諸国漫遊記回想録の来場者特典備忘録
初めてnote使うけど完全にメモ代わりとして使う。
諸国漫遊記の東京公演は落選して現地で見れなかったが、その1時間後に開催された回想録(諸国漫遊記振り返りトークライブ)には当選したので現地に行った。
回想録は配信があったが、配信を切った後、来場者特典としてDVDの特典映像の公開収録が始まった。
聞いてなかったのでびっくりそして嬉しかった。
DVDの特典なのでDVDが届けば見れるのだが、現地で見れた事実を忘れたくなくて備忘録として残しておく。
内容としては、南條と三島が吉本に所属してから現在までを年表とともに振り返るもの。
南條と三島が書いたNSCの願書に載っていた顔写真と自己PR文が公開された。
南條は阪神の鳥谷みたいな顔(三島は麒麟川島みたいと言ったが賛同は得られず)、三島は犯罪者みたいな顔にガバッと開いた厚手の黒ジャンパー。
三島は野球を知らないけど、鳥谷と金本と今岡だけは顔が分かるらしい。
自己PR文は、南條は就活のエントリーシートのような真面目な文章が下の行までびっしり埋まっており、「自分はスターや主役になれるような人ではないが、お笑いの世界は必ずしもスターや主役のような人ではなくても活躍できる」とその時から自分が縁の下の力持ちであることを自覚している文が書かれていた。
そして「座右の銘は"継続は力なり"」と聞かれてもないのに座右の銘を書いて締め括っている。
対する三島は「面白いことを考えるのが好き。有名になりたい。」とたった2行だけの文で、当時の自己PR文にも南條と三島の性格がよく表れていた。
続いてバルチック艦隊とうずまきのネタの映像を見る。
うずまきのネタははじめてのおつかいを大人がやるもので、同期ライブで1位を獲ったものらしい。
南條のツッコミのテンションは今とそこまで変わらない。
南條は坊主だった。
バルチック艦隊のネタは解散直前のタイミングだったようで大分迷走していたらしく、三島が角髪(卑弥呼様ー!のやつ)を付け、邪馬台国コンセプトのテレビショッピングをしていた。
昔の時代コンセプトで今のネタをやるという形を、この時既に三島はやっていたのだ。
しかもテレビショッピングも今あるネタだし、「お値段牛7頭分!」とかほぼ今あるネタと一緒だった。
ネタの映像を見るとき、2人が階段(階というみたいですね)を降りて食い入るように見ていたのが印象的だった。
バルチック艦隊はNSC時代にいくつか賞を獲っていて、NSC時代でいくつか年表に書けることがあるのはなかなかないと言っていて、バルチック艦隊がいかに当時エリートだったかを示してくれた。
バルチック艦隊とうずまきがそれぞれ近いタイミングで解散して、三島ともう1人がコンビ組んだと聞いた南條が、自分も入れてくれないかともう1人の人(バイト一緒だったらしい)にお願いしたそう。
ガンセキオープンの南條が百人斬りをするネタも見たのだが、立ち位置すらぐちゃぐちゃの酷いネタだった。
2人とも顔を覆ったり天を仰いで頭抱えたりしていて、「この頃が一番地獄だった」をまざまざと見せつけられた。
ガンセキオープンが解散してドロスス、みなみのしまを結成し、間もなく狂言ネタが生まれる。
生まれて間もない狂言ネタの映像も見せてくれた。
官能小説を読んで一部鼓の音に掻き消されるネタだったが、まだどこかぎこちなかった。
金屏風を手作りしたらしく、東京に持ってきてまだ捨ててないそうだ。
東京に来てからまだ売れてない頃に当時のルミネの副支配人に気に入られ、浅草で単独ライブをやらせてもらい、これが彼らの初単独ライブとなった。
そして、大宮セブン加入、すゑひろがりず局番開始、M-1決勝進出、R-1決勝進出、あつ森大バズリ、諸国漫遊記開催とサクサク進んだ。
願書の自己PR文をもう一度見せてもらい再び笑い、若い頃のやるネタなんてこんなもんですよ、継続していけばどこかで実を結ぶ、それこそ「継続は力なり」だと上手いこと言って締める。
最後にこの先の目標を話すが、南條は自己PR文よろしく長々真面目に話し、「継続は力なり」で締めた。(その間三島は場外(能の舞台では見えないスペースとなる部分)に捌けた)
三島も自己PR文に倣い「面白いことをやります」と短く終わらす。
エンディングでは締めの挨拶を南條が噛んで「もっかいやりまーす」とやり直して終了。
何か思い出したら追記するかも。