神の道しるべパート1音楽に隠されいた天皇とキリスト、カトリックの秘密。 ザイム夢我無罪

初め世界と、音楽の世界は、6音階10音でありドからラまでしかありませんでした。

この事は、後に、ドレミファソラシドの語源を検索した時、現実の世界においても、音楽の史実上において、実際に起きた史実である事が判明したが、天界で起きた事が、現世に描写されると言う、摂理から言って、私の構想が、全くのデタレメでない、裏付けとなったのであるが、ここに、書いた事は、、かなり昔に、ひらめいた構想を、練り上げ、多くのヒントと何がしかの導きにより高めて来た構想であり、それらを、後押しするかの様な情報により、有る種の確信を得つつ有るものである。又、後に追加して行った内容には、インターネットによる情報も加味し、その情報源についても、載せている。

それでは、続けよう!

ドは土(ど・つち)、レは霊(れい)、ミは実(み)、ファは、元々、ハァーで息を表し、ソは祖で、祖先を表し、ラは羅で祖先達が集まり、織りなす世界を表しており、ソとラを合わせて空でした。


ラの世界は、10番目にあり、とう、であり、1から9までは、ひとつ、ふたつ、と、「つ」がつきますが、とう、には付きません。此処(ここ)の「つ」から「とう」と、飛びたち、天を飛び立つ所でした。


それでは、天の上は何であったかというと、上の世界のドです。つまり高いドです。


音楽の知識を余りご存知でない方に、説明しますと、ピアノかキーボードを見て頂くと白い鍵盤と黒い鍵盤があった事くらいは、ご記憶かと思いますが、ドレミの各間にひとつずつ、つまり、ドとレの間に一つ、レとミの間に一つの二つと、ファソラシの間に一つずつ、計三つの合計五つの黒鍵盤があるのですが、それまで、ラまでしかなかったので、ラとシの間の黒い鍵盤とシの白い鍵盤がなく、つまり、ドからラまでの6つの白い鍵盤と、5つの内(うち)の一つ少ない4つの黒い鍵盤の合わせて、10個の鍵盤で出る音が全ての音の世界だったのですが、音楽には、音名と音階名とふたつの音の名前があり、基本となる、ハ長調。単調でいえば、イ単調が基本的音階で、ピアノでも、キーボードでも、普通のものなら、音名でハ音から、全全半全全全半と並んでいるのが、白い鍵盤に当たるドレミファソラシドで、全というのは、半音である、つぎの音を飛ばして、半音ふたつ分上の音へ飛ぶ音を全音と言い、飛ばさずに、次の音に飛ぶ事を半音と言います。ミとファ間には、黒い鍵盤がありませんので、半になっていて、シとドの間にも黒い鍵盤がないので、半と呼ばれ、その関係を表したのが、先程の全全半全全全半です。単調は、音名がイ音(おん)音階名がラの音(おと)ですが、ここから、白い鍵盤だけをたたいて、元のイ音までをたたくと、イ単調という音階になり、この関係を表すと、全半全全半全全になります。一オクターブは、全部で8音階ですが、これは、次の音階の初めの音を含めている為であり、音階名は、7つであり、調号的には、昔は7音階で現在8音階であるといえるのですが、音名あるいは、音階の音の名前だけを取り上げて話しをすれば、昔は、6音階1O音(獣音)、で現在は、7音階12音と、ここでは、そう呼ばして頂きます。

そして、このドレミファソラの最後のラの世界を10番目にあたり、最後の音で、音の頂点だった為、10は、テンであることから、天と呼び、天国と呼ばれていたのですが、そこには、シ音(シオン)がなく、死のない世界だったのです。そして、音楽の説明を追加すれば、どの音名の音からでも、その関係をくずさなければ、ドレミファソラシドとなり、単調では、ラシドレミファソラになるのですが、より高い音から始めると、キーが高いと言われ、たとえば、へ音であり、英語でF から始まるドレミファソアシドで歌った場合、キーがF

等と、言われるのですが、私自身も、キーや、調号などについては、本当は余り理解していません。

他の動画や知識で前見たのと対して変わらんと思わず最後まで見て欲しいのですが、続けますと、歴史的には、ラシドレミファソが、最初の音階で、音楽理論形成の結果、ドレミファソアシドと言う長調が、出来た為、英語では、C、日本では、ハからはじまる、音名に成り、その為、Gの後に、ABがきて、日本では、トの後にイロが来るようになった事に成っていますが、私の見解と言うより構想は、基本的にハ長調のドレミファソラシドで、ハニホヘトイロハなのですが、昔、6音階10音だった時、日本語においては、ハニホヘトイではなく、ハニホヘイロで、(葉に穂へ色)の世界だたのですが、とにかく、昔、6音階だった時の名残りが、三途の川を渡らせて頂く時に橋等でわたらせて頂けるよう死人に持たせた、お金の事を六道銭といいますが、人間の世界であるハァーと息をする6番目のへ音であるファの半音上の嬰へ音(えいへおん・と言い半音上がる時、音名に嬰・えい、が付き、半音さがる時、変・へん、が付く。そのため、嬰へ音と、変ト音は、同じ音であるのですが、(まだ6音階の時ト音がなかった為、変イ音と同じであった。)その嬰へ音が、三途の川であり、第3番目の黒鍵だった為と思われますが、六道銭を持たせてもらうと、へ音からイ音に渡れせてもらへ、祖の世に行くことが、できたが、ここに閻魔大王がいて、天国であるラの世界へ行く為の第九の音(苦の世界)を通って行くか、そのままロ天(ラの世界)に行けるか裁かれる。天使達は、第九の音である八衛と言う地獄をとおって、祖の世界へ下ったり、ラのロ天へ登ります。それは、自らを鍛えるためであり、ロ天から、次のド、つまり、上のハ音に登る為です。露天(ろてん)は、この名残りで、もちろん今でも、最後はロ音ですが、天を意味するのは、後で、述べますが、ト音あり、十色、の十であり、無限を意味する第8番目を意味する、ト音です。又、その事は、ト音とイ音をあわせると、ソラ(空)にあたり、聖書で、大空を天と名付けた事からも、ソであるト音から、ラであるイ音までが、天にあたると言えるのです。又、これは、これを書いて大分後に気づき付け加えるのですが、なぜ、6音階が出来、普通、機縁される死である、シ音があるかについて、聖書に神は、六日で世界を作り七日目に休まれた事が記されており、死は、決して、なくなる事ではなく、安む事を意味し、7と言う数はそれ故、神によって、聖別された、特別な数(かず)なのです。


