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電気グルーヴで踊る

電気グルーヴは、日本のバンドである。
1989年に結成され、テクノ、エレクトロを中心とした独特の音楽性と破天荒なパフォーマンスが特徴。
世相を風刺した作品が多く、1990年代のサブカルの担い手でもあった。
日本国外向けにDENKI GROOVEの表記を使用することもある。
主な略称は、「電気」、電G軍団」、「電グル」など。

1989年4月に解散した人生(ZIN-SÄY!)のボーカリスト石野卓球、ピエール瀧、若王子耳夫を中心に同年結成。
1990年、アルバム『662 BPM BY DG』でインディーズデビュー。
その後、1991年にシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 300000000000) / TMN VS 電気GROOVE」でメジャーデビュー後、アルバム『FLASH PAPA』で本格的デビューした。

1989年、アシッド・ハウスやヒップ・ホップに触発され、特にパブリック・エナミーやポップ・ウィル・イート・イットセルフに多大な影響を受けていた石野卓球はインディーズバンド「人生(ZIN-SÄY!)」(ナゴムレコード所属)にこれらの要素を取り入れようと試行錯誤していたが、バンド編成になっていた人生でそれを実現することは難しく活動を続けていくことに限界を感じていた。
その後、メンバー・おばば(EX分度器)の脱退を機に東京、名古屋、大阪でラストツアー「おばば崩御 さよならおばば(EX分度器)ツアー」を敢行。4月26日、梅田のバーボンハウスでのライヴを最後に人生は解散する。

人生解散の翌日に石野はピエール畳(瀧)、若王子耳夫、高橋嵐、吉沢、K太、後藤らを誘い、デニーズ西新宿店で電気グルーヴを結成する。
当初の固定メンバーは、石野(ヴォーカル・プログラミング)、瀧(瀧)、耳夫(ギター)、高橋(アラシ、プログラミング)の4人。
大阪で デビューライヴ を行う。このライヴでは「人生」解散当時の石野の心情を歌った「N.O.」も披露された。
なお石野はセーラー服を身にまとい、瀧は彼女の手製の帽子、高橋はネクタイ姿、耳夫は交通事故のため欠場した。
対バンはファンダンゴで同じくデビューライヴを行ったウルフルズ。
12月7日 - 新宿LOFTで東京初ライヴ。対バンはナゴムレコードのレーベルメイトであった死ね死ね団だった。

前身となったインディーズバンド「人生」に代表される、かつてのナゴムレコード周辺の「ナゴム系」バンドに見られるユーモア、ジョーク、パロディ、ギャグによって真意を隠すスタイルも受け継いでおり、主にコミックソング系の楽曲に見られる特異な歌詞とパフォーマンス、発言の数々は音楽性と並んでサブカルチャー的な支持を集めている。一方で石野が細川ふみえや篠原ともえをプロデュースした際の可愛らしい歌詞や、最高売り上げ記録を持つシングルにして唯一のラブソング「Shangri-La」などの普段とは方向性が異なる表現も存在する。

1990年、新宿での公演終了後に耳夫と高橋が脱退する。
6月、インディーズのSSE COMMUNICATIONSからアルバム『662 BPM BY DG』をリリース。
同時期に石野、瀧、CMJK(プログラミング)の3人にメンバーを一新する。
1991年、TMNのシングル「RHYTHM RED BEAT BLACK [Version 2.0]」のカップリング曲「RHYTHM RED BEAT BLACK [Version 300000000000](三那由他ヴァージョン)」でメジャーデビュー。
これは1990年8月にTMに言及しながらラジオで流れた電気の曲を、たまたま聴いていた小室哲哉が「商品になっている」「音楽もキャラクターも完成された面白さを持っている」「TMを踏み台にして乗り越えてくれれば」と気に入って企画されたものである。

4月メジャーデビューアルバム『FLASH PAPA』リリース。
原宿ルイードにてCMJKの脱退記者会見を石野と瀧が全裸で行う。
エル・パーク仙台の公演終了後にCMJKが脱退。その後、かねてから付き合いのあった良徳砂原が加入し、ライヴを主とした活動を展開する。
石野と瀧がニッポン放送の『オールナイトニッポン』土曜2部のパーソナリティを担当(1992年10月に火曜1部に昇格後、1994年3月まで)。
「お薦め」コーナーで石野が紹介した外国の最新テクノ・トラックの数々は、リスナーへのテクノ啓蒙的な役割を果たす。
瀧が演歌歌手の瀧勝としてシングル「人生」リリース。
シングル「MUD EBIS/COSMIC SURFIN'」を、
アルバム『UFO』リリースした。
1992年、シングル「SNAKEFINGER」、アルバム『KARATEKA』リリース。
全国ツアー「全国鼻毛あばれ牛」にて、初の日本武道館公演を行う。

1993年、ファーストアルバムのリミックスアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』リリース。
同日、ストップ・ザ・エイズキャンペーンの一環として、当時のオールナイトニッポンのパーソナリティー全員によるシングル『今、僕たちにできる事』リリース。
石野卓球とピエール瀧は「強制されてやるものではない」との考えからレコーディングには参加せず、寄せ書きのみ参加している。
子門'z名義でシングル「トランジスタラジオ」を、
アルバム『VITAMIN』リリース。
石野が当時旅先のイギリスで体験したアシッド・リヴァイヴァルの衝撃を初期衝動に制作されたこのアルバム以降、それまでのギャグ路線は影を潜め、電気は本格的なテクノに挑戦し始める。
また、この頃から石野は音楽以外の仕事を控えるようになる。
当時レギュラーを務めていたテレビ番組『モグラネグラ』(テレビ東京)も音楽制作に集中したいという理由から降板した。
1994年、シングル「N.O.」リリース。
『ポンキッキーズ』(フジテレビ)に瀧がレギュラー出演。
電気として番組に楽曲「ポポ」を提供する。
企画アルバム『DRILL KING ANTHOLOGY』を、シングル「ポポ」を、アルバム『DRAGON』をそれぞれリリース。
このアルバムに収録された『虹』はドイツのMFSレーベルからもシングルとして発売され、電気グルーヴが外国でも活動する足がかりをつくった。
1995年、シングル「虹」、ボックスセット『PARKING』をリリース。
電気グルーヴとしての名義になっているが、メンバーそれぞれのソロ作品をパッケージし、特別リミックスシングル等を追加したものである。

メンバーはソロ活動も並行して行っており、石野は前述の篠原ともえのプロデュースや、世界最大規模のレイヴ・ラブパレードでのDJプレイ、ゲーム作品のBGMなども制作。砂原良徳は在籍中にリリースしたソロデビュー作『CROSSOVER』が非常に高く評価された。瀧は映画『ステレオフューチャー』や『ローレライ』で重要な役柄を演じたり、漫画雑誌『週刊少年チャンピオン』で連載していた『樹海少年ZOO1』の漫画原作を担当する。

1996年、各自の充実したソロ活動を経て、久々にアルバム『ORANGE』をリリース。
本作では再びギャグ要素を取り入れている。
シングル「誰だ!」をリリースした。

シングル「N.O.」や「Shangri-La」などのヒット曲で知られる。初期の2年間は比較的メンバーの入れ替わりが多かったが、続く8年間は結成以来の石野と瀧に砂原良徳を加えた3人で活動し、安定した人気を築いた。砂原の脱退後は二人での活動が続いている。

ディスコやテクノポップ、ダンスミュージックから、テクノ、エレクトロニカ、アンビエントまで幅広い電子音楽の意匠を音楽的特徴としている。結成当初はボーカルスタイルにラップの方法論を取り入れていたため、ヒップホップグループに分類されることも多かったが、1993年のアルバム『FLASH PAPA MENTHOL』のリリース以降、より純粋に電子音楽を主体としたスタイルへと移行する。また日本国内での活動と並行して1995年にベルリンのMFSレーベル(英語版)からシングル「虹」をリリースし、以降はMAYDAYへの参加など外国でのリリースやライヴ活動も精力的に行う。シュトックハウゼンの『光』で見られるような「被り物」をメンバーが行うことも活動初期からあり、電子音楽の先人へのリスペクトがみられるのも特徴の一つである。

1997年、シングル「Shangri-La」リリース。
当初は売れなかったものの、同年5月頃からオンエアされた日産・テラノのCMでタイアップ曲として使用され、それをきっかけに徐々にセールスを伸ばし、ついに同年7月にはオリコン週間ランキングトップ10にランクインを果たした。
アルバム『A(エース)』を、シングル「ポケット カウボーイ」をリリースした。

私は「Shangri-La」は聴いていたが、夏フェスで初めて目撃した。
その音楽に吸い込まれそうになったのを憶えている。
以来、フェスでその魅力に何度も遭遇したのであった。

