ロスト・イン・オキナワン・シー
[2017.08.09 投稿]
[2017.08.12 1改稿&2更新]
[2017.08.14 2改稿<文章の欠落を数カ所補完しました>]
[2017.08.20 3投稿&完結しました]
-1-
ネオサイタマから連れてきた女が、ベッドの上で死んでいた。身にまとったその極彩色の極小PVCビキニからは彼女の乳首がこぼれそうになっていて、その死んだように白い肌とのコントラストはどうしようもなくおれの目を引いていて、というか実際に今彼女は死んでいて、それにエアコンの壊れたこの部屋におれはどうも長いこと彼女のことを放置しておいたらしいもんだから、そろそろ彼女は何かしらの芳しい香りをひとりでに放ちそうになっていた。
おれはひとまずタバコを吸うことにした。ブラインドを下ろしたままの薄暗いホテルの部屋に煙が舞って、天井のファンがそれをかき回した。静かだった。暑かった。昼間のオキナワはどうしようもなく暑かった。
今年の夏は、本当にどうしようもなく暑かった。
◆
結局のところ、整理してみれば、この女が死んだのに合理的な原因もくそも無かった。この女……名前はアユコだったかフナコだったか……頭がはっきりしない……ともかく何か魚のような名前……はおれがやらなくてもどうせそのうち誰かに殺されていただろうし、誰かがやらなくても自分で自分に始末をつけていたことだろう。いい女だったが、それぐらい馬鹿な女だった。とにかく、アユコ(フナコ)が持ってきたドラッグは得体がしれなかったし、おれはそれをバリキと酒に混ぜて飲んだし、それをフナコ(アユコ)も飲んだし、その後は二人ともブッ飛んでひたすら前後していたし、とにかく昨日のことはよく覚えていなかった。多分何かあってこの女は死んだんだろう。多分おれが殺したんだろう。そんな気がする。
毎年恒例のオキナワ休暇で、これまでにいろんなトラブルはあったが、まあこんなことは初めてだった。どうなるだろうか。クビだろうか。いやセプクじゃないか。手の甲の輝かしいカイシャ・タトゥーが、今では少し遠く見えた。
だけどまだドラッグが効いているせいなのか、今では何に対しても現実感が感じられなかった。とにかく酒が飲みたかった。おれは財布を引っ掴むと、近くにあったはずのサケ・バーに向かった。
◆
「おや、ドーモ」
バーのマスターはおれの顔を見ると驚いた様子でそう言った。ということは……。
「もしかして、おれ昨日ここに来たかい」
「ええ」
「なるほど」
マスターの顔を見ると、どうもおれはあまりいい振る舞いをしていなかったらしい。とはいえ口は酒を求めていたので、二杯程度飲むまでは腰を上げるつもりはなかった。
「ゴエモンで」
「ヨロコンデー」
スコッチ・ウイスキー。サケ。それにビターズを少し。それがゴエモンだ。大昔の義賊から名前が取られたカクテルで、おれは特にそれが気に入っていた。味も好きだった。
バーはいい雰囲気だった。オスモウ・ギタリストもいたし、落ち着いた雰囲気だったし、そもそも昼間でも開いているし、こんな時間でも平気で酒を出すところがいい。観光地にしては渋い雰囲気で、椅子もカウンターも古い木で出来ていてしっくりきていた。
客はおれ一人しかいなかった。
「あまり飲みすぎないようにね」
そう言いながらマスターはゴエモンをおれに出した。一口飲む。いい味だった。
マスターが言った。
「ゴエモン、お好きみたいだね」
「おれ、昨日も飲んでたのかい」
「覚えてない? なるほど」
マスターはそう言いながら眉を下げると、黙々とグラスを拭き始めた。
「アー、マスター、もし、昨日迷惑かけたなら……」
「昨日は昨日。今日は今日」
「なるほど」
おれは黙って酒を飲んだ。いい味だった。オスモウ・ギタリストの爪弾くわびしい響きを聞きながら、カウンターに置かれたシーサー・チョコをツマミにひたすら酒を飲んでいた。
