生き延びるための抵抗
否応なく降りかかってくるもの
「やっと私の生存を脅かす人間が一人、この世から存在を消した」
安倍晋三が銃撃されたとき私が抱いた率直な感想は安堵と喜びが入り混じったものだった。だが次の瞬間には「銃撃した犯人が外国籍だったらどうしよう」という不安が私を襲った。当時、引っ越しを控えていた私は、新たな環境に移り住むことにナーバスになっていた。もし外国籍の人間が犯人だったらヘイトスピーチがもっと過激になる。さらに韓国籍だったとしたなら、私自身も新たな環境で生活していけないんじゃないかという思いが私の中を巡っていた。襲撃した人物の名前が「山上徹也」と明かされたとき「外国人ではなくてよかった」と思う自分に屈辱を感じながら、胸を撫で下ろす私がいた。安倍の死は日本で生活する私にとって自分の意志では拒否できない、否応なしに降りかかってきた事件であり、それは私の生活に直接的に関わってくるものだった。
「暴力反対」への違和感
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