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私とパレスチナの距離②

これはパレスチナを訪れたことのない私が、パレスチナと私の個人的な関係性について考えたものである。今日本に住んでいる私は、虐殺が続くパレスチナとどのような関係を見出すことができるのか、自分の現在地を確認しながら散文的に書き残しておこうと思う。
前回はこちら↓

私はプロテスタント派に属するキリスト教の信者である(真面目とは言えないが)。私を『自由と壁とヒップホップ』に誘ってくれたのは、そのつながりで出会った友人だった。また、前述の「AMERICA DON'T WORRY ISRAEL IS BEHIND YOU」と書かれたTシャツは、大学院でキリスト教学を学んでいた頃にもらった。そして現在はキリスト教関係の施設で働いており、輪島市にボランティアに入ったのもそのネットワークからだった。
そんな私とパレスチナのつながりを考えるとき、自分がクリスチャンであるということは大いに関わっているし、無視して語ることはできない。

キリスト教徒であるということ

先日キリスト教関係のあるプログラムに参加し、シナゴーグを訪れることになった。シナゴーグの入り口にたどり着くと、おそらくハマスによって連れ去られたと思われる男性の写真が貼られており「Bring him home now!」と書かれていた。この言葉はシナゴーグの中でもいくつか貼られていた。
施設見学のような雰囲気で訪れたのだが、ラビ(ユダヤ教の指導者)が現れ、いかにユダヤ教が素晴らしく、世界の中心的宗教であるかという話を30分ほど聞かされた。その後、礼拝が行われる場所を見せてもらったのだが、その正面にはイスラエルと日本の国旗がでかでかと掲げられ、なんだかとても気分が落ち込んでしまった。
そのラビに「現在パレスチナで起きていることをどう思うか」と質問しようとしたのだが、その前に自身の妻と子が夏休みでイスラエルに帰省しているとにこやかに語っていた姿を見て、とてもじゃないが質問できるような感じじゃないと思い引っ込めた。
キリスト教徒として自分がその場にいることがとてつもなく虚しく感じてしまった。

前回の記事で書いたイスラエル大使の輪島市訪問は、「国際NGOオペレーション・ブレッシング・ジャパン(OBJ)」という団体を介して実現したものだった。

「米国に本拠を置く国際NGOのオペレーション・ブレッシング(OB) は、深刻な状況下で苦しんでいる人たちに救いの手をさしのべようと1978年に設立されました。キリスト教精神に基づき、世界中で実践的な活動を繰り広げています。」

オペレーション・ブレッシング・ジャパンHPより
https://objapan.org/aboutus/

このような理念のもと活動するOBJの活動を見てみると、「イスラエル・ガザ人道危機」と題した報告がいくつか存在するのだが、どれを見てもガザへ支援したという記録はない。

世界中で大切な活動をしていることはその他の報告からも読み取ることができるが、「深刻な状況下で苦しんでいる人たち」への支援の中にある政治性やその立場については注意深く見ておく必要がある。

キリスト教界がイスラエルを支援するということは、アメリカとイスラエルの関係などを見てもまあそうなるだろうなとは思う。日本のキリスト教会の多くも(教派によって変わってくるだろうが)、イスラエルに思いを寄せる人(無自覚な隠れシオニスト)が多いのではないかという気がする。
だが、私がキリスト教を通して出会ってきた人たちから学んだことは、大きな力に屈するのではなく、この社会で弱くされている人たちに向かい合いながら自分に何ができるのかということであった。
そしてその原点にあるのが幼い頃から教会で見た在日コリアン一世のハルモニ(おばあさん)たちの姿である。祖国から日本にやってきて、社会でも家庭でも虐げられてきた人々が救いを求めてキリスト教につながり、礼拝堂で必死に祈り、涙を流している姿をいつも見てきた。
私の生が彼女たちが生きてきた歴史の上にあるのなら、私がクリスチャンとして今しなければいけないことは、イスラエルに迎合するのではなく、パレスチナで起きている虐殺に対する抵抗の意志を見せることであると思う。