客はおれ以外誰も来なかった。
◆
半日飲み続けた後、泊まっていたホテルの部屋に戻った。頭が痛かった。すぐさま眠りたかったが、部屋にいた女がそれをさせなかった。
ベッドに倒れんだおれに女が話しかけた。
「ねェー」
「んん」
「ねェー」
「ンー」
おれは顔を上げた。なぜかはわからないが、おれを見つめている女は、死んだはずのアユコだった。それともフナコか。どちらかはわからなかったが、とにかくどちらかの名前を持つ女だった。彼女は引き裂いたベッドシーツらしきものををなぜか口元に巻いていた。
「アユコか」
おれは一か八かにかけて名前を呼んだ。
「んーん、フナコ」
外れたようだった。フナコは気にせず続けて言った。
「ていうより、フナコっていうか、今はホワイティっていう名前。そんな感じがする。ドーモ、ホワイティです」
「ドーモ、ホワイティ=サン。カンパチです」
何かしらのプレッシャーを感じて、おれはこの女のことをホワイティと呼んでしまった。ともかく、ホワイティは言った。
「あのお、カンパチ=サン、結婚してくれるって言ったよね。ホントだよね」
なるほど。いつもの癖だ。おれは真面目な顔を作ると、ガイドラインに従って処理を開始した。
「ああ、そうさ。結婚しよう」
「嘘でしょ」
エラーコード097。
「なんで信じられない? おれは本気だぜ」
「エラーコード097ってなに」
「なんだと」
なんだこの女。
「なんだこの女って何」
「これは……」
「ねえ。ねえ。本当のことを言って。あたし死んだの。あんたに殺されたのよ。でもなんでかわからないけど、今生き返ってるの。ねえ。あたし本当のことが知りたいの。あたしのことどう思ってるの」
「本当のこと」
「そう」
「これでも食らえ」
おれは隠し持っていたフナコのドラッグを相手にぶち撒けると、ドアから一目散に駆け出した。フナコの怒号を背中に浴びながら、おれは階段を駆け下り、外に出た。自己ベストだった。
◆
何かおかしいことが起きている。夜のオキナワは暗く、人通りもなく、おれに行く宛はあのバーしかなかった。
「おや、ドーモ」
「匿ってくれ」
マスターのアイサツを聞くか聞かずか、おれはそう言った。マスターは答えた。
「どうしたね」
「女に追われてる」
「色男だね」
「ただの女じゃない。ニンジャだ」
ニンジャ。その言葉は突然におれの口から飛び出した。
「ニンジャ?」
「アー、アー、そう、ニンジャ、だ……」
「ハハハハハ、お客さん、面白くないよ。全然ね。酔っぱらいは早く」
「イヤーッ!」
「アバーッ!?」
ドアを破って飛び込んできたフナコの飛び蹴りがマスターの首をへし折った。フナコはマスターの胸ぐらを掴んで思いっきり揺すりながら(死んだマスターの頭がガクンガクンと揺れていた)怒号を発していた。
「テメッコラー! カンパチドコダッコラーッ! カンパチダセッコラーッ! アッコラー!」
「ア、アイエエエ……!」
思わず飛び出た悲鳴を聞きつけたフナコのラリった目がバーの片隅で失禁しているおれの姿を捕らえた。もはやおれは少しも動けなかった。フナコの目に射すくめられていた。
ああ、今年の夏は、本当にどうしようもなく暑かった。
-2-
「ねえ、カンパチ=サン。あたし嘘嫌いなの」
フナコはおれの方に歩み寄りながらそう言った。おれはなぜか揺れる豊満な胸から目が離せなかった。
「カンパチ=サンには素直になって欲しいの。だからこれ、まだあったやつ、持ってきたの」
フナコはPVCビキニの隙間からあのドラッグのパケットを取り出した。
「まあ待てフナコ」
「ナンデ?」
「ナンデって……」
「カンパチ=サン、嘘つきでしょ。だからこうでもしないと、ちゃんとしたお返事貰えないでしょ。だからなの」
「まあちょっと」
「ダメ」
「AArggh!」