又、ナイト(騎士)が活躍するのは、夜の世界だからと、かんがえますが、天の御国において、誰が、一番の神であり、天の王(ラに座す神)ラ王かを決める時、ナイト(騎士)たちは、ナインイエスを認め始めました。

つまり、ハイ、9(ないん)です。と1Oすなわちテンでないことを認め初めたのです。ところが、唯一、10・NOと私はあってあるもの。私は12音だ!と名乗ったのです。それが、神としての天皇(テン・ノー)でしたが、それまでの神は、音(おと)の名(な)であり、大人(おとな)では、ありましたが、音(おん)名(な)つまり、(おんな)であり確かに神の名である(御名・おんな・ミナ)でしたが、此処(ここ)に、音(おと)の子(こ)すなわち男(おとこ)の神が現れました。音(おと)子(こ)は、音子(おんし)であり、御子(みこ・神の子)でもありましたが、これらの話は、この世の話ではなく、神の世の話です。この神は、死をも統べられていて、ラの半音上の黒鍵とシ音の白鍵もお持ちでした。ところが、男であった為、特別な、ものが、付いておりました。それは、ちんちん。です。天皇陛下は、戦時中、朕(ちん)と呼ばれていしたが、朕とは、皇帝を意味し、ちんちんは(珍朕・めずらしき、こうてい)の意味だったのかもしれません。また、ちんぽは、朕宝(皇帝の宝)かも知れません。ちんこは、朕子(皇帝の子)であると想像します。

それでは、ちんちん、ちんぽ、ちんこ、と、どれにも付いている、「ちん」と言う音が、どこから来たか、考えますと、ハ長調の英語での音名はCから始まり、GからABへと変わりますが、変えずに、アルファベットを続けますと、H Iとなります。10音に新たに、加えた、黒鍵盤一つと、白鍵盤にH I をつけたとして、最初のCから、H Iまでも統べている事をCHI で表すと、「ち」になりますが、「ん」は、日本語の最後の音{おん}でもあり、音{おん}の「ん」でもあり、全ての音{おん}を統べることから、「ちん」となり、全ての皇帝であり、全ての

行程を終えた意味を持つ言葉が、朕{ちん}を意味し、神自身は、霊的存在でありますから、実際に、ちんちんが、付いていたかは、わかりませんが、我々に型取り人を創造されたと聖書にありますように、男にはちんちんが付いていたと考えます。

私の考えでは神の元々の意味は、可身{かみ}であり、身を持つことも、可能である事を意味していたと考えます。

そして、神としての天皇は、HITO(ヒト)をお作りに成る時、アダムとイブ(エバ)がいずれ、善悪を知る実を食べることを予測して、世界を「ハニホヘイロ」(葉に穂へ色)から、「ハニホヘトイロ」(葉に穂へ十色)の世界へ作り変えられました。

十色の十は、やがて来るキリストの必要性でイエスが十字架に掛けられる事と、地上に天の色が注がれるよう、願いを込める意味を含め付けられたもので、ト音に十の字が、相当しますが、ト音は、第8番目の音であり、無限を意味する天国を意味するよう、第8番目にト音を起き「ハニホヘトイロ」(葉に穂へ十色)にしたものです。

HITO(ヒト)のHI(ひ) は、ハ長調のH(ハ)で、I「あい、であると共にイ(意)」

は、意味の意の意味があり、TOは、ト音、天と地を分ける戸の意味もあり、その為、戸であるト音までの、祖(ソ)の世までで、そこから上はヒトではなく、神になります。私の考えでは、

又、ヒは、日を意味しトは渡、つまり、渡る、すなわち、日を渡る者の意味があるのです。日を渡って日々を越えて行きます。

神にも時は、存在しますが、日々を送るのではなく、時間を超越して存在する者であり、過去にも未来にも、自由に行くことが出来ます。HIには、「はい」の意味もあって、日本においては、上の者に、はい、と従う、基本的、性質があり、はい、という言葉を、気合を込めて言うと、実感すると、思いますが、肺などの、胸の辺りに、刺激を与えますが、NO、と答えている方が無難な国アメリカが、賢いのは、NOと言う言葉を発音すると、脳の頭頂部分が刺激を受けている感覚を受けると感じますが、意味的にも、従順さは、自ら考える事が、あまり、発達せず、逆に、NO、と否定するためには、理由を考えるなど、脳を発達される言葉であると私は、考えますが、脳の発達を追求すると、霊的成長が、遅れ、私利私欲に走りやすく成ると言う、傾向もあります。

