The GORK 2: 「学生街の喫茶店」
2: 「学生街の喫茶店」
ドアを押して入ると僕の頭上で、ガランゴロンと金属の空洞の中を、丸い玉が転げる音がした。
ワックスと木の臭いのする店内は、やけに甘ったるい男性コーラスの歌声で満ちている。
その発信源は、この店の一番奥にある派手なデコレーション付きの洗濯機の親玉みたいなものだった。
確か「ジュークボックス」って言うんだ。
僕は自分の頭の中に正解を見つけだし、ちょっといい気分で店内をもう一度見渡した。
窓際の席に沢父谷姫子がいて、丁度こちらに顔を向ける瞬間だった。
良い方のあだ名が「サファイア姫」、悪い方のあだ名は、、あまり口にしたくはない、、が男にもてるのは確かだろう。
沢父谷姫子の顔に笑顔が広がるその様子を「花が咲いたように」と言えば文学的なんだろうけど、彼女の美しさは、花と呼ぶには何処か人工的な色彩が強すぎた。
サフヤヒメコは、そんな女の子だった。
「変わった雰囲気の店だね。」
「だって、リョウ先輩誘うのに普通のお店じゃ笑われそうだし。ココ見つけるのに雑誌三冊も買ったんだから。スマホじゃ見つけられない、ほんとにプレミアムなお店なんですよ。」
姫子がはにかんだように言った。
悪くない、でもティーン向けのファッション雑誌の表紙に映えそうな美貌には、「はにかみ」はあまり似合わない。
ジュークボックスから流れ出てくる音は、ミディアムテンポを保ちながら急上昇と急降下をゆっくりと繰り返している。
今は7 0年代の歌謡曲や文化が密かなブームになりはじめている。
もうすぐ60年代にも、そのブームの触手がのびそうだった。
ブームのきっかけはわからない。
訳知り顔の人間たちは、色々な説明をするけど、本当の事は例によって誰にもわからない。
でも人はバラ色の未来を恋い焦がれる様に、甘いセピアの過去に安堵するのは確かだ。
だから先が見えない現在のような社会状況では、その嫌な気分を打ち消す為に、「昔」を持ち出して来ようとする大人達の気持ちはとてもよく分かる。
僕がバイトで行ってる探偵事務所の目川さんの懐古趣味だって、多分その辺りだろう。
そして若い僕達の様な世代に、このレトロブームが受け入れられるのは、単純にそれが格好良く見えるからだ。
自分が知らないものは、全部新しい。
でも明日、風向きが変われば、誰もこんなものを覚えちゃいない。
「ずいぶん甘い曲だね。でも悪くない、甘味料じゃなくて本物の真っ白な砂糖って感じ。」
「この曲、学生街の喫茶店っていうんですよ。」
もしかしたらこの曲をかけたのは、姫子だったのかも知れない。
「ねーちゃん、ちゃー、しばけへんかーって奴?」
沢父谷姫子がキョトンとした顔をして僕を見つめる。
「先輩、似合わない、、。」
「・・そ、かな。」
僕は少し動揺した。
この外し具合、ひょっとすると僕は探偵事務所の所長さんに影響されつつあるのかも知れない。
ちょいワル親父の若年予備軍みたいな、ハンサムだか間抜けだか判らない所長さんの顔を少しだけ思い出す。
「70年代のイメージで固めてあるの、、先輩には凄く気に入ってもらえると思ったんだけどなぁ、」
僕が、大感激して見せなかったので、彼女に誤解を与えたようだ。
多分、彼女に言い寄る男達は、彼女のする事なら、どんな事にも大感激してみせるのだろう。勿論、そんなのは最初だけだけど。
で僕は?といえば、この店やこの曲が嫌いな方じゃない。
「確か君って、僕よりいっこ下だけだよね。そんなに歳は離れてないと思うんだけど、、君の当たり前と僕の当たり前は同期してる筈だろ。」
「だって、先輩変わっているんだもの。」
祖父江がさも当たり前の顔で、そうイイはなってくれた時、ウエイトレスが注文を取りに来た。
僕はアイスコーヒーと言う変わりに「れーこー」と言ってみた。
僕も少しは流行に敏いところを見せておく必要があるからだ。
それにこうなったのなら、僕は彼女の前では、このキャラクターで貫こうと決心したのだ。
あっ、それと僕は熱いものが苦手だ。
お前は、つま先から頭の天辺どころか、舌先まで猫みたいだと友達には言われる。
「で、今日は僕になんの用事だい?」
「恋の告白です。私とつき合って下さい。」
塗る付け睫の下で、沢父谷の瞳が輝いていた。
黒目が異様に大きくてはっきりしてるのはブラックカラコンを付けてるからか、、。