そしてフナコはおれの顎を掴んで無理やり開かせた……やめろ……それは口から摂るレベルの量じゃない……馬鹿女……異様な力……動けない……流れ込んでくる……フナコの笑顔が横に延びると引き裂かれて二つになり、青い棘が舌に突き刺さるとそれは銀の味になって黒くああ、おれの知覚は無限遠まで引き伸ばされた……。
「ねえ、カンパチ=サン」「ああ」「結婚してくれるんでしょ」「ああ」「ホント?」「ああ」「嬉しい」「ああ」「二人で旅行に行こうね」「ああ」「岡山県、なんてどう?」「ああ」「岡山県、いいよね」「ああ」「あたし、ラマが好きなの」「ああ」「でもオキナワも好き……」「ああ……」「ねえ、カンパチ=サン、喉乾かない」「ああ」「なんだっけ、作ってあげる、あれ」「ああ」「好きだもんね、あたし知ってるの」「ああ」やめろ、あのクスリに酒はまずい……「はい、ドーゾ。ちゃんと持って」「ああ」くそ……うまく飲めない……溢れていく「ウフ! カンパチ=サン、アカチャンみたい。アカチャン! ア! オシッコ出てる!」「ああ……」「アー、あたし、踊りたくなっちゃった」「ああ……」
そう言うとフナコは立ち上がり(揺れる尻がスローモーションで見えた)、バーの片隅で震えていたオスモウ・ギタリストにコインとドラッグを投げると、あの曲をリクエストした。
そう。あの曲だ。おれとフナコの初めてのデートで行ったあのポルノ映画館で演ってたあの安っぽいアクション映画のメインテーマ……あとで調べたらモリコーネ被れのフランス人が作ったんだとか……ああ……この女は、本当に踊るのは上手だった。この女の踊りは……絶品だった。
サイケっぽい曲調に合わせてか、プロ意識を発揮させたギタリストがスペース・エコーを過剰にかけてはギターを掻き鳴らす。その目はラリっていた。腰を振りながら踊るフナコもラリっていたし、それから目が離せないおれも完璧にラリっていた。何もかも現実感がなかった。フナコの揺れる胸がスローモーションで見えた。
フナコと目があった。彼女は汗を撒き散らしながら踊り、そしておれに向けて目で笑った。引き裂かれたベッドシーツの隙間から覗く口元は、三日月の形をしていた。畜生め。いい女だ……。
おれはよろよろと立ち上がると、失禁で汚れたジーンズを脱ぎ、カウンターの中に入ってマスターの死体を乗り越えると、ゴエモンを作った。そして飲んだ。フナコの踊りを眺めながら飲んだ。何杯でも飲むことが出来た……。
「ヨォー! マスター! 久しぶり……アン?」
そこへ入ってきたのはフナコと同じように口元を覆った二人の男だった。だがフナコとは何かが違っていた……その目は人殺しの瞳をしていたのだ。片方の男が言った。
「なんだお前ら? ドーモ、ペインキラーです」
もう片方の背の低い方の男が甲高い声で続けて言った。
「そうだぞお前ら、なんだお前ら! ドーモ、サイドキックです。なんだこれ? マスタードコダッコラー!」
「まあよせサイドキック=サン、あんまり脅かすんじゃねえ……皆さん方震えてらっしゃるじゃねえか……。まあ、寛大なおれは諸君がアイサツを返してくれるまで待つとしよう。それが大物の器ってもんだ。そうだろ?」
「さすがアニキ! その通りです!」
「こう言ってんだからさっさとアイサツ返せッコラー! オレノコトナメテンカッダラーッ!」
ペインキラーと名乗る男は足を踏み鳴らすと突然の怒号を発した! おれはその迫力に震え上がりながら、どうしようもなくアイサツを返した。
「ド、ドーモ、ペインキラー=サン、サイドキック=サン、カ、カ、カンパチです」
オスモウ・ギタリストとフナコも続けて返した。
「ドーモ、ペインキラー=サン、サイドキック=サン、マ、マクウチです、ドッソイ!」
「ドーモ、ペインキラー=サン、サイドキック=サン、ホワイティです」
「よろしい。で、マスターは? 便所か?」