ところで、ハニホヘトイロハ(葉に穂へ十色)の世界を創られた時、(葉に穂へ十色)の模型の7音の世界と、ト音以上の天の世界を、御恩の世界である、5音の世界に分けたとも考えられます。8が、無限を意味し、日本においては、末広がりで縁起の良い数字と成ったのは、この時からであります。

又、救世主であるキリストの事をメシヤと呼ぶのは、本来、アダム以前に、地上へ、神々が降り立ち、その国が日本であり、その国で食堂を飯屋(めしや)と呼ぶように成る事から来たと考えます。ユダヤ教にとって、古代イスラエルの地名であり、シオンが重要な言葉であるのは、神がシ音を治められていた事や、母音に対し子音(シオン)が現れた事に関係していると推測します。一説によりますと、天皇は、シュメールの時代より、世界を統治(支配ではない。)していたとありますが、ここで、話しを転じて、キリストと言う言葉の由来について、述べますと、女の神の聖域である性器の切り巣(キリス)に戸(ト)を設けキリストとされ、従順の返事を意味する「はい」の英語であるYesにちなんで、イエスをキリストの名とされたのです。ひふみ神示と言う神示に、イギリス、アメリカを、キリス、メリカと表現する記述が、ありますが、イギリスには、聖域の意味があるのかも知れません。

そして、この、8番目に十字架を意味するト音と、音階名のソをを加える時、戸となる、イエスと、祖である日本の祖先に、リック(昔、リュックサックは、リックサックと言われていたが、その、リックである)重荷をかつがせ、苦を取るトリック(取りっ苦)の名にちなんで、加ト・リック、日本では、加ソ・リックと言う宗教名を与えたのであると考えます。

又、十字架の架の字は、加えるの下に木ですが、木は、十字の中央の下に、八を加えた字であり、10番目の音の世界の下に、8番目の天国の世界を創ったと言う、私の、物語の信憑性を裏付ける一つであると考えます。十字を加えた、トリックの秘密を、架の字に隠したと解釈します。


なお、エデンの園のエデンは、絵殿、絵の御殿(ごてん)の意味もあるのだが、得田(エデン)すなわち、田を得る園の意味もあると思われ、アダム当時は、まだ、田で覆われておらず、後の世にちなんで、得田(エデン)とされたと考えます。

アダムについては、ア陀無であり、アは最初の意味もあるのだが、吾(われ)の意味もある。次に続く陀無であるが、陀にはヘビの意味合いもあり、ヘビがまだいない無である事を表現しており、知恵のない事を表す名だった。イブは、意無(いぶ・と読める)を意味し、意思を持たない本能的存在だった事を、暗に示している。イブをエバと最近言われるが、アダムの絵場で、最近の物理学の世界で、この世が、2次元の世界で、いわゆる、仮想空間か、プログラムされたネットワーク、あるいは、マトリクスの世界である説が、有力視されているらしく、我々も、2次元の絵の様な世界で生きていると考えれば、それを、暗示されるプログラマーの意図と取れなくもない。アダムのあばら骨を取り、イブを創ったと言う、アバラは、ア原(あばら)と考えられるが、アは最初の意味であり、あいうえお。も、「あ」から始まり、英語においても、Aは、a pen 等のように、アと読め、イスラム教アラーも、ア、から始まっている。また、言霊的に、宇宙生成は「あおうえい」の順に起きたとされており、「あ」の言霊は、平等に遠く果てまで届く音で、科学に当てはめると、重力に相当するらしい。

原(はら)は、野原等のように、自然と親しむ場であり、野の広場を意味する。

そして、アバラの全て母音が、「あ」であり、「あ」の3祖であったのかも知れない。又、ア・バラ(薔薇)の意味が、あるのかも知れない。つまり、魅了するきれいな花だが、トゲがあり、扱いに注意が必要な存在を暗に示しているのかも知れない。又、ア波羅(アバラ)で最初の波の織りなす世界を表し、波は波長であり、言霊の構成に欠かせないものであり、ある意味、全ては、波長の現れと考えられ、様々な波長の行き交う世界を暗示していのかも知れない。

次にへびのへは、人間を表す、第6番目のヘ音のへであり、びは、尾の意味もあるのだが、それは、最後に創られたのが、人であると、聖書に述べられているように、しっぽを意味する「尾」であったのかも知れない。又、ヒトの美を表し、本来、人の意味は、人間と違い、完成された人を人と言うが、ヘビが、サタンとよばれるのは、それまでの、女の神との差を担当すると言う意味で、差担(サタン)と呼ばれたのであり、人間としての天皇が住まれる日本が、邪パンと呼ばれるのは、その為である。(邪はへびを表す言葉)また、日本で、巫女(みこ)は、女であるが、これについては、大本教の教理に、男の肉体には、女の霊が宿り、女の肉体には、男の霊が宿るという教理があり、神の子である(御子・みこ)が、巫女(みこ)が女であるゆえんとも、考えられる。

天皇の継承は、男系だが、天皇は、神の人間界における現人神(あらひとがみ)のゆえんがある為、男系が、継承されていると考えられる。

ところで、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教に共通の神の最も有名な、名前のスペルは、YHWHであるが、

