ゴジラの記憶 #22 「ゴジラVSデストロイア」
平成ゴジラシリーズ最終作。「ゴジラ死す!」というキャッチコピーは当時話題を呼び、観客動員数も伸びた。とにかく、ゴジラ最後の時が神々しくそれだけでこの映画は見る価値がある。
そしてこの映画が「ゴジラ」第1作の直接的な続編だというのも忘れてはならない。何しろ、主人公の姉弟はあの新吉少年の遺児(天涯孤独となった彼は、山根博士の養子になっていた)。そして、博士の娘、山根恵美子まで河内桃子さんご本人が演じていらっしゃる!おそらく、河内さんの最晩年の仕事にあたると思われる山根恵美子さんは、どうやら「南海サルベージの尾形さん」とは結ばれなかったようである。そらそうか。幾ら「幸せになれよ!」と言われても、芹澤博士のあの壮絶な最期を見せられたら、結婚する気も吹き飛ぶというものである。多分、山根恵美子さんは、芹澤博士の菩提を弔いながら、あの山根博士が遺したご自宅で、40年もの間、一人ひっそり暮らしていたのだ。最初に出てきた時の佇まいからそれが伺われ、流石だなと思ったものだった。
この映画には「デストロイア」という先カンブリア紀の微生物が、芹澤博士の「オキシゲン・デストロイア」の影響で巨大兇暴化した敵怪獣が出てくるが、ストーリーの主軸は殆ど、体内の原子炉が暴走を始めたゴジラを如何にして冷やすかということである。一方で、そんなゴジラを倒すため、「デストロイア」を利用しようと考える人たちも主人公サイドに出てくるのだが、いつの間にかゴジラを見守る側になっているのも、ゴジラ映画あるあるなのだろう。東宝が生んだ世界的映画スター、ゴジラの最期を見届けるため、皆、厳粛な面持ちで見守るしかなかったのだ。
プロレス評論で有名な村松友視さんの造語に「凄玉」というのがある。ベビーフェイスやヒールと言った役割を超越した存在感を放つプロレスラーのことを指す言葉で、全盛期のアントニオ猪木とかスタン・ハンセンとかが例と言えば何となくわかるだろう。私は、平成ゴジラはまさにこの「凄玉」だったと思う。とにかく、作り手は昭和後期のような怪獣プロレスの善玉としてゴジラを復活させることだけはしたくなかった。その結果、「善悪」を超越し、放射性物質を喰らい、身長も100mぐらいに巨大化し、マグマの中を泳ぎ、時にはタイムスリップまでしてしまう。そんなゴジラは生物というカテゴリーさえ超えてしまった。
ゴジラを倒せるものはゴジラ自身しかおらず、誰もそれを止めることはできない。そんなゴジラはやはり孤独だ。溶けゆくゴジラを観ながら、私は思わず「お疲れ様」と声を掛けたくなったのだった。