1998年、砂原、石野ともに、ソロアルバムをリリース。
特に石野は『VOXXX』までに三枚のソロアルバムを発表する。
『A』のリミックスアルバム『recycled A』リリース。
1999年、突如砂原良徳が脱退。石野・瀧の2人での活動となる。
同年、DJ TASAKA・渡部高士をサポートメンバーとしヨーロッパツアー。また石野自ら主宰するレイヴイベント「WIRE(ワイアー)」が始まり、同メンバーで参加。
シングル「FLASHBACK DISCO」、「Nothing's Gonna Change」リリース。

2000年、砂原脱退後初のアルバム『VOXXX』リリース。
アルバム制作とライヴ・ツアー「ツアーツアー」サポートメンバーとしてDJ TASAKA、KAGAMI、渡部高士が参加。
「ツアーツアー」の模様をスタジオで編集したライヴ・アルバム『イルボン2000』をリリース。
2001年、2枚組セルフ・トリビュート・アルバム『The Last Supper』をリリース後、9月に行なわれた「WIRE01」でのライヴを最後に、NHK-BSの特別番組内にて電気グルーヴの活動休止を宣言。

2004年、3年の沈黙を破って新曲を含めた初のベスト・アルバム『SINGLES and STRIKES』をリリース。
「WIRE04」で本格的に活動を再開。
DVD『ニセンヨンサマー〜LIVE&CLIPS〜』リリース。
2005年、「電気グルーヴ×スチャダラパー」としてスチャダラパーとのコラボレート開始。
J-WAVE2005年春のキャンペーン・ソングであるシングル「Twilight」リリース。
セカンド・シングル「聖☆おじさん」を、フル・アルバム『電気グルーヴとかスチャダラパー』発売。
「SUMMER SONIC'05」、「RISING SUN ROCK FESTIVAL'05」に出演。
また、瀧に第一子が誕生。石野いわく「バカ親」と評するほどの溺愛ぶりを「メロン牧場」において披露した。

2006年、岡本太郎の壁画「明日の神話」復元後の除幕イベントにライヴアクトとして出演。
また、その様子を生放送で伝えた日本テレビの特別番組では「弾けないギターを弾くんだぜ」のリミックスバージョンがOPテーマに採用された。
これ以降「LIQUIDROOM 2nd ANNIVERSARY」のワンマン公演、「フジロック・フェスティバル'06」、「Big Connect'06」等でのライヴより本格的な活動を再開した。

2007年、ライヴDVD『Live at Fuji Rock Festival 06』発売。
約8年ぶりのシングル「少年ヤング」リリース。
ナゴムレコード時代の盟友大槻ケンヂ原作でケラリーノ・サンドロヴィッチが監督を務める映画『グミ・チョコレート・パイン』のエンディングテーマとして書き下ろされた曲である。

2008年、シングル「モノノケダンス」をリリース、テレビアニメ『墓場鬼太郎』のオープニング主題歌として使用された。
ジャケットは水木しげる描き下ろしで、水木タッチの石野と瀧が描かれている。
4月リキッドルームにて「こう言えば三太夫 〜ニューアルバム『J-POP』発売記念ライヴ〜」を開催。オープニングアクトのDJにTASAKA、電気のLIVEにはサポートにKAGAMIを加えた構成でスタートするが、中盤で演奏の「ママケーキ」よりサプライズゲストとして砂原が登場。およそ10年ぶりに電気のステージに加わり演奏した。
『VOXXX』以来、8年2ヶ月ぶりとなるアルバム『J-POP』をリリース。
初回限定盤には「少年ヤング」と「モノノケダンス」のPVを収録したDVDが付属する。
また、これに先駆けHP上にて「電気グルーヴワークショップ」なる企画を展開。
アルバム発売日までに目下作業中の現場より、製作中のデモや素材などが途中報告として随時アップロードされるというものである。
『J-POP』から半年という異例のスパンで、オリジナル・アルバム『YELLOW』をリリース。
「ツアーツアー」以来8年ぶりとなる全国ツアー「叫び始まり爆発終わり」スタート。
名古屋、大阪、福岡、東京2daysに加え、札幌での特別公演、東京リキッドルームでの追加公演を含めた全7公演を行う。3時間を超すプログラム、電気グルーヴ史上初アンコール登場も行った。
DJ OZMAのラストアルバムにおいて「人生」時代の代表曲「オールナイトロング」をカヴァーしたいというオファーを受けていたが、元々インディーズ時代の楽曲であるため著作権登録していないことが発覚。加えて童謡「クラリネットをこわしちゃった」から一部の歌詞とメロディを引用している為、改めて日本語訳詞の著作権者に許諾を打診するものの「キンタマはNG」との判断により却下。
オリジナルバージョン発表から20余年を経て発禁となったことを翌年掲載の連載「メロン牧場」で吐露している。

