ぼくはまだ、ことばに頼っている
伝わるって素晴らしい
ぼくにとって、ことばは架け橋。
日本語、英語、中国語、いろんな言語を使って架け橋にすることができる。
たくさんの言語をつかえるようになればなるほど、
なんだかたくさんの人と話せるようなきがしてくる。
そしてじぶんの言葉が通じると、こころがかよったような気がして、
なんだかちょっとうれしくなる。
100パーセントぼくの育った環境のおかげとは言えないが、
ぼくは英語が得意だ。
たくさんの外国人に囲まれた環境で育ってきたおかげで、
多少なりともわかる。
高校生でオーストラリアに行った時も、
そんなおかげであまり言語の壁というものに当たらなかった。
そんなぼくが大学一年生のとき、中国に留学して、
初めて直面した言語の壁。
それが中国語だった。
日本語と英語がいくらできても、
みんなが話しているのは中国語。
中国語が話せなければ伝わらない。
初めてつたわらなかった日。
じぶんの知っている単語でどれだけ伝わるか。
単語の羅列で意思を伝えて、
むしろ単語をあんまり知らないから羅列すらできなくて、
とにかく身振り手振りで伝えて、
あいてが一生懸命聞いてくれて。
外国語で約束を交わしたことってある?
一緒に交わしたはずの約束が、自分の言語能力のせいで
つたわらなくて、やぶられるのは結構つらい。
だからこそ、そのときにことばにかじりついた。
はじめてのやくそく
じつはこのすぐ1年後に、台湾にもいくことになった。
今回はちょっと違う。
『もう伝わらないことがわかっている。』
割り切ることができた人は強いとおもう。
最初から伝わらないからなんでもしようとする。
身振り手振り、メモを見せたり、友達に頼ったり。
だんだんそれらを使いすぎてめんどくさくなって、
友達もメモも使わなくなった時に、ふと思った。
『あれ?これもしかして普通に伝わってる?』
いつのまにか、言語を習得せずに、
頑張って伝える癖がついた。
でも、それでもしっかり伝わることもわかった。
本当に繋いでくれるのは、なにか。
最初の壁にぶつかったその2年後、
今度はまたオーストラリアにいくことになった時、
ぼくのなかの想いは変わっていた。
『どんなに伝えたくても、伝わらないひとだって、いること。』
そして、
『ことばに頼らなくたって、意外と通じること』
そう思い始めたら、なんかおもしろくて、
これまで結構避けていた、
自分がわからない言語を話す人たち
とも交流をするようになった。
その中でも特に自分が気に入ったのはブラジルの人たち。
伝わろうが、伝わるまいが、どんどん自分たちの言葉で話しかけてくる。
あとから聞いた話、ブラジルには日系人が多いことから、
ぼくのことを本気でブラジル人と思ってたらしい。
地球上では日本とほぼ真反対のところにあるといわれているこの国も、
ことばに頼らず交流を続けたことでたくさんの友達ができた。
一緒に歌ったり、踊ったり、楽器を演奏したり。
お別れの時に一番泣いてたのはぼくだったっけ。
最近になって振り返ると、
やっぱりだんだん戻ってきている。
非言語のコミュニケーションは、
必要性に迫られないとなかなか出てこないらしい。
うーむ、まだまだ。
『ぼくは、まだことばに頼っている』
それがわかっただけでも、
結構な収穫かな。
めっちゃよき
ざっく