最初のYであるが、Yは日本のローマ字で、や行に当たるが、やいゆえよ、現在、や、ゆ、よ、の3つに成っているが、や行の「い」と「え」は、本来、発音的に「ゆぃ」「ゆぇ」であり、又、「や」「ゆ」「よ」について、この発音は、母音「い」に「あ」「う」「お」が付いた、「いぁ」「いぅ」「いぉ」であると考察する。

そして、Yは「い」と、「いぅ」を表している。つまり、YHWHのYは、まず、八百万(やおよろず)の神などの、八(や・いぁ)を意味し、無限を意味する、や(8)、のYであると共に、御自身の意味を伝える宣言として、意(い)であり「いぅ」つまり、「いう」(言う)である言葉(言霊・ことだま)である事をYを頭に持ってきて、ハ長調の「ハニホヘトイロハ」のハからハの両端のハを、Hで表し、その間の、波をWで表現していると考えた。ハ長調の意味するところは、波長の意味を表しており、長調であるのは、明るいイメージを伝えるためであり、又、波長(ハ調)の長(おさ・つまり、長老であり、TOPを意味すると、思われ、これは、名前というより、暗号、記号の様な文字だと考えます。

これについて、サイト「想い通りの人生を創造して意識進化~アセンションに導く錬金術である!

ルシファーの預言書『日月神示』が説く成功法則を様々な角度から検証する!」

http://jikojitugen21.seesaa.net/

の2011/09/08「新月パワーでカルマ解消&人格完成&願望実現」

http://jikojitugen21.seesaa.net/article/224931039.html

に、もう少し具体的に説明すると、「一霊四魂」のバランスが取れた状態を指す。

四魂とは「荒魂」「和魂」「幸魂」「奇魂」を指し、

ヘブライ語で「Y・H・W・H」と表記する。

そして、荒魂には「勇」、和魂には「親」、幸魂には「愛」、

奇魂には「智」という機能があり、それらを統括する一霊を「直霊」という。


この四魂が円満に活動する事が「人格の完成」を意味するが、

四魂を統率する直霊には「省みる」という戒律があり、

省みるとは内省、即ち「内観」のことなのだ。


「一霊四魂」と愛と怒りの本質と一体性

http://mujaki666.seesaa.net/article/169448232.html

と説明されていた

つまり、学術的、言霊学的には、こちらの、情報が、正しい訳であるが、私の考察した話し的には、音楽に隠された秘密としての論説であることをご理解頂きたい。

余談では、ありますが、日本語において、昨今、セックスをH(エッチ)と言いますが、男が出来た為、エッチが生じたと考えられ、本来、Hは変態のローマ字の最初の文字から、H(エッチ)と言う言葉が生まれたのですが、言ってみれば、エッチは、日本語であり、他の国でSEXをエッチと呼ぶ国はないと思われ、その意味も、このHには、関係があるのかも知れません。


また、音楽の話に戻りますが、「ドレミファソアシド」が出来た物語を展開したいと思いますが、他でも述べておりますが、新たな内容を含みますので、飛ばさず読んで頂きたいと存じます。

最初にドレミと言う実(み)が成り(鳴り)ました。それは、どれが身(ミ)と言う実(み)で、その為「どれミ」と言う実だった訳ですが、土霊神(どれいがみ)と言う神の名でもありました。

それは、ドが土(ど)レが霊(れい)ミが身(み)であり、土霊が身(どれいが身)から土霊神と成ったのです。

そして、ドとレの間の黒鍵は、ド力(努力)、レ(霊)とミ(実)の間の黒鍵は「の」であり、野原の野であると共に、奴隷(土霊)の身、の間の「の」に成る。あるいは、ドレイ(が)ミの「が」に、相当する。と考えます。

文法的には、正しくありませんがWhich me(どれが私)から、フィッチミとなり、ヒッチミとなり、シッチミとなり、シチミとなり、七味が出来、七つの内のどれが、私?と成ったと考えます。

「ひ」が「し」に変わるのは、飛躍し過ぎと考えるかも知れませんが、「ひ」が「し」と発音される地方があり、このヒト(人)の事を、このシト、と呼んだり、7である「しち」を「ひち」と、私も使うことがありまが、東方の国である日本は、「ひ」が「し」、東(ひがし)であり、シ音(シオン)である「ひ」が、ある国で、 (ひ、が、し)すなわち、「ひ」の元、から日の本(ひのもと)と言われる、言われもあるかも知れません。シは7番目の音で、(ひち)でもあるからです。

話は、戻りますが、この「ドレミ」の実(み)は、外へ出たいと思い始めます。すると、ふぁっと出たので、ファの音が出来ました。ハ長調のファは、へ音ですが、ガスの様な出方をした為、おならを意味するへ音の語源にも成りました。ミとファの間が、半音であり、黒鍵盤に当たる境がないのは、元々同じものだった為と考えます。すると、そこには空がありました。それで、ソラの音が出来ました。実{ミ}から出た世は、ファの世界であり、先に述べました様に、はぁー、と言う息をする動物の世界でした。そこで実を結んだ人間と言う人だけが、嬰へ。を通り、ソの国へと行くことが出来ましたが、嬰へは、三途の川であり、誰でも渡れる訳ではありません。

しかし、6音階10音であった時は、死はなかったので、渡れた者は、嬰(えい)に通ずる、英(えい)、つまり、優れた者として、ソの国に認められ住むことが、認められましたが、渡れない場合は、ド(土)からやり直す事になります。

