見出し画像

秋色の東北を旅した日のこと。

 
 この季節になると、思い出すものがある。

 あれは二年前、私が大学1年生だった秋のこと。
 夏が終わって、肌寒さを感じる今頃の時期になると、あの旅をしたときの生々しい感覚が、皮膚をなぞる秋風とともに鮮明に戻ってくる。


 私の大学では、毎年10月末に学園祭がある。
 「学生主体の」という前提のもとおこなわれる学園祭への参加は強制ではなく、参加するもしないもあくまで個人の意志で、企画に参加せずに楽しむ側に徹することもできる仕組みになっている。

 また、三日間ある学園祭のその前後には準備期間と整理期間というものがある。この期間、企画に参加する人は設営などで忙しいのだが、参加しない学生にとって、それは学期中に突然現れる、プチ休暇というわけで。

 運のいいことに、私が1年生だったその年は準備期間と整理期間を含めると2週間。
学園祭に参加しないというだけで、世間一般に休みではないこの時期に2週間もの秋休みが作れる。

それに気付いた私は「まだあと三回チャンスはある」と、あっさりと学園祭への参加を捨てて、どこかに行くことに決めた。

 そう、どこか遠いところへ。


 どうして東北に行こうと決めたのか、それはあまりにも雑な理由だった。

「りんごを食べるためだけに、青森まで旅してみよう!東北って、行ったことないし!」
 始まりは、それだけだった。

 東北――どうせ行くなら一番北の青森へ。で、青森の、真っ赤なりんごを食べて帰ろう。

 これが私の最初のプランだった。嘘みたいだけど、本当の話。


 最終的には「ヒッチハイクで青森駅まで行って、恐山の宿坊に泊まる」というプランに落ち着いて、今日の私にまで影響を与えている濃い旅になったわけだけれど、最初に考えていたのは「りんごを食べにいく旅」。

 今思えば拍子抜けするような。でも、旅のきっかけなんて、案外そんなものでいいのかもしれない。


 恐山に行ったのも、マップを見ていてなんとなくピンときて、調べてみたら泊まれるらしい。それだけのことだった。

 ”霊場”恐山。硫黄臭が漂う荒れ地は人々の信仰を集め、死後は”お山”に行くのだと、地元では古くから言い伝えられていたという。
 道中でも、「恐山に行く」と言うと、死に関する何か強い思いでもあるのかと驚かれたが、特にそういうわけでもない。

 ただ、景勝地で働いていたせいで目覚めたのか もともと好きだったのかはよくわからないけれど、自然の力でできた風景は不思議と私の気持ちを惹きつける。


 10月末の東北は だいぶ寒くなってきていた。東京ではまだ早い紅葉も、緯度の高い東北ではまさにシーズン真っ盛り。
 23年生きてきた中で見た最高の紅葉は、間違いなくあの旅で見たものだと思う。これから先、もう、あれほどの景色に出会うことはないかもしれない。



 地元に高速道路が通っていたので、旅はそこから始まった。
 人生初のヒッチハイク。インターの入り口に、世界堂で二冊で500円の青色のスケッチブックを掲げて立つ。

「東北方面」の四文字は、前泊した友人の家で一緒に書いた。出発は地元からなのだけれど、
高速バスを使うには変な時間に家を出ることになるし、ソワソワしてしまうからと友人宅に泊めてもらった。秋の台風が来ていて、夜は激しく雨が降った。
 
 朝起きると、生ぬるい残り風と、地面に散らばる青い落ち葉を残して台風は過ぎ去っていた。出発の朝は快晴だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?