The GORK 1: 「S.O.S」
身体は全く動かないのに、視聴覚器官だけはまだ生き残っていた。
どうやら全身の神経の配線がズタズタになったらしい。
が、いい事もある。
これで痛覚が生きていたら、俺は痛みの無限地獄の真っ只中にいる筈だ。
でもストレッチャーに乗せられて、見覚えのあるこの病院の緊急搬入口を見上げた瞬間、俺はマズイ!と思った。
ここは、兄、宗一郎の息の掛かった私立大病院だった。
普段でも俺は兄貴に引け目を感じながら生きているというのに、この上、こんな病院でお世話になるような事になったら、俺は一生、兄貴に頭が上がらなくなる。
しかもここは姪の香代がいる病院だぞ。
もちろん俺をここまで運んでくれた緊急隊員達が、そんな事を考えて病院の選定をする筈がないから、運が悪いのは、只々、俺自身のせいだ。
それにしても、俺がこんなにボコボコにやられる原因の発端となったのが、香代で、その香代が入院している病院に運び込まれるとは、、。
つくづく俺は、運の悪さと腐れ縁に恵まれた男と言える。
これで俺が植物人間の状態にでも陥ったら、「運の悪さ」と「腐れ縁」に、「疫病神」の存在も付け加える必要があるだろう。
そして多分、俺の疫病神は、この病院の大脳生理学の臨床医である江夏由香里先生みたいな顔をしてるに違いない。
重度の脳損傷を受けた人間は、いわゆる植物状態や最小意識状態に陥る場合がある。
そのような人間は、言葉を発したり自分の意思で体を動かすことができず、周囲の世界も認識していないように見えるものだ。
ところが近年、神経科学の分野において、そんな患者の一部は、ある程度の意識をもっている可能性があるという事実を、一つの新しい技術が証明して見せた。
脳領域を結ぶさまざまなシナプスネットワークの連結を感知分析し、そこに繋いだコンピューターを使って、開かれざる患者の意識に、外部の人間が対話を試みるという技術だ。
これを普通にやって、病状の改善の為に役立てるなら何の問題もない。
だがこの江夏由香里先生は、モンスターだった。
「弟まで、こんな目に合うとは、、、」
ロマンスグレーの髪をオールバックにした彫りの深い顔立ちの兄貴が言うと、物事が如何にも悲劇的に聞こえる。
いや実際、情況は充分悲劇的なのだが、身体の方はボロボロなのに俺の頭が冴え渡っているから、こんなに分析的になる。
「いえ、不幸中の幸いですよ。私のいるこの病院に運び込まれて来たんですから。それに香代ちゃんと同じ処置が施せます。弟さんの方が軽度だから回復の見込みはあります。いろいろな意味で良かったんですよ。これで香代ちゃんも寂しくなくなる。」
兄貴と江夏先生のやり取りだ。
意識が断続的になって来ている。考えが混濁していくというより、ブツブツと切れて行く感じだ。
そして眼球は動かないが、光景は見える。
音は聞こえる。
暑さ寒さは感じない。
此処は集中治療室か?いや違う。
香代がいる部屋と同じだ。天井に珍しいいろいろな機械がぶら下がっている。
ここに香代がいるのかどうかはわからないが、俺が植物人間専用の病室にいるのは確かだった。
・・・やめてくれ、兄貴、江夏先生は駄目だ。
兄貴は自分の娘可愛さに、いつもの慧眼が曇っている。
確かに江夏先生は、この分野でのバイオニア的存在だが、凄くあぶない女なんだ。
俺は、この先生に初めて出会った時に何かピンと来るものがあったから、裏で江夏先生に付いて色々調べさせて貰っていたんだ。
この女は、やばい。
兄貴、あんた程の人が、なんで気づかない。
確かに、俺も初めて江夏先生を見た時は、彼女の日本人離れした美貌や大柄なグラマーボディにクラッとは来たが、直ぐにその内面のおかしさに気がついたんだぞ。
正直言って、二度目の時なんか、こいつは、何処かのデブなオタク野郎が大金を積み、全身整形の性転換をやって美女に化けてんじゃないかと思ったくらいだ。
あの時、「これが貴男の娘さんの意識世界です。娘さんはちゃんと生きてるんですよ。」とか言いながら見せられた下手なゲーム世界みたいな疑似バーチャル映像で、心を持って行かれちまったのか?
