日記#1
日記というのは無計画に書いてもいいらしい。今気づいた。無計画に書き始めるとただでさえ抑えているつもりの厭世観や愚痴が吐露しまくるのは目に見えているからやめた方がいいのかもしれないが、案外そういうものを求めている奇人もいるものかもしれない。仮にここに「けっこう」なことが書かれていてもそこは許して欲しい。社会が与えたストレスのしわ寄せだ。社会全体の責任だから。それはもう。
前に何度か書いた日記と同じような内容になるかもしれないけど、自分の中では新しい形の日記だから、これは日記#1だ。
今日はどうしてか12時に起きてしまった。ビッグ罪悪感。昨日は夜中3時まで起きていたから、どうしてか、というのはあまりに白々しいけれど。
小さい時から、休みの日でも午前10時には起きていたい人間だったから、年齢が上がって夜更かしをするようになってから自分の幼少期からの信条と悪習慣がよく拮抗する。今日はチャイルドな自分が負けた。アダルトな自分はいつも僕に憂鬱感をもたらす。それはきっと将来が不安だからかもしれない。ピーターパン症候群……では無いと思う。大人になりたくないんじゃなくて、社会的に大人になりたくないというか。この不安はうまく説明できない。自分でもよくわかっていないから不安なのであって、これが説明できる時が来たらその時はその説明は不要になっているだろう。
それから夜まで、ずっとゲームをしていた。ヘッドホンの片方を耳から外して、お留守になった耳にスマホと繋いだイヤホンを詰める。マルチタスクだ。おらっ!Z世代のお通りだコラ
イヤホンでは、昨日入ったばかりのサブスクで音楽を聴いていた。サブスクってすごい。今までずっとCD派だったから敬遠していたけれど、これはすごい。CDを淘汰するだけの力がある。でもやっぱり少し寂しい。ディスク上のデザインとか、歌詞カードのイラストとか、このアートワークはデジタルじゃ味わえない。何より、サブスクで聴いている曲は「持っていない」。借りているだけだ。棚に並んだCDの背を眺めるのが好きな僕にとって、サブスクのマイライブラリの曲群はカラフルだけど寂寥感があるように思えた。とても冷たい。
音楽を聴いていると新しいギターが欲しくなる。中学生の時にギターが欲しいと思って親にねだったら、楽器屋に連れて行ってくれた。僕は青いサンバーストの模様が入った3万円台のアコースティックギターに一目惚れして、それが欲しいと言った。親は「ちゃんとしたのでちゃんと続けてほしいから」と行って、ヤマハの7,8万するギターを勧めてきた。その場には店員さんも居たので、なんだか急かされている気がして自分の意見を押し切れずに親が勧めたギターに決めてしまった。今はそのギターはケースに入って部屋の隅にある。音楽はモチベーションが一番大事だと誰かが言っていた。今から新しく、自分が納得できるギターを買ったら「ちゃんと」できるのかしら。きっと気に入った見た目のギターはずっと抱いていたくなるんだろうなぁ。
ギターとか、オーディオ機器とか、服とか、そういうモノは画面越しに見ているだけでも心を擽られる。ブランド物や高い車や高級マンションはいらないけれど、そういうものは欲しくなる。きっとソレそのものが良いからだ。ブランドとか、過大評価無く楽しめるものに自分は心惹かれるんだ。早く社会に溶け込んで、そういうものを集められるだけの金は稼いでたっぷりの余暇でそれらと触れ合わなきゃいけない。でも金が要る。金には時間が要る。時間が要ると精神がすりへる。どんどん窮屈になっていってそれでも流されてなんだかんだ生きられてしまう。のうのうと。何もつくらず、自分の価値も持てずに。
また学校が始まる。受験に備えろと言う。塾に通い始める。受験に備えろと言う。日増しに自分の余白が奪われていく。こんな少ない余白では何も出来ないと見限って少しの落書きも、ワンフレーズの作曲も出来ずに自分を腐らせていく。自覚はあるのに、「期限がある」「時間が無い」という意識が僕に何もさせてくれない。
ずっと等身大の仕事と遊びをしていたい。多くは望まない。当たり前の幸福はそんなに高いハードルなんだろうか。時々自分がとてつもない白痴に思える。