「ア、アー、マスターは……その……」
「あたしが殺したわよ」
「何?」
フナコのことをペインキラーが睨みつける。サイドキックがフナコの方に歩み寄ると、彼女に聞いた。
「オメー、マスター殺したって?」
「そう」
「死体、ドコよ?」
「そこよ。カウンターのそこ」
「ふうん」
サイドキックはフナコの傍を離れ、そしてマスターの死体を確認した。
「アニキ」
「マジでか」
「マジです。死んでます」
「カーッ」
ペインキラーはその場にしゃがみこんだ。そして言った。
「おいホワイティ=サンよォ、お前さん、ここのマスターがどこの誰かわかってねエんだろ」
「知らない。あたし、ラリってたし」
「その白い肌よォ、お前、オキナワのモンじゃねえだろ。これだから余所者はよォ。これからまた新しい情報屋育てねえといけねえじゃねえかよォ面倒くせえなあ! おれは面倒が嫌いなんだよォ本当によォ! ああ面倒くせえなあ! サイドキーーーーック! レッツゴー!」
「ハイヤーッ!」
「ンアーッ!?」
サイドキックの槍めいた素早いサイドキックがフナコの腹に突き刺さる! フナコは吹っ飛ばされると壁に叩きつけられた。
ペインキラーはうずくまるフナコに近づくと言った。
「ホワイティ=サンよォ……このオトシマエ、どうつけて貰おうかなあ」
「ウウーン……」
「イヤーッ!」
「ンアーッ!」
ペインキラーはフナコの首元に強烈なチョップをお見舞いすると、彼女を失神させた。そして担ぎ上げ、彼女をサイドキックに投げ渡した。おれは震えながら言った。
「フ、フ、フナコのことを……どうするんだ」
「フナコォ? この女のことか? 兄ちゃん、この女のナンカか? まあ、この女には、オイランにでもなってもらうとするわな。本土の人間が好みな客も沢山いる。よく稼いでくれることだろうよ。それで手打ちだ。いいな?」
オイランに? フナコが? ああ、おれは震え上がっていた。こいつらには敵わないと本能で知っていた、それにフナコがどうなろうとどうでもいいとも思っていた、ああ、だがしかし、ああ、おれよ、何を考えているんだ……。おれはカウンターを飛び越えると、ペインキラーに向けて殴りかかった。
「フナコハナセッコラー!」
「フハハハハ! 笑止! イヤーッ!」
「アバーッ!」
何をされたのかわからなかった。顔面に巨大な鉄球がぶつかってきたような感覚だけを覚えていた。目を覚ますとそこには、心配そうな目つきをしたオスモウ・ギタリストの顔があった。
「あ、あいつらは……」
「ドッソイ! あ、あの女の子を連れて外へ……」
フナコ。どこへ。フナコ。おれの女。起き上がり駆け出そうとしたおれの肩をがっしりとした手が掴み押さえた。首を捻って手の方向を見る。そこには青いサイバネ眼球をした妙なガイジンの顔があった。彼はおれに言った。
「『慌てる乞食が回り道で炊き出しに間に合わない』。貴方、落ち着いてください」
「何だあんた」
「私の名前はジェイクです。ジェイク。じ・え・い・く、です。私、日本語大丈夫です」
「ああ、そうかジェイク=サン。悪いがいいか、おれは今……」
「ええ。わかっています。話はこのお友達から聞きました。あなたは女が必要。わたしは金が必要。あなた、タトゥー・サラリマン。お金持ち、そうでしょ? わたしは」
ジェイクはニヤリと笑うと、ダスターコートの内側から大口径のサイバネ拳銃を取り出した。
「ビジネスマン。仕事、できますよ」
どうにもうさんくさい男だった。
-3-
ズガーズガガーガーズガーガガーガーガガーガガガーガガーガガガー。
ジェイクのジープのステレオから鳴るプリミティブなサイバーテクノがオキナワの夜空に響いていた。ジェイクはリズムに合わせて首を振り身体を揺すりながらジープを運転する。ジェイクの動きに合わせてジープがきしんで揺れた。助手席から見て、ジェイクの目つきは極めて正常に見えたが、実際のところ彼はラリっていた。