2009年、結成20周年。『YELLOW』からのシングルカット「The Words」をリリース。
表題作はアルバムミックスとは異なり歌詞も日本語で歌われている。
他にも「完璧に無くして」のオルタネイティブミックス、「Mojo」の完全版を含む全4曲を収録。
ライヴDVD「レオナルド犬プリオ」リリース。 内容は「叫び始まり爆発終わり」の東京SHIBUYA-AX2日目、今回も石野、瀧、KAGAMI(LIVE SUPPORT)、牛尾憲輔(ウシオケンスケ/楽器担当/agraph)による2時間30分に及ぶ副音声と、映像スタッフぶーやんによるツアー密着映像が収録されている。
初回盤に限り音源化されたCDが付属する4枚組仕様。
「レオナルド犬プリオ」Blu-ray版リリース。DVD版と同一の内容だが、高解像度・高音質な本編映像に加え、特典映像を含むですべての内容が1枚のディスクに収められている。

結成20周年を記念したワンマンライブ「俺っちのイニシエーション」を東京・LIQUIDROOM ebisuにて開催。
公演時間3時間45分。そのうちトークが4割強を占めるという構成であった。
ハリウッドザコシショウ(オープニングアクト)、篠原ともえ、CMJK、天久聖一(瀧とのユニット「イボピアス」として登場)、そして死んだはずの瀧勝らをゲストに迎えた。
来場者特典として1970年代に放送された特撮番組「電人ザボーガー」の写真にメンバーの顔写真をコラージュした下敷きがプレゼントされた。
東京・LIQUIDROOMギャラリーにて「電気展」を同年8月まで開催。
歴代の衣装やライブ写真などが展示された。
20周年記念アルバム「20」リリース。初回限定盤はアルバム&ボーナスディスクにDVDを加えた3枚組仕様。
シングル「Upside Down」をリリースした。

2012年、シングル「SHAMEFUL」をリリース。キューンレコード20周年記念ライブ「キューン20 イヤーズ&デイズ」に出演。
2013年、シングル「Missing Beatz」をリリース。
「叫び始まり爆発終わり」から5年ぶりのツアー「ツアーパンダ2013」を開始。
3月12日・13日のダイバーシティ東京にて、石野の提案で「Twitterで嘘を流そう」と客席に呼びかけた。
アルバム『人間と動物』をリリース。ジャケットデザインには、元メンバーの砂原良徳が制作したパンダのマークが使用されている。
ケラリーノ・サンドロヴィッチ生誕50周年記念・ナゴムレコード30周年ライブ「ケラリーノ・サンドロヴィッチ・ミューヂック・アワー」に「電気グルーヴ Plays 人生」として出演。
脱退した砂原もサポートメンバーとして参加し、約24年ぶりに人生の曲を演奏した。

2014年、結成25周年を記念して様々なライブイベントやメディアに出演。
25周年記念ミニアルバム「25」発売。
2525枚生産の限定版には7インチレコードが付属。
また、「J-POP」から「25」までのアルバムがハイレゾ音源として配信開始された。同日から25周年記念ツアー「塗糞祭」開始。CMJK、スチャダラパー、砂原良徳をスペシャルゲストに迎え、11月7日・8日にはDJ TASAKA、11月8日には天久聖一も登場した。

2015年、シングル「Fallin' Down」をリリース。
12月26日 - 自身初のドキュメンタリー映画『DENKI GROOVE THE MOVIE? 〜石野卓球とピエール瀧〜』(監督:大根仁)が公開。
期間限定上映の予定だったが、上映は翌年3月まで延長された。
2016年、映画公開記念ツアー「お母さん、僕たち映画になったよ。」開始。

2017年、アルバム『TROPICAL LOVE』発売。これに伴い、3月12日の北海道・Zepp Sapporoから3月24日と25日の東京・Zepp Tokyoまで、6会場7公演にわたるツアー『TROPICAL LOVE TOUR』を開催。