親馬鹿も大概にしろ、裏世界の大立者の名が泣くぞ。
いやそれともアンタが若い頃に産ませた娘なのに、例の事件のせいで肉体的には高校生で成長を停止している香代が、もし大きかったらとか、この江夏先生にダブらせて考えているのか?
「私にこの方を任せて貰っていいですね?」
「ああ、弟には私しかいないからな。私が唯一の親族だ。香代と同じだよ。宜しく頼む。」
ダメだって兄貴!
患者の頭に電極突っ込んで、バーチャルゲームまがいをやるような人間に俺を預けないでくれ。
香代が、色々な病院を回って、最後にここに腰を落ち着けたのとは意味が違うだろ!
時々、運が良けりゃ起動する壊れたハードディスク上のOSみたいになってる俺。
一応、それらしいディスクトップ画面にはなるが、アプリケーションをクリックした途端に、、、いや、ちゃんと聞こえてるし、見えてる。
えっ?江夏先生、あんた、手術着みたいなの着てない?
なのに、ここは俺の知ってる手術室の雰囲気じゃないぞ?
助手は何処にいるんだ?まさかあんた人目を盗んで勝手に物事を進めているんじゃないだろうな。
あんたの専門分野は、超特種で、あんたはそのスペシャリストだ。
病院側には、何をやってもなんとでも取り繕える。
俺は調べたんだ。あんた他にも色々やってるだろ!
「本当に貴男の頭の状態は素晴らしいわ。あの程度の接触不良なんて、私の手に掛かればイチコロよ。ほんとに私が求めていたモノにピッタリ、あんなプロトタイプのコンバーターじゃ、香代ちゃんの素晴らしい内面宇宙の百億分の一も触れる事が出来ないんだもの。そうね、、、貴男の脳髄は、エンタープライズ号なんだわ。そして貴男の意識はカーク船長なのよ。The GORKに向かってワープ・ワンで前進!」
この女、やっぱり狂ってる。
他人が居る時は、まともな振りをしてるだけだ。
頭は無茶苦茶いいクセに、心はただの逝かれたナード野郎だ。
それでいて外面はセクシーな美女と来てる。
いや、そっちはどうでもいい!
誰かいないのか!こいつを止めてくれ!
俺の視野の上空を江夏先生のゴム手袋を嵌めた手が横切った。
暫くして、突然、俺の目の前は真っ暗になり、今度は映画スタートレックの最初の場面に切り替わった。
勿論、映画を見せられているワケじゃない。
まさか、先ほどの江夏先生のオタクな独り言をきっかけにして、俺が昔、映画を見た時の記憶が蘇っているのか?
それにしても怖ろしい程のクリアさだ。
細部も完全に再生されている。
まるで本当に映画を見てるみたいだった。
そうなんだ、、、あくまで「みたい」だ。
今この瞬間、絶対、俺は映画なんか観てない。
香代の頭に繋がっていた、針医者が使うような、いやあれのもっとゴテゴテした電極みたいな奴を、俺は頭に刺されているに違いない。
「内面宇宙 The GORK、それは人類に残された最後の開拓地である。 そこには人類の想像を絶する新しい文明、新しい生命が待ち受けているに違いない。これは人類最初の試みとして5年間の調査飛行に飛び立った宇宙船、 U.S.S.エンタープライズ号の驚異に満ちた物語である。」
よせ!俺はU.S.S.エンタープライズ号なんかじゃない!
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