「手付金はこれでいいでしょう」
バーでそう言うとジェイクはおれの懐からあのドラッグを取り上げ、鼻から一気に吸い込んだ。鼻からドラッグ? 下品なガイジンだ。おれはそう思った。
「フンフン、フンフン、尻、尻、尻を振って、フンフン、アーオー、ブッダファック……ブッダも揺れる……」
ジェイクはサイバーテクノのリズムに合わせて下品な言葉を呟いていた。おれは言った。
「おい、あんた、本当に大丈夫なんだろうな」
「ノー・プロブレム! ハハ、心配ないですよ、私は大丈夫です。敵は二人でしたね? 十分ですよ。任せてくださいよ」
そう言いながらジェイクは前の車を強引に追い抜いた。車の揺れに後部座席のスモトリが呻く。
「ド、ドッソイ」
「お相撲さん、ジェットコースター苦手ですか? そんなの似合わないですよね、ハハ」
ジェイクはますますスピードを上げた。
この怪しげなガイジンは、なんでもネオサイタマで小金を稼いだとかで、その金でもってオキナワへバカンスに来ているのだと言う。ブッダがどうのこうのと言っていたが、おそらくヤツの翻訳機能が狂っているのだろう、実際よくわからなかった。多分こいつは狂っている。だがしかし、今のおれには拳銃を持つクスリに狂ったガイジンですら頼りにせざるを得なかった。あまりにも戦力が足りなかった。これでも足りるかわからなかった。だが。
フナコ。おれの女。あの女はおれのものだ。
おれのものは取り返す。何をしても。
おれもまたドラッグで狂っているのか? それとも正気なのか? おれが正気かそれとも狂っているのかはおれ自身に判断出来るのか?
おれはなんだかおかしくなって笑いだしてしまった。ジェイクも笑いだした。スモトリも笑いだした。
笑いに包まれたジープが風を受けながらオキナワの夜を駆け抜けた。おれたちは止まらなかった。
◆
しかし、いくら怪しげに見えるとは言え、このジェイクというガイジンの腕前を信用しない手は実際無かった。彼はあのバーの前に止まっていた場違いな外車に発信機をつけていたのだという。
「カネモチそうに見えましたからね。付けても無駄じゃない」
そう言うとジェイクはダスターコートの内側にぶら下がるスペアの発信機の群れを見せつけた。この男、いつもこれだけの量を持ち歩いているのだろうか。外車に追いつき、対向車線へはみ出してその横へ付けると……ビンゴ。中では猿ぐつわを噛まされたフナコに、さっきの二人のニンジャがいた。
フナコ。なんて女だ。手足を縛られながらも激しく抵抗していたおかげで、外車はまるで過激な車内前後をしてるみたいに、ホットロッドみたいに激しく揺れ動いていた。おれは叫んだ。
「アッコラー! フナコハナセッコラー!」
「ブッダファック! 話が違うぞ!」
ジェイクは振り返るとスモトリに向けて怒鳴った。
「ニンジャ! 三人! どういうことだ!」
「アイエエエ!? ニンジャ!? ニンジャナンデ!?」
スモトリは外車の中を覗いて錯乱した。どういうことだ? おれはジェイクに疑問の目を向けた。ジェイクはそれに怒鳴って答えた。
「このスモトリからは二人の『男』があんたの『女』を連れ去った、としか聞いていないない! 三人ともニンジャなんて聞いていないぞ! 詐欺! 欺瞞! スカム野郎!」
どうもこのスモトリはジェイクにニンジャが相手だと伝えていなかったらしい。あのスモトリ、ショックで記憶錯誤でも起こしていたのか? だが知ったことか! おれは怒鳴り返した。
「手付金!」
「ブッダファック!」
ジェイクはサイバネ拳銃を外車に向けて撃ちまくった。おれの耳元で!
「ヤメロ! ヤメロ! 耳が麻痺する!」
「アッオーッ!」
ジェイクが叫ぶとジープは急減速し通常車線へ戻った。クラクションを鳴らしながら対向車線を巨大電飾トレーラーが通過!
