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天才は紙一重

指揮者ヴァレリー・ゲルギエフに初めて出会ったのは、ペテルブルクで開かれる白夜祭の撮影をしたときだった。確か2002年だったように思う。

そのときは、オペラの開演前にインタビューを受けてもらったんだけれど、白夜祭について熱く語るうちに、開演時間が迫りつつあった。

「そろそろ、時間ですよ。」と気になるので伝えたんだが、大丈夫だ、と言ってそのまま語ることを延々とやめなかったのが非常に印象的だった。いや、大丈夫じゃないでしょ。インタビューをしている側が気を遣ってしまうくらい押したのである。

そして、今日(2016年9月の話だ)。ミュンヘンフィルを率いてゲルギエフがベルリンフィルでショスタコの交響曲第4番を振るというので、咳がゴホゴホ出るのを無理して足を運んだ。

咳が出るのにフィルへ?そう、2016年の9月であればそのくらいでゲルギエフのコンサートを諦めることはしなかったのである。今では考えられないくらい贅沢な話である。

あれ?オーケストラが舞台に上がっているのに、指揮台にゲルギエフが現れない。また、遅刻なのか?まさか、舞台裏でインタビューしてるとか?

客席からは拍手がパラパラ鳴ったり、来てるのか〜、なんてヤジが飛んだりし始めた。時計は20時20分を指している。20時開演なので20分押している。

そして、ようやくゲルギエフとセリフ役がブーイングを浴びて登場する。のっけからブーイングなんて、これまた前代未聞ではないか。ベルリンフィルの観客はそれほど優しくはないのである。

しかし、いささか変人ではあるが、指揮台に上がった瞬間に空気が変わる。やはりこの人もロシア的天才なんである。

そして、彼のショスタコは鳥肌ものだった。変人指揮による変人作曲家の作品と言えば語弊があるが、もはやクラシック・ロックと言えるくらいクレイジーなうねりに圧倒され、最後の静けさに痺れました。

この交響曲が終わった後に、拍手は聞きたくない、とゲルギエフは発言しているが、まさにそう。

曲が終わってからも、静けさの余韻を消さないよう、なかなか手を下ろさずに指揮台でひとり立ち尽くしていた。

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