現在の7音階12音の世界では、ソの国は言わば冥福(めいふ)の国(閻魔大王が治める丁)であり、出口王仁三郎聖師が、霊界を旅する霊界物語によると、彼が来た時、閻魔大王は、わしも後一年で引退じゃ。と言ったという話があるが、その一年が、現実の一年とは限らないので注意したいが、ソの国のソとは、祖先の祖であり、そこで祖先と出会います。しかし、キリストが誕生し、ト音の国は、無限の天国と成りましたが、キリストは、既に一度、雲に載ってやって来て、天国へと人々を召しあげ、ヤハウェー、日本語でエホバの右座につかれ、世は、終わったのですが、その事は、私は、直ぐにやって来ると言う言葉通り実現したのです。ただ、日本は、神の国であり、事情は違った為、世界の歴史を続ける必要があった為と、又、他の預言の成就する必要性からも、歴史は、続いて行きました。

この、ソの国は、6音階10音だった時、イ音であり、意音でした。つまり、意思の意、であり、意味の意であります。しかし、7音階12音に変わって、ト音に変わりました。ト音のトは、戸の意味と十の意味があることは、述べましたが、天国の門でもあり、人間の達成の世界でもありました。

次のラの世界の間に、黒鍵盤がありますが、6音階であった時は、嬰イ音であり、英イの意味を持ち、第九番目の音で、人の頂点を行く神の領域であり、騎士たちの世界でありました。苦の世界を渡り歩く事を、いとわぬ者達の世界でありました。

そして、先程、述べましたが、ナイン・イエスを認めたのですが、神としての天皇が、あってありし者、私は、12音だと成り、シ音(シオン)をお持ちで、死も統べる神である事を示し、ハニホヘトイロ(葉に穂へ十色)の世界をお創りになられました。

しかし、キリストにより世界が終わった後、ドレミファソアシドの最後のドであり、次の上のドとなられるはずでしたが、ト音を創られる時、ドに付いている、二つの点、つまり、トに付けられた、点々を、上の天(点)と下の天(点)で、天国を創られた為、御自身は、下の世界との戸の役割として、トになられ、人間として、生きる天皇に変わられたのです。シュメールの当時は、日本は、実際神の国で、重力を操る神等もいたそうです。

とにかく、日本の国体である龍神は、地球の要(かなめ)であり、北海道を頭と考えると、北アメリカが、無いように、思われますが、九州を頭にし、台湾を冠とし、その冠が北アメリカに相当します。一説によりますと、東北大震災は、人工的に引き起こされたもので、それは、神々の一致団結により、東北である艮(ウシトラと読み東北を意味する)に引退させられ、悪神呼ばわりされている、艮の金神様を、狙ったものだと言う話ですが、話が反れますので、別の機会に譲るとして、現人神(あらひとがみ)を名乗ったのも、それらの事ゆえであります。12音は、十二(ト2 )音であり、二つのトの音であることを意味し、天国のト音と、地のト音であることを表していて、地上の戸の役割を果たす意味も備わっている為、トが2つを意味する12音であったのです。又12には、自由に。の意味も有ると考えます。

すこし、話し忘れていた事を書かせてもらいますが、意味と言う言葉ですが、この言葉は、三つのミから出来た言葉であると考えます。

食べられる実、と、食べる身と、その二つが解け合って生まれる味(ミ)、つまり、

「あじ」あ字、の、三つのミにより最終得た、味(あじ・ミ)が、本当の意味であり、哲学用語で言えば、見る側の主体と見られる側の客体と、そこに生まれる関係である、相互理解が、味であり、その関係のあり方次第で、美味しくもなり、まずくもなる、と考えますが、それが、あ字である意味もあると考えます。

ところで、今、日本は、気付かれないかも知れませんが、非常な危機をむかえており、現在2019年8月でありますが、ノストラダムスの大予言「1999年第7の月、天より大王が降りてくる。」と言う予言(預言ではない)が、外れたかに見えましたが、

私は、彼の予言が、後で当たっていた事例が多い事を聞いていたので、誰かの誕生を意味し30才位に成った頃から、頭角を表してくるのではないかと、考えておりましたが、大王が日本で成人を迎える今年7月に入り、絶望的な日本の現状を、ユーチューブの2本の動画により知り、後で、大王の成人に気付きましたが、私の人生ではるか昔、中矢伸一著「艮、とどめの戦」

(ウシトラ、とどめのいくさ)などの本で、紹介されていた、ひふみ神示と言う当時、確認すると1万5千円だったのですが、注文して買いましたが、今の感覚で言うと、高くても2~3000円くらいだと思ったのが、4~5万円したと思うほど高くて、断りたかったのですが、注文購入でもあり、それほど高い本を、その店で裁けないだろうと、こらえて、買ったのですが、どれだけ読んだか忘れましたが、大事に持っていました。そこで、絶望的になって手にとったのが、ひふみ神示で、ひふみ神示は、元の元の元の神が、岡本天明という方に、数字と記号だけで、自動書記の様に書かせた日月神示という神示を岡本天明様御自身が、解読なされ、神示に従って、ひふみ神示と言う名で書かれたもので、本来なら、現著作権者の承諾を得て行わなければならない所を、神示に書かれた内容に従い、この神示に縁ある者は、釈迦、キリストと同じ教祖になれる身魂を授けある。という一文に、著作権者の方が小さい器であるはずないという思いと、神示写す御用結構と書かれてある事から、

