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ビートルズ風雲録(6) ポール・マッカートニー

お待ちかね、ポール・マッカートニーの登場です。

1942年 ポール・マッカートニー、誕生!

ポール・マッカートニーは1942年6月18日、リバプールのリバプール・ウォルトン病院で生まれました。かつて彼の母親のメアリーが産科の看護師として働いてた病院です。
本名、ジェームズ・ポール・マッカートニー。父の名前もジェームズです。父親と同じ名前です。これはイギリスの労働者階級では普通のことでした。リンゴもそうですね。
しかし、結局混乱するので、彼はミドルネームのポールを名乗ることになります。
父ジェームズはセールスマンや工員として働く一方、アマチュアのジャズ・ミュージシャンとして活躍していました。

1947年、ポールはストックトン・ウッド・ロード小学校に入学、その後ジョセフ・ウィリアムズ・ジュニア学校に進学しました。1953年にリバプール・インスティテュートに進学します。
1954年、その通学のバスの中で、近所に住んでいたジョージ・ハリスンに出会います。

翌年、マッカートニー家は20フォーリン・ロード(Forthlin Road)に引っ越しました。ここはツアーバスのメニューに欠かせない人気スポットとなっています。

1956年10月31日、乳癌を患っていた母メアリーが、乳房切除手術後の塞栓症で亡くなりました。ジョンも10代で母親を亡くしています。ポールは次のように語ったことがあります。
「母親の死はジョンと僕を結ぶ強い絆となった。ジョンも早くに母親を失っていたから」。母の死はポールにとって、決して小さな出来事ではなかったようです。

また、後年、ポールは名曲『イエスタデイ』について以下のように語っています。

「イエスタデイは、当時は気づかなかったけど、母親のことを歌っていたと思う。『なぜ彼女は行かなければならなかったのか、僕にはわからない/彼女は何も言わなかった/僕がなにか間違ったことを言ったのか』という歌詞は、今考えるとやはり母親のことを歌っていたと思えるんだ」

2013年『MOJO』誌のインタビュー

母の死からほんの少し遡りますが、父ジェームズはアマチュアのトランペット奏者でもあったので、ポールの14歳の誕生日にトランペットをプレゼントしました。当時は有名なトランぺッターが数多く活躍していて、若者たちにも大変な人気でした。ポールはトランペットというプレゼントに歓喜します。しかし、やがて世の中はスキッフルブーム。ポールもあることに気づきます。「トランペットでは演奏しながら歌えないじゃないか」。ポールは父に相談して、プレゼントのトランペットを15ポンドのフラマス・ゼニスのアコースティック・ギター(Model17)と交換してしまいました。
(そういえば、ジョンもハーモニカばかり吹いていましたが、母ジュリアにバンジョーを教えてもらって、演奏しながら歌うことを覚えましたね)

これがポールの最初のギターとなります。

ビートルズ風雲録(7)に続きます。


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