に注目し、現代社会における構造的暴力の問題を明らかにすることを目的とする。

1. はじめに

1.1 研究の背景

21世紀に入っても、世界から戦争は消滅していない。むしろ、その形態を変えながら、より複雑化・多様化している。ウクライナ戦争やガザ地区の紛争など、現代の戦争は従来の国家間戦争の枠組みを超え、より重層的な様相を呈している。このような状況下で、戦争を表象する文化的テクストの分析は、新たな重要性を帯びている。

1.2 研究の目的と意義

本研究は、大衆文化における戦争表象の一例として、漫画『HELLSING』の分析を試みる。特に、敵役として登場する「少佐」の演説に焦点を当て、その哲学的含意を明らかにすることを目的とする。
少佐の演説は、以下のような言葉からはじまる。

諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が大好きだ

平野耕太著「HELLSING」

この倒錯的とも言える演説の分析を通じて、戦争への欲望を生み出す思想的メカニズムの解明に寄与することを目指す。


2. 分析対象

2.1 作品概要

『HELLSING』は、平野耕太による吸血鬼を主題とするダークファンタジー作品である。本研究が着目する少佐は、ナチスの残党「最後の大隊(ラストバタリオン)」ことミレニアムのリーダーとして登場する、物語における主要な敵役(アンタゴニスト)である。

2.2 少佐の人物造形

少佐は、極めて特異な思想と存在性を持つ、倒錯したキャラクターとして描かれている。眼鏡をかけた肥満体の中年男性という、一見して英雄的とは言い難い外見を持つ一方で、圧倒的なカリスマ性を放つ。
その小市民的な容貌が示す通り、彼は身体的能力にも劣り、銃の腕すらない。しかし、その思想と意思で、力の象徴であるナチス残党兵達をまとめ上げる。
極め付けは、第二次世界大戦下の経験から、主人公アーカードの打倒に異常な執着を持ちつつ、一方でその力に対し強い憧れを抱いていると言う点である。
このように、少佐は常に何らかの倒錯性を持つ存在として描かれる。彼が言い放った、「手段の為ならば目的を選ばない」という発言は、まさに彼の倒錯性を体現するものといえよう。

2.3 演説テクストの位置づけ

本研究が分析対象とするこの演説は、ロンドン侵攻を目的とする「第二次ゼーレヴェ作戦」開始時のものである。この1300字にも及ぶ演説は作品中で1話全てを使って描かれ、後に多くのパロディ作品を生むほどの影響力を持つものとなった。ここには、戦争を遍く愛する「本物の異常者」としての彼の思想が集約的に表現されている。


3. 演説の構造分析

3.1 修辞学・記号論的アプローチ

3.1.1 修辞構造の分析
演説の基本構造は、以下の三層で構成されている:

a) 宣言的反復

諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が好きだ
諸君 私は戦争が大好きだ

この三連構造は古典的な演説術における漸層法(クライマックス)を用い、「大好きだ」で頂点を形成する。

b) カタログ的列挙

殲滅戦が好きだ
電撃戦が好きだ
打撃戦が好きだ
防衛戦が好きだ
[...]

戦争の形態を網羅的に列挙することで、全体性を表現する。各行末の「好きだ」の反復は、詩的リズムを生む。

c) 空間的展開

平原で 街道で
塹壕で 草原で
凍土で 砂漠で
[...]

この構造は、戦場の多様性を対句的に列挙し、戦争の遍在性を表現する。

3.1.2 記号論的解読
バルトの記号論を援用すると、この演説には以下の記号的特徴が見られる。

a) 戦争の形態それぞれが、単なる軍事用語を超えた意味作用を持つ:

  • 「殲滅戦」→完全な破壊への意志

  • 「電撃戦」→近代的な速度と効率

  • 「防衛戦」→抵抗の美学

b)空間的記号:

  • 「平原」「街道」→開放性

  • 「塹壕」「砂漠」→極限状況
    これらは実際の地形以上に、人間の限界状況を表象する記号として機能している。

これらの描写は、暴力の具体的表現でありながら、ある種の美的体験として記号化されている。

3.1.3まとめ
この演説の恐ろしさは、まさにこの「狂気の体系化」にある。狂気じみた戦争賛美を、きわめて理性的な形式で展開することで、聴き手の理性的な防衛機制を突き崩していく効果を持っているのだ。​​​​​​​​​​​​​​​​
続く節ではこの「体系化された狂気」を哲学的に分析していく。

