見出し画像

トランスジェンダー追悼の日に寄せて

私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ

「私たちの望むものは」作詞・作曲:岡林信康


在野社というちいさな出版社の代表であり、編集責任者をつとめる浅野と申します。
小社初の刊行物となるコミックス「となりのとらんす少女ちゃん」を、来春の出版を目指して制作中です。同時に、制作資金を確保するためのクラウドファンディングも行っています。


「となりのとらんす少女ちゃん」は、トランスジェンダー(MtF:男性として生まれたが、現在は女性として生活するひと)であることを公言している漫画家・「とらんす少女ちゃん」の初の作品集です。
ネット上にてセクシャルマイノリティ当事者に読まれ、書籍化を切望されてきた作品群を小社が編むことになりました。この際のいきさつはクラウドファンディングのページでもスペースを割いて書いています。

このクラウドファンディングがきっかけとなり、新聞の取材を受けることにもなりました。その際、わたし自身もトランス当事者であることを公表しました。

さて、11月20日はトランスジェンダー追悼の日とのことです。
不勉強なことで、存じませんでした(じぶん自身、当事者であるにもかかわらず)。

その程度の認識しかないわたしが、トランスジェンダー差別の撤廃を訴えたところでそらぞらしい文章しか書けないでしょう。対話を重ねたり資料を読みこむなどを通してトランスへの理解を深めてきたひと、当事者の地位を向上する活動に身を捧げてきたひと−−真摯に厳然とするトランスジェンダー問題に向き合ってこられたかたがたの声明をまえに、わたしが重ねて述べることなどありません。リポストというかたちで支えることに終始するばかり。それで十分だとも思っていました。

しかしながら、これからトランスジェンダーをテーマにする書籍を刊行する出版社として、あまりにもさもしい態度ではないかと思い直し、なんとか「11月20日中」に間に合うようこの文章に向かっているところでした。残念ながら間に合いませんでしたが……(世界で一番日づけが変わるのが遅いのはアメリカ領サモアとのことで、日本との時差は20時間とのことでした……)。

せっかく書いたものをむざむざ放棄してしまうのもしゃくなので、書き続け、ここに至ります。

躍起にキーボードを叩くわたしの脳内では、「私たちの望むものは」のメロディが繰り返されています。
激動の1960〜70年代にかけて多くのプロテストソングを生み出したフォークシンガー、岡林信康の代表曲のひとつですが、現在40代のわたし自身がそれを聞いて育ったというわけでは当然なく、「Kokua」(スガシカオ氏を筆頭にするバンド)のカバーとしてはじめて聴きました。
他のミュージシャンのカバーをあまり残さない、スガ氏の数すくないカバーテイクのひとつでもあります。


しんみりとくる「いい曲」です。
いかにもフォークソングらしい、わずかばかりの欺瞞の匂いも否定できませんが、「あなたを殺すことではなく、あなたとともに生きること」とは、時代を超えて、現代の諸問題、とくにトランスジェンダーの問題にも通じる理想を表現しているように感じます。

ただ、曲が進むにつれ、歌詞は

私たちの望むものは あなたと生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ

「私たちの望むものは」作詞・作曲:岡林信康

と、不気味なトーンに変わっていきます。

「私たちの望むこと」の意味が反転する。

わたしはこのように考えます。
あまたのプロテスト−−自らの理想を、声を張り上げ、拳を突き上げて訴えることは、いつか、どこかで、「だれかを殺そうと望む」ことにつながっていくのではないか。
反対勢力を血まつりにあげることが、至情の命題にすりかわってしまうのではないか。

先日の兵庫県知事選は劇的な結果に終わりました。
当初劣勢と伝えられた現職を支持したひとたちが「メディアの印象操作に打ち勝った」と喜びを噛み締める一方、対抗候補を支持したひとたちは、現職とそれを応援する勢力の選挙戦略に着目し、デマに惑わされるおろかなひとびとだと嘆く。あるいは現職の再選が叶ったというだけで、兵庫県に在住するひとたちを一緒くたに罵る声も聞こえてきます(そのひとが、だれに投票したかなどわからないのに……)。

分断が進んでいます。

世界が100人の村だと仮定したとき、51対49で勝った勢力が「われわれこそ民意を勝ち取った正統である」と喧伝し、他方の勢力をないがしろにする。少数派となった勢力も、他方を蔑み、先鋭化していく。
それが2024年現在に見られる、日常の風景です。

県知事選の政見放送で、候補者の立花孝志氏が演説の最後に述べたことばが、とげのように突き刺さって消えません。
「ネットが正義、テレビは悪」

なにかを正義と定め、なにかを悪とする。
その正当性を盲目に追い求め、煽り立てることは、いつか自らの反対にいる存在を「殺されてもいい」と軽んじることにつながっていくのではないか。

だから、わたしが、在野社が求めるべきは正義ではない。
争うことではない。
出版という文化が取り上げてきたのは、決して正義や悪という二者択一に回収できない、うすい皮膚の一枚うちがわにある、人間自身だったはずです。
だからわたしたちが目指すものは、われわれを育んだ出版文化に深く感謝し、その発展に寄与すること、そして次代にこのオルタナティブな営みを引き継ぐということ。
いずれの対立にも与さなくていい、わたしたちが、わたしたちらしく生きられる「よりどころ」を確保するということ。

「とらんす少女ちゃん」さんの作品はトランスジェンダーを主に描いていますが、そればかりがオファーの理由ではありません。人間という存在そのものへの愛を深く感じられる、普遍的な物語を描く技量に可能性を感じたからです。このひとに賭けてみたいと、思いました。

このたびのクラウドファンディングでは「市井に生きるトランスジェンダーと、となり合わせるわたしたちのための物語」というタイトルを付けました。
「ともに生きる」ということは、こんなにも難しい。けれどもそれを乗り越えて、理解しあいたい。
いつかそのような日が訪れることを願う、その意思を込めました。

一方で、こうも思います。
現に有形無形の暴力にさらされ、生活を脅かされているひとたちがいる。だとしたら、こんな文章はきれいごとかもしれない。
でも、たとえきれいごとだとしてもこれは、沼津という地方都市に住み、ちいさな出版社の閑散としたSNSをちまちま更新しているわたしのリアルです。
わたしの体内をめぐる血が編んだ、ことばです。

なにを論じるにしても、ここを立脚点としてはじめたい。そうでなければ、ことばは空疎なものになってしまうだろうから。
わたしはわたしのリアルを引きずり、きょうを生きています。

最後に、先人に追悼の意を捧げながら、この文章を結びます。

だれも殺される必要などない。
殺されることを、望まれる謂れはない。

そしてわたし自身も、殺されたくはないと真に思うと同時に、だれかが殺されることを望むような人間にはなりたくないとも思う。
たとえそのひとが、どのような信条の持ち主だったとしても。


合同会社在野社
チーフエディター 浅野葛

いいなと思ったら応援しよう!