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私と競馬とジャックドール

ジャックドールとの出会いは2022年の4月だった。
社会人生活も4年目に突入し、新人という免罪符も外れる頃、私に初めての直接の後輩"N氏"ができた。
彼は入社年度が2年下だが、一年間の浪人を経てから大学院まで通ったため、大学卒の私より年齢が一つ上だった。
初めての後輩と仲良くなりたいが、年齢は年上という、いかんともしがたい関係。
一年間の研修等を経験し、初めての本配属となるN氏を意を決して飲みに誘った。
N氏はとても感じが良いおおらかで明るい青年だった。私の話には小気味良く相槌を打ちながら応えてくれ、彼の話はどれも興味深く声を上げて笑ってしまうようなものだった。
そんな彼と杯を重ねる内に、彼の好きなものがいくつか分かった。
ベイスターズ、お酒、タバコ、競馬、それが彼の好きなものだった。
ベイスターズのファンクラブに入ってはファームの試合を一人でフラッと見に行き、お酒は学生時代350日は飲んでいて、タバコは居酒屋で平気で2箱近く吸い潰し、競馬は金の無い学生時代にも年間100万を使う豪胆ぶりを発揮する。彼の好きなものはどれも筋金入りだ。
私も彼ほどの熱は無いにしろ、ドラゴンズが好きで、お酒が好きで、タバコも昔嗜んでいた。
ただ、競馬は遊びで一度だけ有馬記念のクロノジェネシスに賭けた程度で手をつけたことはほぼ無かった。

彼に競馬を尋ねてみると、驚くほど流暢に熱意を持って競馬のプレゼンをしてくれた。
その週末、試しに高松宮記念で彼が新馬から追いかけているというグレナディアガーズに賭けてみることにした。
結果は12着と大惨敗。特に悔しいという感情は無く、話のネタが出来たなと思った程度だった。

その翌日、N氏に話したところ「僕もボロ負けでした」とカラッとした笑顔を見せた。
そして、週末の大阪杯にエフフォーリアという現役最強馬が出ると話していた。馬体写真を見せてもらい、確かに強そうだなと感想をこぼしてながら流し見していたところ。ある馬名に目が止まった。

「ジャックドール」

私の実家ではジャックラッセルテリアという犬種の家族がおり、名前は母親が安直に「ジャック」とつけている。
それがきっかけで、よく馬体を見てみた。
他の馬より赤みがかり、大きな流星がある端正な顔立ち。一瞬で惹きつけられた。
私は今一人暮らしをしているが、実家を出るきっかけになったのはジャックの前任者であるビーグル犬の"ヒット"が亡くなったからだ。
彼とは小学生の時に家族になり、社会人になるまで一緒にいた。私の最愛の弟だ。最後を看取れたのは本当に幸運だったと思う。
ジャックドールの顔の模様はヒットのそれと酷似していた。その顔立ちと名前から私は運命的なものを感じていた。
N氏が言うところには、この馬もとんでもなく強いらしい。彼はおもむろにYouTubeを開き金鯱賞の動画を見せてくれた。赤みがかった馬体に大きな流星を携えて、他を寄せ付けずに圧倒的に勝ちきった。美しいと思った。
自分の中で血が熱くなる感覚が確かにそこにあった。

来たる日曜日、私は心臓を高鳴らせながらテレビをつけていた。
ファンファーレが鳴ると、ジャックドールは勢いよく飛び出す。一際目立つ大きな流星を主張するように先頭に立ってレースを進めていた。最後のコーナーを曲がったところで他の馬の追走にあった。私は彼の名を叫ぶが、懸命に走る美しい馬体は馬群の中に沈んでいった。
結果は5着。
胸が張り裂けそうだった。
彼を知ってからせいぜい1週間なのに、なぜか自分のことのように辛かった。