「アイエエエ! アイエエエ!」
錯乱したスモトリが悲鳴を上げる! 前を走る外車の運転席からはペインキラーが身を乗り出し、何事か叫ぶと何かを……あれは……スリケンだ! スリケンをこちらに向けて投擲した!
「何が地獄ですか!」
ジェイクは見事なハンドル捌きでそれをかわす! スリケンはアスファルトに突き刺さった。ポイント倍点! 後ろでスモトリが嘔吐した。
「ニンジャ……ニンジャ……ブッダファック! 庶子! あなたの前後しなさい!」
ジェイクは再びジープを急加速させると外車の横に付け、車ごと体当たりした!
「アイエーッ!」
おれは思わず悲鳴を上げてしまった。
「アッオーッ!」
ジェイクが叫ぶとジープは急減速し通常車線へ戻った。クラクションを鳴らしながら対向車線を巨大電飾トレーラーが通過!
「アイエエエ! アイエエエ!」
錯乱したスモトリが悲鳴を上げる! 前を走る外車の運転席からはペインキラーが身を乗り出し、何事か叫ぶと何かを……あれは……スリケンだ! スリケンをこちらに向けて投擲した!
「何が地獄ですか!」
ジェイクは見事なハンドル捌きでそれをかわす! スリケンはアスファルトに突き刺さった。ポイント倍点! 後ろでスモトリが再び嘔吐した。
「ハイヤーッ!」
だがしかし、何たることか! 外車のリアウィンドウを叩き割って飛び出してきたサイドキックがジープのボンネット上へ衝撃と共に飛び乗り、そして甲高い声でアイサツしたのだ!
「ドーモお前ら、サイドキックです! お前らどうやってついてきやがった! 邪魔するんじゃねえ! 鬱陶しいぞコラーッ!」
「死ね!」
ジェイクはアイサツを返さずフロントガラス越しにサイバネ銃撃した。だがしかしサイドキックは軽やかな動きで全ての銃弾を躱すと、お返しだと言わんばかりにフロントガラスを突き抜ける強烈なサイドキックをジェイクの顔面に見舞った!
「ハイヤーッ!」
「グワーッ!」
思わず手を離したジェイクに代わりおれは身を乗り出してハンドルを掴んだ! このままではフナコを取り戻す前に実際死ぬ!
死んでしまえばいいじゃないか。おれの中の何かが囁いた。それはドラッグの幻聴だったろうか。それともおれの本心だろうか。ああ、この狂いそうに暑いオキナワの空気がおれにこれをさせたのだろうか……。
「アーハハハハハハ!」
思わず笑いだしたおれはジェイクの足の上からアクセルを思い切り踏み込むと、外車の尻に向けてジープを全力で衝突させた。
最後に聞こえたのはスモトリの悲鳴だった。
◆
目を覚ました時に目の前にあったのは、生気のないサイドキックの青白い顔だった。その口と鼻からは真っ黒い血が絶え間なく流れていて、その下半身はジープと外車の間に挟み込まれていて、要するにどう見ても奴は死んでいた。
おれは顔からガラスの破片を抜き取りつつ潰れたジープの中から這い出た。折れた右足をかばいながら立ち上がり車の方を振り向くと、車体から顔をはみ出させたオスモウ・ギタリストと目があった。声をかける。返事は無かった。奴も完全に死んでいた。ジェイクの姿は見当たらなかった。
フナコ。フナコはどこだ。足を引きずりながら辺りを見回す。少し離れたところには、気を失ったフナコと、それを支えるペインキラーの姿があった。
おれに気づいたペインキラーは、フナコの首を掴むとおれを睨みつけながらこう言った。
「オメー、オメーよォ……ナメたことしてんじゃねえぞコラ……マスター殺すわ舎弟殺すわよォ……割に合わねえだろうがッコラー! フザケンジャネッゾコラー!」
「知るかよ。知るか。フナコ返せよ。フナコ返せ。フナコ返せ! フナコ! フナコ! フナコ返せ! おれのもんだぞそれは! おれのもんだぞそれはーッ!」
おれは怒鳴り返した。身体のどこかからか底知れない力が湧いてきていた。怒り? 発狂? なんとも形容することの出来ない衝動だった。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
