宝物の母を終えた。



はじめに。

特別養子縁組制度のお話です。

過去に書きたくさんの方に読んでいただいた
特別養子縁組制度と、この制度を私が利用した経緯、思いはこちらにかきました。


記事の続き


先月、特別養子縁組の審判が終わり息子と新しい親御さんが晴れて息子を長男として迎え入れ本物の家族となることが決定しました。


通知は2通。

家庭裁判所からの紙に記された黒い文字を見つめ、息子の新しい人生がはじまる喜びと私の自分勝手な感情からくる悲しさが入り交じり、しかしあっせん団体ではなく児童相談所経由というのもありサポートしてくれる方はいないのでひとりでうずくまる日を数日過ごしました。

戸籍から息子がいなくなる



特別養子縁組制度とは特別な養子縁組を結ぶ、と読んで字のごとく。
なにが特別かというと生まれた戸籍から名前が消え、別のご夫婦の戸籍へ名前が移ること。

私の戸籍から、息子の名前が消える。
ネガティブに捉えると
戸籍上私に息子はいなかったことになる。

この点で喪失感を感じてしまい、自分勝手なのかなと落ち込みました。


特別養子縁組制度とは子のための制度で、生みの親や育ての親のための制度ではありません。
故に、私はこの制度の選択に全く後悔はありません。

しかし、息子がいなくなってしまった。と時々猛烈に悲しくなります。

特に私は5ヶ月間乳児院ではありますが面会に行き成長を見てきました。
他の特別養子縁組制度を選んだ親御さんもお腹で産まれるまで親と子だった。

産むとはどんな形であれ長く、つらく、痛く。
しかし別れもこの制度を選べば長くつらく痛いもので、それなのに喜びの大きさは歴然と差があり自分の手で育てられなかった情けなさ、悔しさ、悲しさ、寂しさ。
息子にはごめんね、の言葉と
新しい人生、必ず幸せになるよ。というこの2つの言葉しか浮かびません。

ごめんね、が先に浮かぶのが、どうもつらい。



しかし、制度の選択は後悔していません。

ニュースで度々児童虐待のニュースを見ます。
それを見ると「最低」と思いますが同時に「明日は我が身だったかもしれない。」と思います。

夫のいない中での子育て。
労働と育児。
他にも、私の性格的なもの。

被虐待児として育った私には子育てには暴力・暴言が付き物でした。
そんな私が果たして暴力・暴言なしで育てられるか?

全てをまとめるとどうしても、私は息子を虐待しない!とは言いきれません。

しかし息子は私にとって宝物であることに変わりはない、
ならば、この制度で私の宝物を他の人に守ってもらおう。

こういう発想の転換が出来て制度を選べたことを誇らしく思います。
そして強く宝物を受け取って、守ってくれる人に感謝します。

私の宝物を大事にしてくれる人たち


制度の利用で児童相談所にはたくさんお世話になりました。
正直電話は担当者さんには滅多に繋がりません。
出張が多いそうです。
ということは、いまSOSを出す人達が多いということかと私は受け取りました。こんな世の中でも児童相談所の担当者さんは私にとって大きな存在でいつもあたたかく声をかけてくれました。

先日多分最後の電話をしました。
特別養子縁組が正式に決まりました、という話。

最後に「お母さんも新しく素敵な人生を歩んでください。」と言われ涙が止まらなくなってしまった。

私の事を「お母さん」と呼んでくれるのは思い返せば特別養子縁組制度を決めてからは児童相談所の方だけでした。

私を最後までお母さんでいさせてくれた。
ありがとうございました。


新しいお父さんとお母さんはどんな人かはわかりません。
名前と、審判書に住所も書いてあったのでそれもわかりますが当たり前ですが名前と住所を調べることもしません。

児童相談所の特別養子縁組制度を利用したらば養親と生みの親は基本的に最初から最後まで会うことはないといいます。

ですがなんとなく、息子を授かってくれたおふたりは温かさに溢れてる人なのかなと想像します。
そうであってほしい、というのもあるけれど、家庭裁判所や児童相談所の方から聞くエピソードはどれも息子中心に考えられた話ばかりで私よりも本当の親みたいと思いました。

そんなおふたりが戸籍上も本当の親になってくれる。
うれしいなあ、よかったなあ。
おふたりが、ご夫婦としても幸せになって息子を愛してほしいな、と切に願います。
お節介かもしれませんが切に願います。

強く輝き続ける息子。


私はもう戸籍上も息子なんて居ないただの22歳です。
しかし私の記憶にはちゃんと妊娠がわかった日、あの時あった嫌だったこと、旦那さんと別れ1人で育てると決めたときのこと、お腹にがんばろうねと声をかけたこと、生まれた日のこと、時間、体重、天気、分娩台で聞いた音楽、乳児院でみたあの笑顔までちゃんと残っています。

自慢になりますが私はまだ若いです。

まだボケるまでは時間があります。

ですからきっとまだ長く忘れることはないでしょう。

私の中で息子は今でも妊娠の時のように、乳児院に預け働いていた時のように、希望の光です。

いつか大きくなって生みの親に会いたいと言われる日がくるのか、果たして叶うのか、私は会うのか、全くわかりませんがその日までは綺麗でいようと思います。

「若いママ」に憧れていました。
20歳で産んだので成人は40歳の時か、とウキウキワクワクしました。
あの時の気持ちを忘れずと言ってはなんですが「誇れるママ」でありたいなと思います。

色々SNSやって誇れるママの片鱗は無いかもしれませんし私生活もだらけてますが息子よ、あと16~18年、ママは成長し続けるからあなたも言わずもがなたくさん成長してください。

それまではさようなら。
もしかしたらずっとさようならのままかもしれませんがそれでも息子が幸せでいてくれたら私はそれだけで幸せです。

いつまでも息子は私の宝物。
戸籍から消えても、記憶からは消えない。

そして今はきっと新しいご両親の宝物。
どうか、私の大事な大事な息子を、よろしくお願い致します。


そして、特別養子縁組制度の記事にてシェアをしてくださったみなさまもありがとうございました。
みなさまみたいなあたたかい大人に囲まれて息子がのびのびと、笑顔で生きれる、そんな社会でありますように。

2021.9 アヤべ

ふええええええええええうれしい!!!!ありがとうございました!