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+47days(「となりのとらんす少女ちゃん」制作メモ②)
この一連の記事のサブタイトルを
(「となりのとらんす少女ちゃん」制作メモ)
と改めます。
前記事から長く日が空きすぎたという理由もありつつ、せっかくならクラウドファンディング中に止まらず、この作品が出版されるまでを追うべきだと思ったので。
だいぶ日が空いてしまった。
前回の記事に「+7days」というタイトルをつけたのは、日々思うことを、記憶があたらしいうちにアウトプットしておきたいと思ったからだった。毎日は無理だとしても、1週間にいちどくらいは振り返りたいという意味で「7days」だ。
ところがいざ文章に向かうと、きちんとしたものを書きたいという自らの欲が出て、あれもこれもと膨れ上がり、なかなかリリースできない……という状況が続いている。そうして本来の趣旨とは遠ざかってしまっていた。
単純にわたしの文章を打つ手が早くなればいいのだが、人生折り返し地点にいる四十路にそのような能力開発はいまさら望めない。
で、開始から1週間のうちに書いた前記事からもう何週間も空いてしまい、気づけば終了まで2週間ほどになっている。
ここでやるべきことは、読みものとして重厚なものを書くことではないだろう。
多少文脈がつながらないことがあっても、いまの感情や考えていることを残すことが肝要だ。
原点に立ち返る。
◆
9月下旬ごろからすこしずつ各地の書店へごあいさつに伺っている。
目下のところ、静岡県下はもとより、東京都、神奈川県、埼玉県などの首都圏(圏央道が通って、埼玉もだいぶ身近になった)、作者・とらんす少女ちゃんの地元である大阪府を中心とした関西一円、わたしが過去の長い時間をすごした広島県などで活動を展開している。
「ひとり出版社で営業に回ってるかた、あんまりいませんよね」
ということばを投げたのは、広島市安佐南区にある「Lounge B books」の桐谷さんだったか。
そうなのだ。
それも在野社はまだ、ただの1冊も「実際の」売りものがない。
正気の沙汰とはいえない…まで断じることはできないまでも、かなりの愚行のような気がする。
文字どおり「ひとり」である。限られたリソースだ。ほかに回すべき要件はいくつもあるというのに、それを差し置いてまでやるべきことなのかどうか。
疑問を拭えぬまま、それでも街に出てチラシを配り歩く。
![](https://assets.st-note.com/img/1731076381-L3atFejK6u2HfJMGQSXqwyCZ.jpg?width=1200)
先日クラウドファンディングにリリースした近況報告では、同様のことを「このようなこころざしを持った漫画家や出版社が、この世界に”ほんとうに”存在しているのだとお知らせしたい」と書いているのだが、実際にはもうすこし踏みこんだことを考えてもいる。
まず第一に、わたしはあまり書店というものをよくしらない。
出版業界や書店で勤務した経験もなければ、一読書人としても特に近年は実書店から足が遠のいている。
コロナ禍の影響もある。社会的な動物である人間が、密に、つながり合うことを禁じられた。
書店は客同士の間隔が緊密になりやすく、本自体も不特定多数が手に取るという意味でウィルスを媒介する可能性がある。わたし自身、どこかで忌避の対象としていたのだと思う。
さらに付け加えるなら、わたしが購読する書籍はもはや電子書籍ばかりだった。
かつてはその選択肢がないこともしばしばあったが、いまでは電書版がないことはほとんどありえない。「試し読み」も充実してきた。真夜中、ベッドに寝転がってねむりを待つ時間であっても、人差し指ひとつで読みたいものを探して、読める。その便利さたるや。
紙書籍の制作をしている出版社の代表として、対外的には、「読みたいページをめくってパッと出せる」など紙書籍にしかないメリットを語るけれど、それも電子書籍で十分に実現できることが多くなった。それどころか、マーカー機能など一部機能の利便性は紙書籍のそれを上回っているようにも感じる。紙書籍でマーカーを引けば、非可逆的に紙面を汚してしまう……。そしてスペースを取らないという優位性は、どうにも揺るがない。
それでも在野社は紙の書籍を出版することを決めた。
書店を知らないわたしだから、まずは現場を見てみないことにははじまらないと思った。
在野社の作品がそこでどのように迎えられるのか、温度感を知りたかった。だからこれは、ドライなことばを選ぶなら「市場調査」ということにはなる。
もうひとつの理由は、アンチのできないことをやろう、という姿勢を示したいと思ったからだ。
たとえば、わたしは#とらファンがはじまり、X上での炎上が顕著になりだしたころ、日記がわりにこんなメモを残している。
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デビュー作、ってこういうものなんだろうか。
新人にとって世間とは、興味を示してくれるか、無関心かのいずかのことが多いと思う。
だから新人の戦略は、無関心層にいかに食いこんでいくか、あるいは逆に、いかに距離を取るかが中心になる。
が、このたびの「とらファン」は、悪い意味での関心を集めまくっている。
「いいね」二ケタ台なのに、ページビュー10万以上って……。
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わたしのビジョンや在野社のロールモデルとして、会社代表が書籍編集の実務未経験という点で共通する「夏葉社」や「点滅社」の活躍が念頭にある。
こつこつと実績と知名度を積み上げていき、いずれその努力が報われる。
どことなく、わたしや在野社もそういう成長ストーリーを辿っていくのだろうと思っていたし、そうあってほしいと望んでいた。
ところが待ち構えていたのは、クラウドファンディング開始早々からのアンチ・トランスジェンダー層からの攻撃だった。
作者がアンチトランス的なアカウントに目をつけられているということは知っていたが、(そもそもわたしが作者を知ったのも、そうしたアンチへのリプライを見たのがきっかけだった)、攻撃の可能性をだいぶ甘く見積もっていたところがある。
いわゆるバズを生むことを、「バカに見つかった」と表現するひともいる。
悪名は無名に勝る。そう考えればこれは千載一遇のチャンス、喜ぶべき事態なのかもしれない。
しかし、これまでフォロワー二ケタ台がいいとこで、地味にネットをやってきた人間にはいささか刺激が強すぎた。
「極北にきてしまった」とも、メモにはある。
ネット上でのできごととはいえ、誹謗中傷に心身を病んでしまうひとたちのきもちがわかったような気がした。
でも実際、その悪評が轟いているのも限定的な場所でしかなかった。
わたしや在野社がある沼津でだれかがそううそぶいているわけではない。ネット上に限っても別のSNSチャンネルなどではまったく聞こえてこない。
考えかたを改めようと思った。
アンチ・トランスジェンダーというひとたちが、ネット上の限られたスペースにおいて憎悪を増幅させているのなら、そこにわたしは、在野社は立ち入らない。その必要がないからだ。やりたいことは、相手を打ち負かしたり、ヘゲモニー闘争に打ち勝つことではない。
わたしは「とらんす少女ちゃん」という漫画家の作品に惹かれ、可能性を感じた。作者の作品の多くが世の中に出ず、埋もれていってしまうとするならば、損失は計り知れないと思った。
だから、いま、クラウドファンディングを興し、作品の周知に努めている。
こころざしをもった漫画家とその版元が、この世界に、たしかに存在するのだと。
たかがネットの極北で流布する憎悪に気を取られるな。足を動かせ。一枚でもおおく、チラシを配れ。
そうしてようやく、回った書店は20を超えた。
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