憲法希望念願説による憲法解釈の新たな法律制度の構築について、及びこの世のプログラムや、キリストの贖いの理由に関して
憲法希望念願説による憲法解釈の新たな法律制度および、自己の世界の構築および、キリストの贖いの理由、及び、危惧するイメージ
憲法は、確かにアメリカによって創られたと言う説もあるが、当時のアメリカの紳士的理想論や、昭和天皇の願いたる思いが、集約された多くの国民などにも愛された思い、願いの凝縮された理想的法律であったと、私は、感じ入りますが、憲法9条改正などの声のあがる状況下にあることも、やはり、現実の問題としてあると存じいります。しかし、憲法そのものを改正するというのは、この国の為に命をささげ散っていった人々の思いや、国民の望む真の理想そのものを、書き換え、人としての平和を望む声を、消してしまう事にも、成りかねず、憲法そのものを改正することは、日本のみならず、世界に、この素晴らしい憲法を伝え残す意味でも、大きな宝の損失で、あるように私には、思えます。しかし、時の支配の中にありましては、どうしても、その法律を維持しえない情勢に追いやられる事が、あるのが、現実であり、それは、憲法9条に関わらず、たとえば、経済的問題ゆえに、憲法が保障する権利を、維持しきれない状況下に、追いやられる事も、絶対にないとは言切れず、この素晴らしい憲法を守る為に、国自体が滅んでしまっては、もともこもありません。
特に憲法9条を保守する為に、国民の安全だけに限らず、世界の国々や、そこに住む人々、子供たちの為に、現界とも言える、精神や、肉体を鍛え世界の為に尽くす自衛隊のご尽力や、それを指揮する現場の長(ちょう)の重たい責任と苦渋の選択を考えます時、不経済の中で辛い、お仕事に耐え、御精を出している皆さん方の血税で暮らしている、わたくしが、述べるには、誠に、失礼、申し訳なく存じますが、世界には、まだまだ、もっと厳しい生活の中で酷い目に会っている方々も多くいると聞き及んでおります。それを思います時、日本は、沖縄の人々の生活の犠牲や、先ほども述べました、自衛隊方々、もちろん、国のお仕事に従事する役所、警察、などなどの、おかげにより、安心して、一応は、暮せている事も確かであり、確かに、中には、不正な方や、組織も存在しないとは、断言できませんが、本来、人々は、自分が正しいと考えた考えにより、行動していると、信じます。その考え方の、相違により、衝突や戦争などの、本来的には望んでいない現状が生じているのが、真相ではないかと、存じ入ります。
憲法9条に限らず、憲法は、多くの良心ある国民の人々の思いであり、希望であり、念願であり、理想であると、私は、考えておりますが、現実的に維持する事が、困難な状況下に追い込まれる事が、ある事も現実であり、社会党であったと記憶しますが、違憲合法論によって、自衛隊の存続を認めざる負えない事もあった様に記憶いたして
おります。
この様に、憲法は、多くの国民の望む希望であり、念願であり、理想であって、必ずしも維持しうるものではないというのが、真相であり、現実であると、思われます。
そこで、憲法言うものの解釈を、国の極めて努力しなければならない法律であるとした上での、特別機関として、違憲なる法律の制定においては、別途、これを協議する庁府を設け、その結論に至った経緯、理由をまず、国民に、説明し、一定の期間の期限を決め、時節において再度協議しなおす等し、国民の各々の意思、意見を、極力取り入れるべく、構成された、構造を作り、まず、国民の内部分裂などによって、国が滅びたり、抗争が、生じたりしない様に、努めるべきではないかと言うのが、現在の私の考えうる現界で御座います。
又、今から話す事は、反天皇主義者の反対もあるとは、考えるところですが、述べさして頂きますと、ユーチューブの情報が、操作されていないとは、断言できませんが、日本の天皇は、ローマ法王が、上座を譲ったり、エリザベス女王が、天皇を王以上の、エンペラーとして、正しき作法で迎え入れたりするなど、その他にも、海外の多くの人々が、尊敬している御方であり、この国の安全の維持に多大なる影響を与えていると聞き及んでおりますし、第2次世界大戦終戦の後、マッカーサー元帥に昭和天皇が謁見を申し出て、私は、殺されても良いので、日本を守って欲しいと、述べられた故、マッカーサー元帥が感得して、日本の天皇が、紳士であり、尊敬にすら値すると思われ、そのおかげで、日本は、分断されず、今の日本がある事を、遠いまだ、ユーチューブ等もなかったはるか昔に、本で、読んでおり、又、天皇をルシファー、すなわち、堕天使と考える人びともいる事は、知っておりますし、封建主義者と考える人びとが、まだまだ、多くいる事も知っては、おりますが、天皇が、象徴天皇である事を前提に、言わせて、頂かせてもらいますが、天皇陛下も人であり、その心中を信じるとするならば、現天皇は御公務で、忙しく、無理かも知れませんが、生前退位された、前天皇には、御公務中に思われたり、考えられたりした、国民の為に、語られたい、考えや、アイデア、その他、様々な、思いも御有りではないかと、推測いたしますし、もちろん、そのお考えには、人々に、配慮し、又、海外への影響にも配慮されたお考えが、あるのではないかと、私心では、御座いますが、そう考えます。