2018年、シングル『MAN HUMAN』発売。
表題曲はNetflix限定配信アニメ『DEVILMAN crybaby』の主題歌として書き下ろされた。
また同アニメの特別EDとして使用される、石野卓球と七尾旅人のユニット“卓球と旅人”によるオリジナル曲『今夜だけ』を追加収録したシングル『MAN HUMAN / 今夜だけ』を同時リリース。
東京・大阪にて行われるワンマンライブ「クラーケン鷹」(全3公演)のライブ会場にて、テレビアニメ『ポプテピピック』のコラボTシャツが発売。シークレットゲストに盟友日出郎を迎える。

2019年、結成30周年。
ピエール瀧のグループ活動においての芸名を「ウルトラの瀧」に1年間限定で改名。
結成30周年アルバム『30』をリリース。
また3月2日の福岡・Zepp Fukuokaから3月16日の東京・Zepp Tokyoまで、アルバムの発売を記念したツアー『電気グルーヴ30周年“ウルトラのツアー”』を開催。

ピエール瀧が、麻薬及び向精神薬取締法違反の容疑で逮捕される。
これに伴い全国ツアー『電気グルーヴ30周年“ウルトラのツアー”』の東京・Zepp Tokyo公演の中止が発表された。
また、電気グルーヴに関連した音源、映像を記録した媒体の出荷停止及び店頭在庫の回収、及びデジタル配信が停止された。
3月電気グルーヴの音源・映像の出荷停止、在庫回収、配信停止の撤回を求める署名運動の賛同者が6万人を突破する。
視聴不可能となった電気グルーヴの音楽のみを5時間連続でプレイする緊急プログラム「『DJ Plays“電気グルーヴ”ONLY!!』5HOURS!!!!! BROADJ♯2703 - WHO IS MUSIC FOR? MUSIC IS FOR EVERYONE!」がDOMMUNEで組まれる。
同番組はTwitterトレンドで4時間にわたり日本1位・世界4位を記録し、DOMMUNE開局以来最高PVの40万超えを記録した。
事件の影響で電気グルーヴの作品回収となったが、それに対しての反対署名6万4千人分の署名がソニー・ミュージックレーベルズに対して提出された。

4月ピエール瀧の起訴を受けて瀧とソニー・ミュージックアーティスツとのマネジメント契約を終了。
この時期、加熱するマスコミ報道によって、電気グルーヴ解散の噂も出たが、石野卓球は集まった報道陣に対してそれらの噂を全否定している。
4月下旬には保釈されたピエール瀧と再開時の写真をTwitterに上げている。

11月、日 – 電気グルーヴのホームページ上で、新マネジメント会社として『macht inc.』を発足したことを発表した。
これに伴い、公式サイトのリニューアル、インスタグラムやYouTubeアカウントの新設、Webショップ『DENKI GROOVE ONLINE STORE』と新ファンクラブ「DENKI GROOVE CUSTOMER CLUB」をオープンさせた。 
新会社名の「macht」とはドイツ語で「makes (=制作する)」を意味する。

2020年、FUJI ROCK FESTIVAL 2020の最終日ヘッドライナーとしての出演が発表され、活動再開を飾るライブとなるはずだったが、新型コロナウイルスの影響でフェスが翌年に開催延期となったため、復活ライブも延期となった。
CD・映像商品の出荷、およびApple MusicやYouTubeなどでの配信が再開。
2年半ぶりとなるシングル『Set you Free』を配信。
"FUJI ROCK FESTIVAL 2020 LIVE ON YOUTUBE”のLIVE配信内でMV初公開。
12月5日、DENKI GROOVE CUSTOMER CLUB会員限定配信LIVE "FROM THE FLOOR ~前略、床の上より~"を配信。
LIQUIDROOMのフロア上にセットを組んで収録された無観客ライブの会員限定有料配信により、1年9ヶ月ぶりとなるライブ活動を再開させた。
12月にはライブ映像から『Set you Free』を公開。

2021年、FUJI ROCK FESTIVAL 2021のヘッドライナーとしての出演が発表された。
8月16日、2019年夏の電気グルーヴを追ったショートドキュメンタリーがYouTubeを通じて公開された。
8月22日、FUJI ROCK FESTIVAL 2021で3日目GREEN STAGEのトリを務め、“ウルトラのツアー”以来2年半ぶりとなるファンの前での活動再開を果たした。
フジロック'21のステージはYouTubeでもライブ配信されていたため、多くの人がその様子を目にした。

私は卓球が好きだ。
彼には人を惹きつける魅力がある。
ドイツでは卓球が出演するとなると世界中から15万人のオーディエンスが集結するようだ。
世界中から愛されている。
瀧とは大違いだ。

あなたも今夜、電気グルーヴの音楽に吸い込まれてみませんか。



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