まずはメーリングリスト
とりあえず当時はメールでのやりとりがメイン。なので、そこに集った皆のメールアドレスをメーリングリストへ登録する作業が最初だった。
その辺りの作業から僕はCETに関わった。この頃はまだ名前の無いイベントだった。
この時は2003年の秋。表参道・青山などを中心としたイベント「Tokyo Designers block」の準備中だったか、既にスタートしてるかのギリギリの頃。
TDBの期間が2003年10月9日〜13日の5日間。僕らの名無しイベントが11月7日〜16日の10日間。なぜこんなに長かったのか、その理由は記憶に無い。
僕らのイベントの事務局は、青山にあったIDEE Rのオフィスに置かれることになった。当時の関係者は皆、渋谷、青山など、今で言う「西のエリア」に事務所を持っている人が多かったので、この方が好都合だったのだ。
僕自身もオフィスを間借りする形で、南青山に事務所があり、この時のIDEE Rの事務所には徒歩圏内だった。
メーリングリストをスタートさせると、凄まじい量のメールが飛び始めた気がする。「この人をMLに追加してください」という様なメールや、「これが必要」「あれが必要」。そして今で言うCETエリアの見学などの調整もあった。
CETエリアで基地となったのは、「日東リビング」さん。問屋街にある昔ながらの問屋さん。タオルや布団などを扱われていて、1〜2階がショールームになっている様な比較的大きなお店。
ここの2階にイスを並べてミーティングすることも多々あった。
これと同時に動きがあったのは、神田に誕生する「REN BASE UK01」。10月のオープンに向け、運営はアフタヌーンソサエティ、内装のデザインはテレデザイン、サインなどのグラフィックをアジールデザインが担当した。
この関係者はCETの中心人物達なのだけれども、ここで空間とグラフィックが絡む仕事と、実際に生まれた空間があったことで、色々な関係者がCETの一片をイメージ出来たのかもしれないと今は思う。
後に、このREN BASEもCETエリアの基地となる。
CETエリアに基地が出来ると、そこに一旦集まってからの街歩きなどが出来る様になって、色々な物事がリアルになっていった。
日東リビングの社長である鳥山さんは地元と僕らを繋ぐ大切なキーパーソン。よくこのイベントを開催したなと思う。その具体的な部分は少ししか見れていないけれども、地元町会を口説き、区役所を口説き、昔ながらの街の「お偉方」を口説き、僕らのワガママを受け入れてくれた。
今でこそ『街をアートで』とか言えば分かりやすいし、類似の試みを集めて資料を作る事は簡単だろう。それが無い当時、彼は一体どうやってこれから起こる事を説明していたのだろうか。時間が経てば経つ程、謎だったりする。
とはいえ、そんな状況を心配するでもなく、僕らは「やる」となったイベントの開催に向けた準備に夢中になっていた。苦しいけれど、楽しい時間でもあるよね。
TDBの関係者ばかりが中心になっていたこともあり、ある意味で街イベントのプロが集まっていた。IDEEの中心メンバーも関わって助言して、時には動いてくれていたコトが大きい。
「よく、まぁ出来たね。」という意見もあるけど、やるとなれば出来ちゃうメンバーが揃ってたのだから、初めてながらもプロ集団である。TDBの力も借りて、集客力もあったなと思う。
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