さよならプラズマテレビ/あるいは初任給で買ったテレビへの自分なりの鎮魂
プロローグ「告知」
少しさかのぼって、2021年末。
私は、実家のには帰省することなく、東京の家(そう、マスオさんしている妻の実家)にて過ごしておりました。
妻から、私の実家への帰省を猛反対されましてね・・・。
私は抗いましたが、私の権力ってもんは、アメリカを前にした日本を遥かに下回る。
今にして思えば、しっかりとコロナ第六波が席巻しているので、我が妻はしたり顔なのですが、ようやく帰省できると思ったら断念させられたことに、私としては、不満を溜める毎日。
ずーっと東京で、かつ特に派手な外出をすることなく、過ごしていたわけです。
ただ、自宅だけだと、時間を持て余してしまう。
帰省や外出の代わりに、妻が提案した、年末年始のテーマ。
それは、「断捨離」でした。
やべえな・・・私は妻から「断捨離」というワードが出た瞬間察するのですが、妻が言う「断捨離」とは、
(あなたのものを)「断捨離」(私のものは)「ある程度捨離」
なのである。
私が戦々恐々とする中、今回目をつけられたのは・・・私が初任給近辺で購入した、2010年来の相棒、プラズマテレビであったのです - 。
僕とプラズマテレビ
「テレビ」。
「テレビ」の独自性を考えるに、それは、「メディアとしての」テレビと、「デバイスとしての」テレビが、表裏一体であるという点。
ラジオにせよ雑誌にせよ、デジタルは言わずもがな、スマホに統合されている昨今。
ネット同時再配信なんてことがあるにしても、リビングにテレビが置いてあるという状況に、大した変化はないと、さまざまなデータは無視して私は主張したい。
テレビを持ってない若者が多いらしいですが、テレビも買わない奴のことなんか、知ったことじゃねーぜ!
古い考えかもしれませんが、私はそう思うわけであります。
話はそれますが、そういう意味では、番組のクオリティとかは置いといて、「ワクワクする家電としてのテレビ」の開発こそ必要なんじゃないだろーか。
バルミューダが、「バルミューダ THE テレビ」とか出したら、面白そうである。
まぁ最近はバルミューダもスマホで大変らしいけどね。
なんてことはどうでもよくて。
テレビと夢はでかい方が良い。
俺ってば、そういう世代なのです。
そんなこんなで、私は、2010年に社会人となると、初任給で、速攻でテレビを買った。ブルーレイレコーダーも買った。
たぶん、総額で40万くらいしたはずである。
一括ではなく、相当数に分割したような。
時に、翌年に控える地デジ化=アナログ放送終了 が世を賑わしており、さらには液晶か?プラズマか?という選択肢も全盛期。
私は、膨大なリサーチのすえ、パナソニックのプラズマテレビを購入した。
プラズマの発色こそ、クリエイターが望むクオリティである。そう信じたのである。
あゝ、君の名は。
TH-P46V2。
たしか、同時にVT1という、3D機能付きのものも発売されたが、家で3Dなんか見ないだろ。ジャイアンツの宮崎キャンプ映像を3Dで見て、何が楽しいんだ。
そんなことを思ってたから、僕は君を選んだんだ。
君が、僕の一人暮らしのワンルームにやってきたときのことを、昨日のように思い出す。
恭しく、爆弾処理班が扱う不発弾のように丁重に持ち運ばれ、設置された君は、さすがの存在感を僕の家にもたらした。
最初に君に写した映像は、「キングダム•オブ•ヘブン」のブルーレイだった。
当時の僕は、あの映画が大層好きで(今も好きだけど)、初めて自分のお金で買ったテレビで最初に流す映像は、「キングダム・オブ・ヘブン」と決めていたのさ。
じきに彼女ができて、その女性はのちに僕の妻になるのだけど、その彼女を、アベンジャーズ好きにさせてくれたのも君だったし。
プロポーズのきっかけも、君が流してくれた「ザ•ノンフィクション」だった。
孤独死がテーマで、彼女は、「あなたを孤独死させたくない」って泣きながら言ってくれたから、「じゃ結婚してよ」と僕は言ったのだ。
結婚すると、一人暮らしをやめて、2人で暮らすようになった。
そのときには、初々しい姿はとっくに無くなって、「汚いからとにかくあなたの一人暮らしで使ってた物は捨てる」モードに変容した、妻の断捨離ジェノサイドも、君は切り抜けた。
そのうち、子どもができて、妻の実家にマスオさんとして引っ越すときにも、君はついてきてくれた。
やがて、幸運にも、子どもを授かった。
現代っ子ってのは、なんでもタッチスクリーンだと思うのか、長男は君のディスプレイを指紋と涎でベトベトにした。
乾燥した涎と、こびりついた指紋で、カピカピになっていく君。
この2年くらいは、うっすらと青色の発色が強くなった。
革製品がどんどん馴染んでいくように、姿を変えながら、生活に溶け込んでいく君。
かつて、出会った時の君の輝きではないけれど、そんな姿を見るたびに、僕がどんなに勇気づけられたか。
ぶっちゃけ、5年くらい前までは、「新しいテレビ欲しいな」と思ってた。でも最近は、「行けるところまで行こうか」と僕は呟いてたぜ、、、。
そんな感傷をぶったぎるように、
汚いし、映りも悪いから、このテレビ捨てよーぜ。
と、うちの妻からの命令がくだったのであった。
なんで今なの?なんで5年前に言ってくれなかったの?あとちょっとだけ頑張らせてあげようよ!