今と成っては、軍隊の一人歩きであったのか、天皇陛下の苦渋の決断であったかは、わかりませんが、当時を知る人がまだご存続であるのかさえ、わかりませんが、前天皇が個人としての胸の内、お考えを述べる事は、確かに、政治に大きく、影響するところでは御座いますが、天皇陛下の人間としての権利をある意味、国民は、束縛しているとも、言えなくもなく、もちろん、皇室ゆえ、全てに、ご配慮を、された、お言葉しか、述べられなくもありますが、陛下が、考える施策や、政策について、あくまで、個人的考えとして、述べる場が、あっても良いのでは、ないかとおもうのであります。
御公務中には、忙しく、それらの暇は、なかったかと存じますが、個人的に考える日本及び世界の平和と、安全、幸福を考えての、私的考えを述べる改ざんされること無く、伝えられる、答弁や、書籍などの発表の場が、提供されて、良いのでは、ないかと、存じ上げる次第であり、確かに、悪用されれば、封建主義へ向かう可能性もありますが、これも、ユーチューブで知った情報ですが、現在、多くの物理学者が、この宇宙は、プログラム的2次元の世界であると支持しているらしく、又、前オバマ大統領のとある演説中に、この世は、1960年代から、宇宙外マトリックスにより支配されていると述べ、ジョークだとお茶をにごしましたが、その動画制作者は、それが、本当は真相ではないかと、くくっておりましたが、私が、歩んできた、精神障害の人生の中で、経験してきた、出来事や、蘇る記憶、経験、等を、理知的に解釈すると、真実のところは、誰にも、わからないのが、事実ではありますが、この時代は、私が、物心付いた時より、おかしな世界であり、無限と言う時の最先端であるにも、関わらず、真の平和をも達成していない、遅れた時代であり、私が、入院の途中に経験した、出来事を理性的に解釈すると、私が、精神障害者となった運命、宿命は、この世の調査及び、プログラムの修正、歴史の適正化に対する役割の一端として派遣されたと解釈するのが、妥当の様に感じられます。
この世には、外部から様々に関与している次元や、異世界があり、少なくとも、わたくし個人においては、様々な関与があった様に感じますが、この世がプログラムであったにせよ、そこに暮らす人々には、生々しい現実であり、私心ではありますが、プログラムの模写の世界と言え、神仏、神、GOD,など霊的存在も、生きた生命として、働いている可能性も、充分に考えられますが、宇宙外マトリックスを支配する世界も、存在そのものが持つ、命と言う機能の働きによって、機能しており、それが、真の意味での神であり、GODであり、アラーあるいは、仏と呼ぶにふさわしい神仏、であると考えます。
そして、今回、私の身に起こった出来事の常識外の奇妙な経験の末にこれを、書いている訳で御座いますが、始まりまりは、インターネット自体への不信も含め、妻の様子や、他人や情報から、本も何もかも信じるに値せず、妻と言う人物すら、その中の霊が変わった様に感じられ、心の争いの中にいました。私は、精神科で、注射を受けておりますが、私は、目に見えない注射をされている、痛みを感じる様な事が、最近起こり、現時代の私と言う肉の私が、まとめ切れないこれらの、考えを、サポートする注射であった様に感じいります。ですので、未来に属する部分の私は、肉としては、死んでいるザイム夢我無罪こと、私の夢、念願を達成するべく、又、この世のサポーターの一人として、働く使命を果たすべく、書いたものと思われ、以上、書きました事は、人間、神仏それら全てを共に活かす世界から安全に進むメッセージとして、与えられた、私の意見だと考え、本日、西暦2020年2月7日午前3;35現在ここまで書きました。
