他者の目線と自己の目線
他人の目が気になると言う人、本当に他人の目を気にしてますか?
他人の目が気になる、どうすれば良いですか?と言う問いに対して何て解答をすべきなのか。
ノート一冊分潰して考えたことがあります。暇ですねえ、僕。でも上手な答えが見つからなくて、迷い続けています。未だにこの問いの答えがわかりません。
答えになるかどうか分からないけれど、少なくとも自分から見たその人の良いところを言うようにすると言うのが現時点での僕の解答です。誰がどういう評価をしても僕から見た貴方の評価としてはこう言う良いところがありますよ。だから、貴方は貴方のままで過ごせば良いです。と言うけれど、おそらくこれではベストアンサーには輝けないでしょうね。
そんな僕ですが、他人の目が気になると言う言葉を発している人と接していると思うことがあります。
貴方、本当に僕の目を気にしてるのか?と。
僕が関わってきた人でこの言葉を使う人、自分のことを優先する人が多かったような気がしています。自分の感情1つで動いてしまって、約束したことを忘れたり、破ってみたりする。評価を気にするあまり他の人がやるべきタスクを引き受けて、やる必要ないことをたくさんやってパンクしてしまったり、そんな感じ。自分がこれで良しと思ってそのままボールを投げてしまい他人がキャッチしてくれないからと言って沈んでしまったりする。
自分が良しと思って投げているものは他人が差しのべている手を払ってまで暴投を投げているようなものかもしれない。責任が発生しているように見えても、実はそこに発生していなくて、無責任なボールばかり投げているようにも思える。その逆もまたしかり。そんなに他人の目が気になるなら、投げ掛けられた問いに答えること、約束したことだけでもきちんとやること、それらの成功体験を地道に積み重ねられるようにすると良いのではないのでしょうか。だって、それをしてもらってまで理不尽に文句を言う人ってなかなかいないじゃない。むしろお礼や感謝の言葉が返ってくるものでしょう。
やる必要のないことまで引き受けない、約束した日に出来なさそうなら別の日を提案する、約束したらきちんと守ること、それらを地道に行うことが成功体験に繋がるのではないでしょうか。その努力を続けることは、他者への尊重に繋がる。そこに信頼関係が生まれてくる。そういうことなのではないでしょうか。
また失敗した。また余計なことを引き受けてしまった。それでは悪循環になるばかり。投げ掛けられたボールをちゃんと返す、相手の身体に当たらないようにボールを投げるそんなキャッチボールを続けられると成功体験の循環になるような気がしています。