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2020.05.24 【剛腕!中田翔!!】
はじめに
草むしりを完了して、昼飯食って、昼寝明けのzaboでございます♪
こんにちわ!今日は以前から、興味があった、日本ハムの不動の四番バッター、中田翔の高校時代・・・これを調べて、Noteに記し、radio配信したいと思っております♪
基礎データ
1989年4月22日生まれの31才。広島出身。右投げ右打ちの内野手です。
侍ジャパンの経歴もある、北海道日本ハム所属の大型大砲です。
2014年・2016年と打点王を二回も獲得した時代を代表するこのスラッガーは、プロ入団前は投手だったのです。
今日はこの【投手・中田翔】を紐解いていきたいと思っていますよ。
剛腕!中田翔!!
小学3年、野球をはじめた中田はキャッチャーやらのスタート。6年で投手へ転向。中学時代には日本代表入り。4番エースとして活躍4本塁打でMVP。世界大会(アメリカ)準優勝に貢献。
広島生まれの中田はトーゼン、カープファンで、実家の近所にあった、緒方孝市の家に押しかけ、サインをもらったコトもあります。
中田は、高校進学を大阪の名門・大阪桐蔭高校へ進学。
1年からレギュラー入り、5番ファーストで出場。辻内(元巨人)、平田(中日)夏の甲子園ベスト4に貢献。
ここから投手の話題です。
同時に、投手の練習もしており、二年秋からエースで4番に!大阪桐蔭でエースで4番!!現西武の岡田雅敏とバッテリーを組み、注目度ナンバーワン投手といわれるようになっていく。
地元紙では「一人KK(桑田・清原)」と紙面で伝えている。
中田曰く、「ピッチャーをやるつもりで大阪桐蔭に入った。ピッチャーとしてプロになりたと思っており、バッティングは遊び感覚だった。」
中田は高校二年にして150キロを超えるスピードボールを投げていた。
また、
キレ、コントロール、変化球も抜群で、体格にも恵まれており、その才能は大阪桐蔭の西谷監督も認めていた。監督インタビューでも、「松坂大輔くらいにはなるんじゃないか」と答えている。
当時の大阪桐蔭のキャプテン・小山も、
「中田レベルの投手は他の高校を見渡してもほとんどいなかった。」と答えている。
が、二年春にヒジを故障してしまう。
投げない間、中田の体つきは、グングンと打者のものなっていった。
打者・中田の評価もグングン上がっていった。
そして、ケガが治り、投手の練習をはじめるも、以前のイメージとは違うものになっていた。2年春までのボールは投げることができなくなっていた。
投手としては活躍できなかった。
西谷監督曰く、「故障後は直球は147キロまで戻ったが、キレが戻らなかった。速球だけなら投手を続けてもよかったが、将来は野手で、という決断をした。<球質>で投手を諦めたからこそ、今がある。」と答えた。
打者・中田として
その後は、内野・外野などに就きながら、4番打者として大活躍。
高校通算本塁打87本。甲子園歴代7位の4本塁打。
ドラフト時には佐藤由規(S→E)、唐川(M)とともに、<高校ビッグ3>と呼ばれ目玉の一人に。F、T、Bu、Hの4球団の抽選の上、ハムに入団。背番号6。
すり足打法、一本足打法、ガニ股打法など試行錯誤を繰り返し、
現在は、日本を代表する4番打者となったのであった!
*出典「Wiki」&「エンタメニュ~~ス」&日刊スポーツ.com
おまけのYouTube【投手・中田翔】
締め
ご拝読、ありがとうございました。 m(_ _)m zabo