そんな願いむなしく、プラズマテレビとはお別れである。
ちょっとした抵抗
うちの妻は、「モノ」に執着することがない。
ブランド物にはさほど興味を示さないし、家電等のデバイスにしても、平気で謎の中国メーカー製を買ってくる。
何か一つのものをずっと愛用してる感じは見えない。
妻は東京生まれ東京育ち現住所は東京(というか妻の実家そのまま)なので、なにかしら、10年くらい使ってるやつがあって良さそうなものだけど、全然ない。
かといって、モノをぞんざいに扱ってるわけでもない。
100均か300均かは知らんが、ペナペナのプラスチック的な包丁(小学生用か?)をずっと使ってた。じゃがいもを切るときに、ぐにゃりと曲がるような強度で、とても使えたもんじゃなかったが、妻は、「別に切れるから良いじゃん」という感じだった。
おそらく、コスパってもんを重視してるんだろう。
それなりのモノを買って、それなりに使って、捨てる時は捨てる。僕に言わせれば、ロマンってもんが足りない。
「ときめくか」「ときめかないか」で物を捨てるか捨てないかを決めるのが、世にいう、こんまりメソッドだが、
我が妻メソッドはおそらく、「イライラするか」「イライラしないか」で判断している。
「あたしが」イライラしたら捨てる。我慢できるイライラなら、捨てない。
私のプラズマテレビは、最近確かに不調だった。
46インチのディスプレイ、左端15cmに、縦じまの青白い帯状の異常発色がでることもしばしば。
右上にも、各局のロゴを表示し続けたせいか、正方形サイズのこれまた青白い残像が残る。
私は、「仕上がってきたなこいつ・・・可愛い奴め」なんてことを思ってたが、妻はどうもイライラしていたようだ。
「汚いし場所とるし、こいつは捨てる」と宣言した妻に、
「まだ使えるじゃないか。頑張ってるじゃないか!」と私は主張した。
妻の返答は、
「嫌だ。汚いし場所とるし、イライラする。4月以降時間がなくなるから(長男が小学生になる)、今のうちに捨てて新しくしたい」
という、安楽死を譲らなかったのである。
こいつは、、、もう抵抗しても無駄だ。
私はそう察した。
「ていうか、新しいテレビ要らないんじゃない?父親(私でいう義父)からもらったテレビあるし」
→いや、それは10インチくらいのお風呂用テレビみたいなやつやん。
「プロジェクターにして、壁に映すことにすれば良いんじゃない?」
→家が常時薄暗いのは勘弁してほしいし、しわしわのカーテンに映された映像なんか見たくない
と精一杯の抵抗を図る私。なんとか、新しいテレビを迎えることに着地した。
「邪魔にならないところに置くから、こいつ(プラズマテレビ)を残してあげることはできないか?」
と交渉してみたけど、「わけわかんない。ちゃんと回収してもらって」と、却下された。
ヨドバシカメラに行って、新しいテレビを見つけ、プラズマテレビを回収する日取りを決める。
ガールズバーに何度となく通いつめようと、良心の呵責なんて微塵も感じない欠陥人間である私だが、このときはなぜか、自分が捨てられる運命にあることを知らない、リビングのプラズマテレビを思うと、胸が痛んだ。
そして、その日がやってくる
安楽死当日。
最後の記念に、数枚写真を撮った。
「お前らより長く、父ちゃんと一緒にいたんだ。ありがとうと言ってやってくれ。最後にお顔みてあげてくれ」
長男(6歳)と娘(1歳7か月)にそう説明して、テレビと子どもたちの写真も撮った。
「君も一緒に写真撮ろうよ」と妻を誘ったが、「あたしはいい。搬入の時、埃が舞うだろうから、子どもたちと公園行く。準備に忙しい」とにべもなかった。
妻と子どもが外出し、リビングでプラズマテレビと二人きりになる。
ヨドバシカメラの配達員が来るまでの、5分間程度。
悲しみと感謝の気持ちが入り混じる。
最後に綺麗に見送ってあげようと、埃を払い、簡単にだが拭いてあげた。
そのあと、「今までありがとう」と抱きしめた。いやほんとに。
じきに、配達員が到着する。
屈強そうな、配達員のあんちゃんは、軽々とプラズマテレビを持ち上げて、玄関から去ろうとした。お前、そんな軽かったんだな・・・。存在感がでかすぎて、もっと重いもんだと思ってたぜ・・・。
「顔も入れないし、SNSにもアップしないので」と断って、あんちゃんに抱っこされて玄関から出ていくプラズマテレビの写真も撮った。
さようならプラズマテレビ - 。
今まで無数の勇気をありがとう。見守ってくれてありがとう。私はそう心の中でつぶやいた。
プラズマテレビは、我が家からこうして去っていった。
去ったリビングはがらんとして、なんだか心にぽっかりと穴が空いたようなのであった。
(完)
※
とか言って、新しいテレビを買ったので、その顛末はまたネタにします。
想定より長くなり、ペース配分をミスりました。