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勝手に付け足し童話『桃太郎』


むかーし、むかし、あるところに
(*室町時代以前、岡山県であるとされている。)

おじいさんとおばあさんが住んでいました。
(*50歳前後、今でいえば若い方だが、当時では十分おじいさんとおばあさんである。)

おじいさんは、山へ柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に行きました。
(*実は、おじいさんは桃太郎より先に冒険をして、破壊神を倒したと。これを「シヴァ狩り」とよんだが、後世に伝わることはなかった。)

おばあさんが川で洗濯していると、川から桃がどんぶらこどんぶらこと流れてきました。
(*「流れてきたのは、桃ではない。」と証明した者こそ、かの有名な榎本武道である。彼は桃を川から流してみせ、どんぶらこではなく、ちゃぷちゃぷ音がすることを見せしめた。
では、桃ではなくなんなのか、この答えはこの後すぐ)

おばあさんが桃を持って帰り、お爺さんがそれを割ると、中から赤ん坊が出てきました。
(*赤ん坊というのは、赤ちゃんという意味では無い。
赤色の坊という意味だ。つまり肌が赤かったのである。
さらに、ここで言われるのが、桃を切ったら、赤ちゃんごと切れてしまうのではないか、という疑問である。その疑問にこそ、桃太郎という話の核心が含まれている。
桃を切ったのは、おじいさん、すなわち、おじいさんは、桃の中に、赤ん坊がいることを知っていたのだ。だから避けて切った。
なぜ知っていたのか?数多くの諸説があるが、ここでは人知れず唱えられた安斉太啓の説を説明する。
先述した、「桃は桃では無い」、答えは、「桃は鬼のお尻である」。おわかりいただけたろうか。
おじいさんはシヴァ狩りへ行った。まだ、おじいさんがお兄さんの時だ。その時、女の鬼を仲間にした。そして2人は恋の落ちた。しかし、シヴァを狩ったあと、2人は種族としての違いから別れ、おじいさんは今のおばあさんと出会った。だが、おじいさんには誤算があった。鬼の子供は、母の体の中で30年は眠るのである。おじいさんにはもう今の生活がある。しかし、迫ってくる過去の一瞬の過ち。おじいさんは、殺してしまったのだ。女の鬼を。子供が生まれる前にその手で殺し、バラバラにして、池に沈めた。さらに過ちを犯す。池は川につながっていた。バラバラにされた女の鬼のお尻が、その川に流れてしまったのだ。それを桃と勘違いしたおばあさんが拾ってきた。おじいさんは、見覚えのあるその赤い身を見て、微かに聞こえる産声を聞いて、二つに切ろうと思った。でも、できなかった。鬼の半身であろうと、我が子には変わりないのだから。そして、赤ん坊が出てきたのである)

2人は、赤ん坊を桃太郎と名付け、可愛がりました。
(この受け入れの速さも、おじいさんは知っていたゆえである。)

桃太郎はすくすくと育ちました。
(無論、鬼ゆえ)

ある日、桃太郎は島で鬼が暴れていることを聞き、自分が退治に行くことを決めました。
(鬼の本能である、力試しが働いたか)

おばあさんにきびだんごを作ってもらって、身なりを整え、出発しました。
(あのちょんまげは、実は一本角であることはまったく知られていない)

イヌ、サル、キジを仲間にしました
(鬼ゆえ、動物と喋れるのである)

そして、鬼ヶ島につきました。
(故郷に帰ってきたことになる桃太郎。)

精一杯戦い、鬼を退治しました。
(自らを鬼と知らず、仲間と戦う桃太郎、なんと哀れな話であろうか)

鬼は負けを認め、金銀財宝を渡しました。
そして、桃太郎は幸せに暮らしましたとさ。
(嘘である。人間が書いた嘘っぱちである。桃太郎は真実に気づいたが、もはやどうすることもできず、人間として生きる道を選んだ。しかし、隠し事があるものに幸せは決して訪れない。真の幸せとは心に影のないということだからである。桃太郎とはその幸せの意味を教えてくれる童話なのである)

(*()の中に書いてあることは全て嘘です。)

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