現時代には、見る見方により、悪に映る組織や、現に私欲、私心の為に、他を裏切り、利用する存在もないとは、言えないのですが、最終的に自己に孤立し、自力で世界を変えようとしたり、科学や、学問の力だけで変えようとした場合、現界や、衝突、争い、迷いの世界へ陥ります。本来、人はそれぞれ独自の世界で生きており、自分の前に展開する世界、ストーリーは、自己が自ら蒔いた種を刈っているのですが、自身の矛盾により、行き詰まり、重荷を背負い過ぎて倒れ、苦しむ事に成ってしまうのです。この時代に生きる人々は、共に全てを活かす方法を模索し、協力し合わないと、この世自体が行き詰まり、苦しみから、逃れられなくなります。意見の相違はあって当然ですが、理解し、尊重し合う様、努力し、各々が、全体の中での自分である事を理解し、今現在を幸せに生きる様、物事を良い方に、良い方に、解釈し、反省すべきを反省し、自分の本当に望む世界を構築できる様、あらゆる力、たとえば、神仏、科学、経済、社会、に、感謝し、時には、悪にさえ、感謝し、既にある未来の力も借り、たとえば、騙されたとしても、そこには、自分の中に原因がなかったか、よくよく考え、逆に、そこに、自分が気付くべき、問題があったと成長するべく様考えを修正し、本来自分が主である世界で何故、自分がその立場として生きているのかを考えつつ生きて行けば、愛あるあなたの世界は、達成されると考えます。無限の中で、完成している未来は、いつでもあり、自分が満ち足りるまで、永遠に生きる道は、既に用意されているのです。苦行だけが、道ではなく、又、皆が同じ道を、同じ歴史を歩んでいるとは限らないのです。ただ、自分の前に展開する世界は、自分の蒔いた種が実ってそこにあるのです。縁の濃い、薄い関係は、ありますが、自分が特に自分の経験として経験するのは、縁の深い関係がある為であり、微力ながらも、自分の願いに心の混じりけや、矛盾がない限りにおいて、自分の信じる世界で華をさかせる事は、出来るのです。地球の歴史は、弱肉強食から始まったと私は、習いましたが、もし同じ歴史観を抱いているなら、私達は、同じ歴史を生きて来たとも言え、平和を望む世界を夢みるなら、同じ歴史を歩むでしょうし、ツライより、甘い世界を好むなら、甘くやさしい、世界で、共に生きる歴史に向かって進み、意見の相違は、その捉え方、行動によって、違う歴史を生きる結果に向かって進み分れるでしょう。
弱肉強食は、一見すると、この世の定めの様に見えますが、食べられた弱い方の動植物は、その強い側の骨、肉、エネルギーとして、幸せに生かされ、もし、望まぬ苦や、死に方を強いられたとしたら、病気や災い、苦しみを、今度は、その強い側が味わう事になり、動物たちは、強い者ほど、急所を心得ていて、苦しまぬ様に、殺します。
人間は、今では、日本人も肉を食しますし、現代人に、肉類を止める様に言うのは、逆に酷(こく)かも知れませんが、本来的には、人間の身に遠い植物を食べる、菜食主義の方が、良いはずであり、それは、食べられる植物や果実は、ある意味、人間に食べられる事により、人間の血となり、肉に成って、活躍できるからで、動物の場合、たとえば、イスラム教では、豚(ブタ)は、禁じられていますが、それは、裸に近い動物で、人間に近いからであると考えられます。
ゲノムの解析により遺伝子操作をして人間に都合の良い動物を作りそれを、食べさせられている可能性も高いのですが、遺伝子操作は、確かに、人間の科学的学習としてやむ負えない事情もあるとは思うのですが、人間の都合だけを考えた愛のない利用は、出来る限り慎まないと、その世界は、やがて滅び、自らが、その責を負う目に会う事を知る日が、訪れます。それにより、たとえば、その人達の世界から、それにより、他の国々が滅んだとしても、滅んだ人々は、別のパラダイスで生きており、蒔いた種を刈るのが、自分達であった事に苦しむ結果を招くと知るのは、残った人々なのです。私が、今回何度となく精神障害者として生きていた記憶が多くあるのは、その責を負うべくして、たどり着いた未来から、来た魂である可能性も強く、同じ苦しみに合わない様に、忠告すべく、やって来たと思われ、何故かイエスキリストだった時の一部の記憶もあり、何故人間の創造主が、御子となり、贖いとして十字架に掛けられたかを考えた場合、自らが招いた責により、責任を果たされたと考えられ、もちろん、わたしが、キリストだったとか、創造主だったとか考えているわけでは、ありませんが、この世の歴史や、事件、出来事の残虐、残酷性から、エホバの証人さんたちが、この世の神はサタンですと、言われても、仕方のないこの世の歴史だと感じいります。ただ、若干感じます恐怖は、天皇陛下が、何がしかの、巨大な恐怖の大王に変貌するかの如くイメージが若干感じられ、自己の恐れから来るイメージであるのか、単なる妄想に過ぎないのかは、わかりませんが、この星の持つサガとして、弱肉強食の定めが、この星にある故なのか、外宇宙からの侵略への攻防の準備として、その宿命を背負っているのか、そのイメージの出所が今現在の、わたくしの、謎であります。
2020年2月7日午前8:16
ザイム夢我無罪