ひふみ神示 上巻、岡本天明著(ザイム無我無罪)

http://kenkoukigu106.seesaa.net/


ひふみ神示下巻庶民の書岡本天明著(ザイム無我無罪)

http://biyoumenu.seesaa.net/


に自分のペースで写している最中でありますが、それは、現在、中古でも、高額で、一般の方が、読むべき書物であるのに、読めないのは、この危機的状況に際して、危機感を感じることと、障害年金と、生活保護の皆さんの税金によって暮らしている自分に課せられた役割と、感じる為であります。

しかし、ここまでを書いている現在2019/8/16現在、この本を買った太陽出版の、注文、お問い合わせページに事情を話し、そのアドレスを載せることで許可を得る様、申し出たが、ひふみ神示に関する、いわくありげなサイトで、著作権を岡本天明様から引き継いだ奥さんに、著作権料が全く支払われなかった事や、改ざんがあったり、関与しているものが、不審な死をとげた事を訴える、サイトに出くわし、そのサイトは、

日月神示の総括「云っておかねばならぬ事がある!」

https://ameblo.jp/sonney/entry-11470825433.html

であり、目下、思案中であるが、私が買った本は、私と、縁、又は、因縁あっての事と受け止め、引き続き載せていくつもりではある。それはさておき、私を絶望的にさせた、次の2本の動画(ユーチューブ)を見ると、アメリカを敵対視したり、あるいは、そんなこと、あるはずない。と片付けるかも知れないが、まず、アメリカを敵対視するのは、悪の大将の思うつぼで、悪の大将は、戦争に持ち込もうと言うのが、一番の狙いであると思われ、次に無視することは、エチオピアの犠牲を無駄にすることであり、その因果は、自分の身に降りかかる覚悟がいることを述べておく。その動画は、

日本に回帰しよう!

https://youtu.be/jFcA-Eae8so

知らぬが仏

https://youtu.be/vp4FuaqxOIU


である。

その私が、頼ったひふみ神示には、悪抱き参らせて、世が、弥栄えるなどの記述があり、また、罪を憎んで人を憎まずは、悪。罪も憎まんのが、本当の善と

言う記述もある。

ただし、神の言葉と言えども審神者(サニワとよみ、まことの神から出たモノか、邪霊から出たモノか判断すること)せよ!とあり、昔は、サニワする家系などがあり行っていたが、我々には、確かな審神者(サニワ)との関わりがなく、最終的には、自分で判断せねばならないふしもある。その為に、身魂を磨く事が、第一であり、悪抱き参らせて、とはあるが、みぞおちに留めて勝ちであり、悪を好き勝手にさせることではなく、また、御神体である国体と人民を守る事も大事な役である。世界を救うには、日本が、改心しなければならない事も、大きな峠である。

善は、全に通じ、前にも通じる。悪は、開くに通じ、世を開ける役の意味も少なからずある。しかし、飽きる、の飽く(あく)にも通じ、前(ぜん)は、前へ、前へと進むが、悪は、やがて、その欲望の虚しさに、心に穴が空き、飽きて、飽く為、続かない。

楽は、ラ九を表し、あ列、第9の言葉が「ら」であり、ハ長調ラは、イ音であり、マイナスイオンの時、精気(性器)が宿るが、プラスイオンの時、精気(性器」を失う。

又、らく、はraku及びlakuであり、R(あーる)つまり、有る、L(える)つまり、得る、がなければ、あく、となり、悪となる。そして、RAKUのラであるイ音(イオン)が、マイナスに働くと、マイナスイオンとして良いア九になり、岩戸を開ける「開く」になり、プラスに成ると、悪いア九になり「悪」になる。

そして、R(有る)L(得る)により有りし精気(性器)が、世九(良く)用いられると、悪は、マイナスに働き、マイ(私の)成す(マイナス)は、良い働きとなる。

逆に、精気(性器)が世苦(欲)に走ると、世を苦しめ、世が乱れ、悪は、プラスに働き、イオンは、プラスイオンとなりストレスとなるが、イオンが、プラスに働くとは、ア九のラであるイオンの、音意である、意味を表す言葉の音である言霊が、プラスに働くのプは、負けるを意味する負(ふ)が、丸であるのがプの意味であり、つまり悪が、負けるのがプ。このプで織りなすラ(羅)がス、つまり、素(す)となり、プに成っていない事を表す為、ア九が悪の意音(イオン)の意味を放っているためである。

つまり、ア九としてのラ、イ音がマイナスに働きマイナスイオンとして良いように働くか、プラスに働きプラスイオンとして悪いように働くかによって、ア九が悪に成るか、岩戸をひらく、開く(あく)になるか、そのカギが、言霊にあり、今まで、物質社会を構成してきた言霊、体主霊従(たいしゅれいじゅう)の「あいうえお」から、霊主体従(れいしゅたいじゅう)の「あおうえい」の言霊に変わる事ではないかと考えるよう導かれた感じを受けます。私は、昔、「あいうえお」は、本当の語順ではないと習った事を思い出し、調べると、「あおうえい」が、宇宙の生成の語順で、物質社会は、「あいうえお」の為に、発達した、体主霊従である逆転宇宙の言霊であるのに対し、「あおうえい」は、精神社会を形成する、霊主体従の言霊で、この言霊を唱える修行により、病気、も治せる力が付くらしく、この言葉の普及は、かなり進んでいるようで、歌手の相川七瀬さんの「ヒカリノミ」にも、使用されている事に、驚きました。なお、実る欲は世九(世の九)でであり、良くなる実であるが、悪く働く欲は世苦であり、(世を苦しめる苦)欲である。