ペインキラーの投げつけたスリケンが右足に突き刺さった! だがおれは構わず進んだ。
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
ペインキラーの投げつけたスリケンが左足にも突き刺さった! だがおれは構わず進んだ。
「イ、イイヤアーッ!」
「グワーッ!」
ペインキラーの二枚同時に投げつけるスリケンが左腕と右腕にも突き刺さった!だがおれは構わず進んだ。
「イ、イイヤアーッ!」
「グワーッ!」
ペインキラーの二枚同時に投げつけるスリケンが両脇腹に突き刺さった! だがおれは構わず進み、そして今やペインキラーの目の前にいた。おれはペインキラーに言った。
「フナコ、返せよ……」
「イ、イヤーッ!」
「グワーッ!」
ペインキラーの強烈な左ストレートがおれの顔面にぶち当たり(それはあの時と同じような鉄球の感覚だった)、おれの首は百八十度回転した。少し目を下げると自分の背中が見えた。だがしかし、おれは自分の首を捻って戻すと、ペインキラーにもう一度言った。
「フナコ、返せよ……」
「イ、イヤーッ!」
「グワーッ!」
ペインキラーの強烈な右ストレートがおれの顔面にぶち当たり、おれの首は三百六十度回転した。だがしかし、おれは自分の首を捻って戻すと、ペインキラーに再び言った!
「フナコ、返せよ! フナコ返せーッ!」
「ア、アイエエエ! アイエエエエ!」
ペインキラーはその場にへたり込むと悲鳴を上げた。
その時おれは、自分の首に突き刺さっていた大きなガラス片と、それによって出来ている大きな傷口と、そこから絶えず流れている大量の血液に初めて気づいた。そしておれの背後にいるこの……存在にもやっと気づいた。彼は事故の時からずっとおれの傍についていた。それは何か古い言葉でおれに話しかけたが、おれにはそれを記憶することは出来なかった。だが彼はおれに何かを伝えた……重要な何かを。そしておれは砂浜に落ちているボロ布を口元に巻きつけると、ペインキラーに向けてこう言った。
「ドーモ、ペインキラー=サン……私はスリープウォーカーです」
「ア、アイエエエエエ! アイエエエエエー!」
おれのものを奪ったペインキラーは、惨たらしく死んだ。惨たらしく。
そしてフナコは再びおれのものになった。
◆
ジェイクを探し出すのはそう対して難しくはなかった。別に奴に対して何かをするつもりは無かった。ただアイサツだけしておきたかった。
だが奴は遠くからおれを見た瞬間に、慌ててオキナワ・エアポートの入場ゲートへ向かって走っていった。ネオサイタマにでも帰るのだろう。
おれたちは今オキナワで暮らしている。フナコは相変わらず頭が悪いし、人の心を読むサキヨミ・ジツは厄介だし(隠し事など出来ようもない)、何より暑い。とても暑い。年中暑かった。だが慣れれば問題はなかった。
きっとそのうち、カイシャの兵隊がおれのことを探しに来ることだろう。オキナワで失踪した、重要な『資産』のことを取り返しにくるのだろう。そしてまた洗脳し直し、従順な戦士として『運用』していくつもりなのだろう。だがもはや、おれの身体はおれのものだ。おれの身体はおれのものなのだ。何もかも、おれのものは、おれのものなのだ。
おれを取り返しに来るがいい。お前たちのやりたいことをやるがいい。だがしかし、おれはおれのものだ。お前たちにはもうやらない。お前たちの好きにはさせてやらない。おれはお前たちに抵抗できる。おれにはその力がある。
おれはやっと、おれ自身を取り戻した。久しぶりの感覚だった。おれとフナコはドラッグを決めて、前後して、おれはフナコの首を締めて、フナコはそうされるのが好きだった。おれも好きだった。ああ、きっと来るその日まで、おれたちの休暇は続いていくことだろう。ずっとずっと続いていくことだろう。終わらない休暇。永遠の夏休み。
ああ、今年の夏は、本当に暑かった。これからも、ずっとこの暑い夏が続いていけばいい。おれは、太陽を眺めながら、そう思っていた。
<おわり>