在日コリアンであるということ

私は在日コリアンの3.5世である。「何人ですか」「韓国のどこに実家があるんですか」「日本語お上手ですね」「北朝鮮の指導者に名前が似てますね」こういった言葉を幼少期からずっと投げかけられてきた。私はそんな自分のルーツに対して憎しみばかり持っていたが、この年になってやっと向き合おうと思えるようになった。そして、今も私の生がかつての植民地支配の上に存在していることを感じている。
私の父は2019年に自殺してしまったのだが、彼の両親が日本に来ざるを得ない状況さえなければこんなことは起きなかったのではないかとさえ思う。

朝鮮半島の分断とナクバの日はともに1948年に起きた。また、金城美幸はパレスチナと在日コリアンの類似性について以下のように述べている。

「だが、歴史認識論争のなかでは、イスラエルと戦後日本の構造的類似性、すなわち、領国とも植民地主義の延長線上に、あるいは直接の継続状況にあるにもかかわらず、それを忘却し、『民主的』・『平和的』な国民国家を辞任する欺瞞が指摘されてきた。それらの議論では、難民となることを余儀なくされたパレスチナ人と、戦後日本で市民権を一方的に剥奪された在日朝鮮人の経験を結び付け、個別・特殊の事象に落とし込まれていた在日朝鮮人やパレスチナ人の闘争を、世界史的な文脈で普遍的課題に置き直してきたのである。」

金城美幸『パレスチナとの交差を見つけ出すために――交差的フェミニズムと連帯の再検討』
「交差するパレスチナ」新教出版社、2023年3月

在日コリアン3.5世として生まれたその瞬間から、私はパレスチナとつながっていたのだと実感する。

先日、関東大震災から101年を迎えた。再び東京都知事となった小池百合子は震災時に起きた虐殺についての認識を問われ「それぞれが研究されている」と答え、その結果(今年も)追悼文を出すことはなかった。

歴史をなかったことにしようとする行為は、今ここにある生の否定だと私は思っている。私が現在進行形で体験していることは、きっとこの先パレスチナでも起きるし、すでに起きている。また、そのスピードは100年どころかもっと早くこの世界から抹消されていくのだと思われる。

男性であるということ

在日コリアン一世の女性たちの多くは、日々日本社会で抑圧され、鬱憤をため込む男性のはけ口とされてきた。自宅で酒を飲み酔っぱらった夫に殴られるという話はよく聞いてきた。私自身、父が母に暴力を振るう場面を何度も目の当たりにし、その度に剥き出しになった男性性への嫌悪と自分の中にも存在している暴力性に恐怖心を抱いてきた。

パレスチナで犠牲となっている人の7割近くが女性と子どもであるとされている。

また、ハマスによって拉致・殺害された女性の映像はSNSによって瞬く間に拡散され、センセーショナルに扱われた。
イスラエル当局に拘禁されたパレスチナ女性は「イスカート」と呼ばれる、性的拷問の脅迫にさらされることもあるという。また、社会の中で抑圧されてきた男性によって、家庭内での男性性の維持のため、その尊厳は奪われ続けてもきた[1]。
イスラエル、パレスチナのどちらにおいても女性は「女性である」というだけでその生が軽んじられてきた。そしてそれは在日一世の女性たちが体験してきたことにもつながるものでもある気がしている。
私はマイノリティとして生きながらもこの社会では男性として大きな特権を持っている。身の危険を感じる頻度は圧倒的に女性よりも少なく、仕事の中で発生するさまざまな事柄においては自分の男性性が有利に働くことも多くある。
そんな私がパレスチナのことを考えるとき、自分が男性であるということを無視したまま何かを語ることはできないし、きっと私が「パレスチナへの虐殺をやめろ」と発言するのと、女性が同じことを発言するのではそこにあるハードルの高さは大きく違っているのだとも思う。
それならば私がしなければいけないことは、自分の男性性がこの社会においてどのような影響力を持つのかを自覚し、反省を繰り返しながら、抵抗と連帯の意志を表明していくことだと感じている。

マイノリティとしての自分だけではなく、マジョリティとしても私はパレスチナと無関係ではない。私のどの部分を切り取ったとしてもきっとそれはどこかでパレスチナと交差している。そしてそれは私に限った話ではないのだと思う。

でも本当は「交差性」を考えなくても「人を殺すな」って言えるはずだし、言いたいなとも思う。
次回はそんなことと、子を持つ親として思うことを少し書きたい。


[1] 金城美幸『パレスチナとの交差を見つけ出すために――交差的フェミニズムと連帯の再検討』「交差するパレスチナ」新教出版社、2023年3月

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