余談ではありますが、天使の名の最後にエルが、多いのは、今述べた、精気(性器)を得ると言う意味から、エルが多く、堕天使とされているルシファーは、最初のルは、留であり留まる意味を持つ。例えば、やる、する、

投げる、蹴るの様に、その意思に留まる事を意味する。蹴るは、ケッと反抗する意思

に留まる事から来ている。

シは、音階の頂点である神を意味するが、ルシで神に留まっていたものが、ファである息、おなら、を意味する、ファ(はぁー)であり、おならを意味するへ音であり、人間を表す第6の音へ、墜落したと言う意味から、ルシファー(堕天使)の意味がついたと思われるが、実際は、堕天使ではなく、神の座から、あえて、人間へと舞い降りたと私は、かんがえます。

それが、天下った古代日本に舞い降りた神々のお名前であり、意味合い的にはキリストもその現れの一つなのです。

ところで、まだ、天皇が、人となり間もない頃、「あおうえい」が「あいうえお」に変わり、その為、んを締めくくる音と考えると、「あいうえおん」は、愛飢え音、でもありましたが、「わいうえをん」をYES(イエス)を上に持ってきて、「Y上を!うん」によりて、「あいうえお」は、「愛上音」となりましたが、

体主霊従(たいしゅれいじゅう」で世が乱れ、この度、世の建て替え、建て直し、大洗濯が実行される模様で、先立って、日月神示(ひふみ神示)や「あおうえい」の言霊流布が始まり、「わいうえを」(Y上を)は「わをうえい」(和を上意)へと改まって行き、宇宙生成の本来の世界へと変わりつつあります。

又、光と闇について、以下のように考察した。

光(ひかり)は、否可理(ひかり)であり、不可能と否定する事を可能にする、理(り)

と読み、法則である理(ことわり)。これに対し闇には、病み、止みに通じ、又、八つのミである、やミが、あり、実・身・味の基本的、意味のミと、巳、観、魅・未・満の五つのミであり、他にもミは、考えられますが、巳(ミであり、ヘビである巳(ミ)は、人の事でもありますが、己(おのれ)もミであり、へびは、サタンであり、日本を意味すると述べたが、へびが、「イブに死ぬ事はなく、神の様に目が開け神のように成り、善悪を知るものと成る事を神は知っているのです。」と言ってそそのかした事になっております。ですが、自由を与えて起きながら、末代まで祟る様な、危険な木を、何の防備もせず、ただ、言いつけを守るか、守らないかを見極める為だけに、園の中央に、置いたと、愛を自称する神が、何の計画もなく置いたとは、私には、信じられません。これらの結末も読めない程、神が、愚かであるとは、私は、信じたくありません。本能の様に生きる人である彼らと、その子孫である人間に、神々の仲間入りをされる用意が、あって成されたと信じます。現にここに生きる人々は、神人となったことが、既にあることを、知らないか、忘れているだけと、私は、考えます。無限の時は、(ここで言う時とは、タイムトラベルで行き来出来る、物理的時空ではなく、変化という一方的に進むだけのときの意味ですが、)この無限の時は、未来にも無限ですが、過去にも無限であり、確かに、一から出直していると言う意味では、達成されておりませんが、始まる前には達成されている事であり、神もその前を忘れているなら別ですが、人が必ず、神の友に成ることを知っておられての、計画だったと信じます。

ところで、聖書の第一日目に、神は、天と地を創造成されますが、天の上の水と天のしたの水に分けられたとされています。この神は、既に、シ音である死も統べられていたと考えますが、今不意に思い出したのが、ユーチューブで「宇宙人インタビュー」で検索すると出て来る、第2次世界大戦頃に現れた、宇宙人のインタビューの極秘映像の中で、宇宙人が、死は、人間が創ったものだ、と言う、話ですが、それは、もしかしたら、既に、死のない世界であるにも関わらず、過去を学ぶ為のプログラムとして、この世が実行されているのでは、と言う推測です。その事を後押しする様に、物理学者たちは、この世が、プログラムの2次元的、仮想空間だ!と言う見解が、有力視されていることです。

ですが、たとえ、この世が、プログラムの世界であるにせよ、今と言う時が、現実であり、エチオピアが、枯れ葉剤と遺伝子組み換え食品の犠牲となり、奇形と、ガンで、ゾンビの国の様に成っていると言う情報を無視することは、人間として、間違った選択であり、プログラムに仕組まれた仕組みによって、勉強させられる羽目に陥る可能性が高いと言うことです。

ひふみ神示にも、今中ぞ。という言葉が出てきますが、現在が現実であり、ゲームであったにせよ、今を無視することは、ゲームクリアー出来ず、プログラムから抜け出せないどころか、バッドストーリーが、続く可能性を意味し、ある意味、地獄状態に陥る事にもなりかねないのです。

