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こんにちは。yamaki-doです。

今回はまたテーマが変化球となりますが生と性で最近思ったことを書いていきます。苦手な方、不愉快に思う方は読みすすめるのを止めてくださいね。

性に関する暴力や、間違った知識によって行われた行為により傷つけられてしまった人、行為の結果責められてしまった人、命を落とす人、授かった命を失ってしまった人、そんなニュースを見る度に心が痛くなります。どうして、こんなに性に関するエンターテイメントが溢れているのに、自分にあう性、自分を満たし大切にする性、人を思いやり守る性への情報ってアクセスが難しいんでしょうか。そんなところについて自分が思っていることをつらつらと書いていきたいと思います。

さて単刀直入、性交中にエクスタシーを感じるとき、どんな情景が脳裏に広がっていますか?空を飛ぶ感じと表現する人もいますよね。みなさんどんな映像を思い浮かべるんだろう。

私は、おかしなことに空を飛びません。夢でも空を飛ばないので、なにか深層心理が影響しているのでしょうか。詳しい人は教えて下さい。不思議なことにたいてい水中にいます。水中から空の方を眺め、波がゆらゆら揺れているのを感じます。どういうわけか水中の外はオレンジ色の世界で、水中からもオレンジ色が水面に映り込んでいます。そして、自分の身体はひとつのアメーバーで、思考を持たずただ波の揺れに身を任せています。揺れながらそして今にもふたつに分裂しようとしていく、そんな情景が広がっています。他の人にとってはエクスタシー要素ゼロだと思います。

それで、どうしてこの情景がエクスタシーなのかについて、考えてみました。

わたしの性の原点はトルコ人と結婚していたこともあったので、そこかもしれません。中東のイメージってあまりわからない人も多いと思いますが、私が中東の文化と関わってとってもいいなと思ったことの一つにハグの習慣があることです。ハグの習慣は大学時代から感覚的にいいなぁと思っていたのですが、ハグがもたらす波及効果についての自分なりの考察が線となりかけていて、それが自己肯定感を高めたりや自分虐待を止めて性の多様性に繋がっていくのではと思ったので、ご紹介したいと思います。

元パートナーのトルコ人の家庭では、ハグは挨拶よりも頻繁にしていました。軽く抱きあってから、両側の頬に軽くキスし合うものです。来る日も来る日も友達、親戚、兄弟、親子、誰かしら会う度にそのイベントが起こるので、私もドリカムの吉田美和になってしまうんじゃないかというくらい首を動かしました。そんなある日見てしまいました。長らく会えなかった息子への愛が溢れすぎて感極まった父が、起きてきた息子へのおはようの挨拶に唇ギリギリ(いやあれはシャラポワの父に少し劣るくらいの直球だったと思う)に熱い接吻をかましていたのを。日本で育つとそういうシーンにまず出くわさないので、とても驚きましたが、私も愛猫だって食べてしまいたいくらい好きだもの、思い込みの制限や世間体とかの殻を被らず、食べてしまいたいくらいかわいい息子、しかもそのとき30代手前のまぁまぁおじさんへの愛情を素直にのびのびと表現できる文化って、逆に無敵だなぁと思いました。

性の多様性を考えた時、日本には溢れるばかりの性の商品があるにも関わらず、性を楽しめない人が多いと聞きます。10年前は性産業の市場規模はGDPの1%(今でも同じ比率だとしたら500億円ほどの市場)と言われていましたが一方で、Durex社の調査では、セックスの頻度と性生活満足度で不名誉な最下位をぶっちぎってきた日本。このギャップは、どこでどうボタンを掛け違えて生まれてきてしまったのかを考えていたとき、ふと、中東では生きるという本能に動かされた性をよく感じたということを思い出しました。

2003年に公開されたパレスチナ映画、イスラエルに住む主人公がパレスチナ自治区に住む愛するガールフレンドに会えるのは、イスラエルから自治区に入るチェックポイントの駐車場のみ。二人は数分間、車の中で見つめ合い、抗えない不遇な日常にそれぞれ戻っていきます。避けることのできない政敵批判をテーマとしながらも、そのような状況の中でのもう一つの現実としての、この数分間の見つめ合いを多様な性行為の一つとして捉え表現しようとした映画であり、今でも印象強く記憶に残っています。

みなさんは見つめ合うだけの行為を性行為として成立させることをどう思いますか?

生を繋ぐ意志の先に、相手を欲する性的欲求があるとするなら、私はそういう性行為もあることに感動を覚えました。

日本にいるとどうしても性器にのみ焦点が当てられた性の表現をよく目にします。中東のように母や父を抱きしめる時、もしかしたら生まれてきたこと、生を残していくことへの欲求につながる欲望としての性の欲望が生まれるのかもしれない、と最近ふと思いました。

だから、生命がつながっていく欲求を全身で受ける時、命の起源を夢見るのかもしれません。

もし、自己を肯定できず性的欲求をこじらせている人がいたら、一度母や父の手を握りしめてみて、更にできることなら抱きしめてみてほしいと思います。自分が存在している原始的な理由や、これから繋がっていく宇宙的な理由を感じるかもしれません。

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