BBCの記者が見たソロウェディング
日本の若い女性のソロウェディング solo wedding をBBCが取材している。東京の写真スタジオに笑顔でやってきた彼女は20歳だという。お気に入りのウエディングドレスを選び、髪をセット、メイクをしてもらった彼女は、大きなブーケを抱えてプロのカメラマンに写真を撮ってもらう。そこに花婿はいない。そもそも結婚する予定も相手もいないという。だからソロウェディングだ。
いま若い未婚女性の間に、こうしたソロウェディングが増えているという。記者は複雑な思いで彼女を見つめる。
(これには失礼な言い方になるが、記者の勘違いも若干あるのではないかと思う。若くして結婚することをあきらめた、あるいは積極的にわずらわしい結婚後の生活を忌避する選択をした女性がソロウェディングをしているという思い込みを前提に取材を構成しているように思えるが、違うだろうか)
だが、当の彼女は、実にいい笑顔である。受け答えもしっかりしていて、浮ついた印象はない。
そんな彼女の気持ちや考え方を、的外れかもしれないが、勝手に想像してみる。
「なにも結婚したいとおもう相手にめぐりあうまで待つ必要はない。そもそもめぐりあう保証はない。結婚したくないとは言わないが、結婚しないかもしれない。」
「そうこうしているうちに、自分は一日、一日、年をとっていく。「若さ」は失われていく。だからとりあえずいまのうちにお姫様のように着飾って、写真をとっておく。王子様は隣にいないけど。」
「インスタでたくさんいいねがもらえるといいな。10万円はちょっと痛いけど、でも一生残る思い出になるならいい。」
賢いなと思う。現実をよくみている。裏を返せば、もう少し夢をみてもいいんじゃないかとさえ思う。
結婚するならどんな人がいいかと聞かれて、最初に出た言葉が
「会社に勤めている人。フリーターはだめ」
「フリーターと付き合いたい女性はいない」
「年金がもらえないかもしれないから、働けるうちはできるだけ働いておきたい」
「フリーター “freeter”」を、freelancer の和製英語と説明しているのは、ちょっと違うと思うが、ここでは触れない。
バブルが弾けて30年あまり。停滞感と閉塞感、広がる格差の中で生まれ育った若い世代が保守的になるのは無理もない。それを「良い」「悪い」と断じる権利は、上の世代にはないはずだ。
生涯のパートナーとめぐり合うかどうかなんて、誰にも分からない。それがいつになるかも分からない世の中だ。こうして記念撮影をした女性も、いつの日かそんな相手と巡り合って、今度はふたりで笑顔の記念写真におさまる日も来るかもしれない。なるようにしかならないのだ。
やがて彼女が年をとったとき、パートナーと誓いを立てた日の写真と、そして20歳の時にとった写真を見比べることもあるかもしれない。どちらの写真も彼女にとっては美しい思い出になるだろう。どちらが本当の幸せかなんて余計なお世話だ。
だから BBC のレポーターの方には言いたい。彼女は夢を見ることができない日本の現実の中でも、おそらく地道に力強く生きていくでしょう。だから彼女が ‘solo wedding’ することに虚しさを感じる必要はないのです。
虚しさを感じるべきことがあるとすれば、それは、若者たちの希望を奪い、将来を悲観させ、保守的にさせている、そんな社会を作ってしまった上の世代の愚かさではないかと、そう思えてなりません。
(ちなみにソロウェディングは、すでに配偶者がいる既婚者が、経済的な事情などで、新婚当時はウェディングドレスを着られなかったから、リベンジというのもあるらしい。これはこれでまた色々と考えさせられるが、それはまたいずれということにしたい)