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オムライス記念日

最近腹が立つことがありました。
同時にごめんなさいと思うこともありました。


ここにその謝罪の気持ちを綴ることが免罪符になるとは思ってないけれど、感謝の気持ちに置き換えて残します。

まず何に腹が立ったかというと、というより呆れたのですが、先日新宿ゴールデン街で飲んでいたとき「友達辞めよ。と言われたんだ。」と告げられたらしい少年がいました。
どうやら彼は仲の良い女友達から何の理由もなく突然告げられたそうです。
その場の店にもたまたま私が居合わせていたので、彼の隣にいた連れの友人を置いておきながら電話してるなぁ。と思っていたらどうやらそんなことだったそう。
その後いろいろ詳しく聞かせてもらいましたが私にはよくわからない話でした。
私はその2人関係性はもちろん、その女友達にもあったこともないので勝手なことは言えず、とりあえず話を聞かせてもらい、求められる限り第三者としての発言をするまでです。
多分彼女にもいろんな感情があったのだと思います。(最近は人間リセット?みたいなのもあるそうだし)
ただ私がその女の子に対して唯一感じたのは人を失うことに対しての恐怖や悲しみを感じたことがあってそのように告げたのか。という疑問だけでした。
発言としてやや浅はかなのでは。と感じました。


自分にとって大切な人が目の前からいなくなったことがある人はこの世に五万といるはずで、もしかしたら彼女もそのうちの1人かもしれせん。が!だとしてもなぁ…という思いです。

私は幼馴染が21の歳で亡くなりました。
ただ晩年は会ってませんでした。理由は「時間がなかったから」です。いやなかったのではなく、私が作ろうとできなかったからです。

本当ならば私のその友人は2日前に24歳になるはずでした。
彼女は私が学校の遅刻するギリギリまで寝てても待ってくれてて、歩くのが遅い私にもイヤイヤ言いながら歩幅を合わせてくれました。
同じアトリエに通い作品を作ってました。
海を隔てた場所で寂しくなった私を支えてくれました。
ひょんなことで気まずくなってしまったが故に会うことは無くなり、共通の友人から彼女の死の知らせを聞きました。
そのとき人の死って呆気ないんだなぁ。とつくづく感じた次第です。彼女の死にかまけてなかなか会えなくてごめんね。の気持ちに悲しさ浸りました。

この世の中数多ある食べ物のなかで彼女の1番の大好物はオムライスでした。
辛いものが苦手だった彼女はインドカレー屋さんでもメニューに存在しないオムライスを頼む邪道な奴でした。私は失礼すぎると思いつつも赴くままにオムライスを一口もらった私は単純なもので、それから私もその邪道の道を進むようになりました。

彼女の死後ですがあるときこんなことを聞きました。「亡くなった人の好物だったものを食べるのが1番の報いだよ。」と。
それから私の好物はオムライスになりました。
彼女の月命日にはオムライスを食べるようにしてました。(力尽きて卵かけご飯にしたこともありますが。)
ただそのうちにオムライスが本当の私の好きな食べ物になりました。(喫茶店ごとに味比べしたりして)

つい先日の彼女の月命日に彼女の家族とご飯を食べていたら彼女の母が「LINEのキープ機能が無くなるらしくて全部整理してたのよ。そうしたらたくさんこんなのがでてきてね。」と見せてくれたのは彼女と疎遠になる前に送り合ったメッセージだったり、写真ばかりでした。
LINEのキープ機能自体そんな昔のものではなかったので、そこで私は連絡を取り合わなくなったあとも私のことを覚えてくれてて、そのときの記録を細かく保存してくれてたんだ。と知り何とも言えない気持ちになりました。そしてまた理由が言語化でしない「ごめんね。」を感じました。

無理に会おうとは言わなかった彼女ですが、私こそ大人げない態度なんて取る必要なかったのはわかりきったことで情けなくなりました。
ただ当時誘われない限り自分から予定を立てなかった私ですがそんなのは甘えで、今なら地元に帰るたびにふと声をかけていたでしょう。
遅ればせながらそれを学び、彼女の死から再び会うようになった地元の友人とは頻繁に会い、彼女が作ってくれた縁には頭が下がる思いです。

だからと言うわけでは無いですが、人の縁とは自ら切るほど贅沢でかっこ悪く、情けないものはないなと思います。

ゴールデン街であった彼には周りの大事に気にかけてくれる人たちに目を向けてほしいと願うと共に、その女友達には絞った友人関係を大切にしてほしいと思いました。

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