いずれにせよ、日本に及ぶ。苦難は、多かれ少なかれ、訪れる様で、日本の、及び、日本人の改心が、求められているようですが、

身魂の掃除をひふみ神示では、さかんに訴えておりますが、身魂の掃除は、口、心、行、が揃って、初めて達成と、言われるものであり、部屋の掃除もろくに出来ていない、私は、厳しい指摘であると感じておりますが、まずは、形式から入って行くだけでも効果があり、口の礼儀を正し、地から取れた物は、まず、神に捧げてから頂くと言う事から、始める事で、心も、清くなっていくと、私は、解釈し、本来なれば、神棚なども、付けた方が良いのでしょうが、捧げる神は、最初は、自身の信じる神で良いのですが、最終的には、総括している、大日月大神(おおひつきたいしん)に捧げる事で、全ての神に通ずると、されております。

この時に捧げる言葉として、「かむながらたまちはへ(え)ませ」と言う祝詞(のりと)が、もっとも適していると思われ、その意味は、「神様のみ心のままに霊の善くなるようお救いください」と言う意味で、大本教の祝詞でもありますが、その後に、大日月大神様、と続ける事から、私は、初めており、「あおうえい」の修行も、とにかく、はじめは、形式で、心の中でも良いので、繰り返し唱える時間をとったり、合間に唱えるだけでも良いと考えております。

その、ひふみ神示によると、最終的には、自分を拝む事が大事であり、神の中に溶け入る事が大事で、神を拝んでいる内は、まだまだぢや。とある程であり、もはや宗教はなくなり、道となると暗示しています。

話は、音楽に戻りますが、「ハニホヘトイロハ」が、英語では、「CDEFGABC」なのですが、初めがCであるのは、おそらく、クリスチャンのCであり、ト音にあたるのが、GODに通じる、Gであることは、偶然とは、思えません。又、ドイツであったか、BをHとし、ハァーと発音しますが、これは、昔、6音階10音だった時に次のCでありドである日本語のハ音だった事を今に伝える為の秘密ではないかと想像します。又、6音階10音だった時、外国においては、ABCDEFでFがTOPであり、一番であり、FIRSTの頭文字がFなのは、その為と考えます。

なお、ここまで、書いてドレミファソラシドの語源を調べたところ、現実にも、昔は、6音階だった事が、判明しました。

ところで、天皇は、天のみかど、と言う意味が、ございますが、単調である、ラシドレミファソ、の音名は、イロハニホヘト、でありますが、ハ長調の第10番目(テン)の音、イ音をラシドレミファソ、と呼ぶ代わりに、ドレミファソラシ、と呼ぶと考えた場合、ミは、ハ音にあたり、始まりの角を意味し、又、イ短調のイ音をドとし、ドレミファソと行くと、ハ長調のミであるE(ホ音)はソに当たりイ短調の終わりの角を意味します。あるいは、イ短調の第10番はF(へ音)です。そこから、単調に従って、全半全全半全全でゆくと、ラシドレミのミはC(ハ音)に当たり、ハ長(波長)調と言う基本的音階の始まりの角に当たります。それゆえ、天のミ角の言葉になったと、考えます。

又、イ単調の「イロハニホヘト」を「ドレミファソラシ」と呼んだ場合、ミは、ハ音であり、英語で、Cであり、生命の全てに含まれる炭素の原子記号になっており、Cは、シーであり、シ音の意(意味)が、隠されていると思われ、又、古来、日本は、稲穂(いなほ)の国であり、ホ(穂)音が、ミ(実)の音であることからも、この物語を後押しする裏付けになると考えます。単調における、ミは、あえて、「ラシドレミファソ」を「ハニホヘトイロ」と呼んだ場合にミは、ト音にあたり、ハ長調では、ト音はソ(祖)であり、(イ)単調の終わりであるソで炭素(短ソ)の意味を含むと考え、天界においては、単調もCから始まったと考えます。

(イ)単調の「イロハニホヘト」「ABCDEFG」を、あえて、「ドレミファソラシ」にした場合、ソはホ(穂)音であり、ハ長調のソ(祖)は、ト音、G(GODのG)にあたり、GODの身(ミ)が穂(ホ)である事をうかがわせ。それを、噛む、噛み(神)により、命の素(もと)に成ったと考えられ、葉に穂へ十色(はにほへといろ)の、葉に穂(はにほ)は、又、歯に穂とも考えられ、穂を噛む事から、色とりどりの森羅万象の世界の礎(いしずえ)となったと考え、それを、十色で表したと考えます。

世界の、歴史は、聖書預言(予言ではなく、神から預かった言葉)通りに、進み、ユダヤ人の興隆と悲劇のその一つでありますが、ユダヤ人の重要視する言葉に、シオンと言う言葉があります。元々、彼らの聖地エルサレムにあった、地方の名ですが、シオンの声を待ち望むユダヤ人と言うのを聞いた気がしますが、シオンは、シ音であり、子音(しおん)でもありますが、音の子である神が、子音であり、シ音を持ち合わせていた事から、来ていると、解釈します。

死は、普通、良い印象を与えませんが、日本語には、しがない人生などと言う言葉があり、意味は違いますが、シと言う音が、悪い意味でもなく、死も、それ自体が悪いものでは、ないのです。話は、、まだまだ続きますが、とりあえず、

神の国の出来事と地上世界の秘密(音楽に隠された秘密)

(パート1)

として終了します。

ザイムセレクションSP-NO2全紹介動画 https://youtu.be/8M4-tnFbqe4

   ザイムバラエティーNO1 紹介動画   https://youtu.be/iESW3DO5JDc

KR-01,恋の微分方程式      https://youtu.be/mc6ma46E-lM


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