まあ珍しくはないけれど、やはり最近の懐古ブームの中では、カラコン使用はファッションとしてかなり遅れている。
今は「ちょっとだけ古め」の顔が流行りだ。
まあ、あくまで可愛い顔がより可愛いく見える、「ちょっとだけ古め」だけど。
僕は、この申し出に本当に吃驚した。
今まで学内で僕にプロポーズをした人間は山ほどいるが、それらはみんな男共だったからだ。
もっとも姫子達女子が入学して来るまでは、僕の通っている工業高校は男子校だったから、僕に女子が言い寄って来れるわけもなかったのだが。
それに例え、初めから男女共学であったとしても、僕に興味を持つ女性は「おなべ」しかいなかったかも知れない。
更にだ。
この目の前にいる沢父谷姫子は、男出入りの激しいことで有名だったのだ。
「おかしいな。」
「何がです。」
「君は僕の噂を聞いてないの?」
「知ってます、、、、じゃ、先輩は私の噂、知ってます?」
そう詰め寄られて、僕は即答が出来なかった。
正直に言って、僕の中では、ホモだとかオカマだとかの子供じみた悪口より、「公衆便所」や「サセコ」の方が、格が低かったからだ。
「あたしのこと、みんなが言うサセコだって思ってるわけですか?」
「僕の事、噂を信じやすい男かどうか、聞いているわけ?」
僕は答えをはぐらかす。
少し卑怯なような気もしたが、初めて会った相手の何が判るというのだ。
君の澄んだ目を見れば総てが判るよ、とでも言えばいいのか。
「・・ホントはそんなことどうでもいいんです。一番大切な事は、私が先輩を好きでたまらないっていうことだから。」
「あのっ、、言っていいかな。僕は君と今日初めて話をした。でも僕たちは、お互いの存在を1年前から知っている筈だよね。それに、君は恋心をずっと胸に秘めているようなタイプには見えないんだ。」
「それは判ります。正直言って、最初は先輩の事、全然興味なかったし、、。でも最近、先輩が女の子の格好をしてる写真をみちゃったんです。それが中学校の頃にずっと憧れてた人にそっくりで、この学校に来てから忘れようとしてた事、思い出しちゃって、、。」
「・・君って、昔は女の子が好きな人だったってことだ。」
姫子の顔に『そんなに単純じゃないけど』といった感じの表情が一瞬浮かんだ。
それにしても、わざわざ宗教系の女子中学校から「機械の勉強」がしたくて、この高校にやってきた生徒がいるという噂話を聞いた事があるが、まさかこの目の沢父谷がそうだとは、、。
サセコの噂。自分がレズじゃないって証明する為に男を漁ってる?そんな馬鹿な。
「これ見てから、返事して下さい。」
姫子が隣の席においてあったバックから取り出したのは、オリーブグリーンに小さなトマトのロゴマーク、アンテナショップ・カスラーで使われている紙袋だった。
袋の口は、内容物にあわせて折り込んである。
中味が飛び出すのを防ぐためだろう。
大きさからみてDVDケースのように思えた。
「なんだい?これ。」
「先輩には私の総てを知って欲しいんです。・・嫌われるかも知れない。でも、それでも私が先輩のこと好きになったって事、これで判って欲しいんです。私、後になって邪魔くさい事になるの嫌いなんです。好きなら好きで、とことん、ありのままの自分で、先輩を好きでいたい。じゃ、、、。」
姫子はそう言うなり、怒ったように立ち上がって、テーブルの上の伝票をつかみ取って僕の目の前から消えた。
変わった女の子、そしてなにもかも、唐突で一方的だった。
第一、僕が女装するのは、時たまでそれはデフォルトじゃない。
その姿に一目惚れしたのが、サファイア、君の「自分のありのまま」って事なのかい?
人は理解できない情熱を押しつけられた時、戸惑うしかない。
店内にはジュリーの「花の首飾り」が流れていた。
この曲は、僕が中学生の頃、当時一番人気だった物まねタレントが十八番にしてた曲で、良く覚えていた。
「・・咲くぅ」と刹那げに歌うその顔が、ジュリーとやらにソックリらしいのだが、肝心のそのジュリーって人を僕は知らなかった。
そう言えば、あの頃が、今の懐古ブームの始まりだったな。
・・今日は丸一日、いろいろな「花」が咲いたわけだ。
もっとも沢父谷は雛菊っていうイメージじゃないけど。
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