それはこぼれていった落ち葉のように
先日高知よさこいで仲間うちに実年齢を話したらびっくらこかれて、ふと、来年の高知よさこいは30代最後なんだなと気付く。
数え年だと、今年の高知が30代最後だったわけで。
その事実に自分でも驚いている。
ほと、30代ってどんなんだったかなと振り返ってみたくなった。
例えるなら、両手いっぱいに落ち葉を抱えて、走り回ってた日々だった。
気付けば、抱えていた落ち葉の山から、落ち葉は一枚、また一枚と両手の中から離れていき、気が付いたら、手に残るのは数枚だけ。そんな感じ。
どうしても欲しい葉っぱを、歯を食いしばって、取りに行ったり、つかみに行ったり、握りしめることはしてこなかった。
全くしてこなかったか?と自問すれば、ゼロではないが、そういうものほど、この手には残っていない。
落ち葉だし、握りしめたら粉々になっちゃうしね。
気づいたら残っているものがある。
ずっと去らずにいてくれるものがある。そんな感じ。
あんなにかき集めて、近くにあったものが、いつのまにか遠くに行ってしまったんだなぁ。
離れていくなら、もっと愛を注いでおけばよかったな、なんて思いつつも、限りあるの時間の中で、そんなことしてたら時間がたらない。
そして、そんなに私に愛の総量はない。(一個に注ぎ過ぎ疑惑が。笑)
と、同時に、落ち葉だもの。風に舞って再び巡り合ったりすることもあるんだなぁ。
なんて、軽く総括し、30代のラストスパートが始まっているんだなぁと思う次第でありましたとさ。
残りの30代、何が待っているのかしら。
写真は本編とは全く関係のない、通天閣のある新世界の、多分カフェのガラス。動物たちがエグザイルしてる感じ。
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