3.2 哲学的アプローチ

3.2.1 ニーチェ的視座:力への意志と永遠回帰
少佐の演説は、ニーチェの「力への意志」の概念と深く共鳴している。特に「戦争が好きだ」という宣言の反復は、単なる好戦性を超えて、生への意志の極限的表現として解釈できる。また、様々な戦争形態の列挙は、永遠回帰の思想とも呼応する。つまり、戦争という出来事の永遠の反復への意志表明として読むことができる。

3.2.2 バタイユ的観点:過剰と侵犯
戦争の美学化という側面は、バタイユの過剰の概念から理解することができる。少佐の演説における戦争描写は、合理的な目的を超えた純粋な消尽として現れる。これは、バタイユの言う「呪われた部分」としての暴力性を体現している。

3.2.3 アーレントとベンヤミン:暴力の問題
少佐の戦争賛美は、アーレントの「悪の陳腐さ」とは異なる次元で暴力の問題を提起する。また、ベンヤミンの「暴力批判論」の視点からは、この演説は「神的暴力」の倒錯的表現として読むことができる。

3.2.4 ジジェク的観点:イデオロギー批判
過剰な戦争賛美は、逆説的にイデオロギー批判として機能する。これは、ジジェクの言う「イデオロギーの超自我的享楽」の典型例として理解できる。2)

3.2.5 フーコー的権力分析
戦争形態の列挙は、権力の微細な作用の目録としても読める。特に「身体の機械化」というモチーフは、規律訓練的権力と生権力の交差点として解釈可能である。

4. 考察

4.1 表象としての戦争

少佐の演説における戦争表象は、現代社会における戦争表現とは本質的に異なる特徴を持つ。現代メディアにおいて戦争は往々にして、サニタイズ(無害化)されるか、あるいは単なる残虐性の表現に矮小化される。しかし、少佐の演説はこの両極を超えた地点に位置する。

空中高く放り上げられた敵兵が効力射でばらばらになった時など心がおどる

この描写は一見、単なる残虐性の表現に見える。しかし、「心がおどる」という美的体験との接続により、通常の戦争描写の文法を逸脱している。この逸脱こそが、現代の戦争報道や一般的な戦争表現が隠蔽している「戦争の本質」を、逆説的に暴露する効果を持つ。

4.2 戦争の美学化と倫理

さらに、少佐の演説の特異性は、戦争を純粋に美的体験として描く点にある。

悲鳴を上げて燃えさかる戦車から飛び出してきた敵兵をMGでなぎ倒した時など胸がすくような気持ちだった

このような描写は、通常のモラルや倫理を完全に超越している。しかし重要なのは、この超越が単なる反道徳ではないという点だ。ここには独自の美学的原理が働いており、それは戦争という現象の本質に迫ろうとする試みとして理解できる。

4.3 現代社会への示唆

少佐の演説が投げかける問いは、以下の三点において現代的な意義を持つ:

  1. 暴力の表象可能性
    メディアが戦争をどのように伝えるべきかという問題に対して、この演説は過剰性による批判という一つの回答を示している。

  2. イデオロギーと暴力の関係
    少佐の戦争賛美は、一見して病的な狂気に見える。しかし、現代社会における構造的暴力の存在を考えるとき、その「狂気」はむしろ社会の隠れた本質を照射している。

  3. 戦争と人間性の問題
    「戦争が好きだ」という率直な告白は、人間の暴力性という根源的な問題に私たちを直面させる。この問いは、テクノロジーが発達し、戦争の形態が変化した現代においてもなお、その重要性を失っていない。

5. 結論

本研究を通じて、漫画における戦争表象が持つ批判的可能性が明らかになった。特に、『HELLSING』における少佐の演説は、その過剰性によって逆説的に現代社会の暴力性を照射する機能を持つことが示された。

このような分析は、現代における戦争表象の新たな理解可能性を開くものである。同時に、大衆文化における批判的表現の可能性についても、重要な示唆を与えている。

少佐の特異は、「過剰なまで暴力への意志」を、「過剰なまでに秩序立てて」描写した点にある。この演説はその狂気の表象でありつつも、逆説的に強烈な戦争批判としても機能するのである。

1) 本稿における演説の引用は、平野耕太『HELLSING』(少年画報社)による。

2) ジジェクの「イデオロギーの超自我的命令」については、『イデオロギーの崇高な対象』参照。

​​​​​​​​​​​​​​​​参考文献

  • アーレント, H.『人間の条件』

  • バタイユ, G.『文学と悪』

  • ジジェク, S.『イデオロギーの崇高な対象』

  • ニーチェ, F.『権力への意志』

  • ベンヤミン, W.『暴力批判論』

  • バルト, R.『記号の帝国』


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