翌日、N氏は蹄鉄が外れていたことを教えてくれた。私にはそれがどのような影響を与えるのか想像がつかなかったが、少し胸が軽くなった。
ジャックドールがなぜ負けたのか、ラップタイムや隊列、出走間隔など様々な要因の分析を行った。今でも答えは分からないが、私は使いすぎと落鉄という形で自身を納得させた。ジャックドールが力負けをしたなんて事はあり得ないと自分に言い聞かせるように。

これを機に、私は競馬を真剣に予想するようになった。N氏と予想を話す事が日課になっていた。昨年の回収率100%超え、今年度に関しては130パーセントを超えるN氏に気軽に時間を割いてもらえるのは幸運なのだろう。
有識者が近くにいた事も幸いし、いつからか競馬は私の大切な趣味となっていた。

今年の夏は資格試験の勉強が忙しく、日曜日は朝から晩まで資格学校があり、土曜日はその課題で祝日を使い潰す有様だった。
当然、日曜日にリアルタイムで競馬を見る事は叶わない。
平日の隙間時間を使い、満足いかない予想で競馬をする日々に少し疲れていた。
また、貴重な休日を資格学校に溶かす日々にも辟易していた。
率直に言って、気が滅入っていた。

ちょうどそんな時だった、札幌記念があった日は。
私はもちろんジャックドールの単勝になけなしのお金を賭けた。
だが、私は彼を信じきれていなかった。パンサラッサ、ソダシと超一級の有力馬が出走し、ウインマリリン、ユーバーレーベン、マカヒキ等怖さのあるメンバーが揃っていた。
その上、コースは惨敗した大阪杯と同様の右回り。また、彼の本領が発揮されるのはハナを取った場合のスロー逃げなのでは無いか、ハイペースにはついていけないのでは無いか。天皇賞・秋を目標にしていることから、今回はメイチの仕上げでは無いだろう。東京巧者の彼には洋芝は厳しいのではないか。
様々な考えが私に纏わりつき、サイズの合わないTシャツを着ているような窮屈さを覚えた。

だが、彼を、私にとってのヒーローを信じて、自分は目の前の課題に取りかかろう。そう意を決して課題に取り組んだ。
資格学校がひと段落したのは17:00だった。
終わり次第、携帯を開くと幾つかのメッセージが入っていた。

「おめでとうございます!!」
「ジャックドールおめでとう!!」
「ジャックドール強かった!」

それは会社の競馬仲間からの祝福だった。
胸の奥から込み上げるものを感じた。堪えなければ、涙が出そうだった。
たかが競馬、しかもギャンブルと人は言うだろう。それは、おそらく間違いでは無い。
しかし、人生をかけてサラブレッドを育成する人や体重や身体能力を厳しく管理して命をかけて騎乗をする人、自身の培ってきた多くの財産を叩いて馬を買い我が子として愛する人、そんな人を誰が笑う事ができるだろう。誰が軽んじる事ができるだろう。
私のような、たかが競馬に心が救われた人がいたとしても、それはそれで良いじゃないか。

その日から、私は自分を再起させてくれたジャックドールを一目みたいと思うようになっていた。
ただ、今の自分では会えない。
彼を札幌記念にて信じきれなかった事が、溶け切らない絵の具のように胸に残っていた。
せめて、彼を信じるに相応しい人間に近づけるよう、自分の目の前にある事に懸命に取り組もう。私はそう考えるようになった。

そして、資格試験が終わった。
結果は分からないが今できる事は出しきれたと思う。
それもジャックドールのおかげである事は私の中で揺るがない真実なのだ。

そして、今週末、私は彼に会いに行く。
焦がれて、憧れていたヒーローに私は会いに行く。
彼はどんな走りを見せてくれるだろうか。
どんな姿で現れてくれるだろうか。
25歳にもなって、クリスマスを待つ子供のような気分だ。
どうか、彼が無事に走りますように。
そして、三白眼に大きな流星、赤みがかった馬体に四白流星の彼がウイナーズサークルに堂々と現れますように。

天皇賞・秋
自信の本命馬
◎ジャックドール

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