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エイジズムについて

 こんばんは。今日も一日お疲れ様です。もう8月も終わります。これから涼しくなり、季節の変わり目からまた体調を崩しやすくなるので、皆様もどうぞお気をつけくださいませ。この夏も色々ありました。振り返る隙がないほど時間が過ぎるのを早く感じ、ひとつひとつの事例が瞬く間に過ぎ去っていくのを寂しく感じています。忙しいなかにも沈思黙考する時間を確保し、思考を醸成していく空間を持たせてもらえることに最大限感謝しながら、引き続き媒介を使い還元させていただければと思います。よろしくお願いいたします。

エイジズムとは何か

 
さて、世の中には様々な偏見や差別がありますが、この高齢化社会で非当事者のみならず当事者も知っておくべき(あるいは理解を深めるべき)概念がエイジズム(Ageism)です。

 エイジズムとは、1969年にアメリカ国立老化研究所初代所長ロバート・ニール・バトラー(Robert Neil Butler)が提唱した概念であり、狭義では高齢であることを理由とする差別やステレオタイプを指します(広義では年齢差別一般を指します)。老年学者エルドマン・パルモア(Erdman B. Palmore)よりエイジズムは、レイシズム(racism)やセクシズム(sexism)に続いて第3の差別として認識されています。肯定的エイジズムとして高齢者への好意的評価や厚遇などが存在しますが、依然として否定的態度が主な問題であり、当事者/非当事者を含め様々な課題を生んでいます。

 差別が実際に犯罪行為や危害を加えることは歴史が証明していることですが、エイジズムも例に漏れずしばしばイエや諸施設において「高齢者虐待」として行き過ぎた差別が顕在化されています。また、そこまではいかずとも往々にして定年退職をしたあとに「社会的アイデンティティ」の帰属意識がなくなり、象徴的な高齢者イメージを自他が対象に付与することで意欲の低下に繋がります。そして精神状態に反映され続けた場合では、健康を損ねる事態にまで発展していきます。

 人口減少と高齢化がバッティングした社会では、ゆくゆくは(というより今日において既に移行しつつありますが)高齢者も労働力として国を支えてもらう必要が出てきます。現状ではあらゆる差別のなかでエイジズムが一番正規化されています。人々のなかで罪悪感を持つことなく内在化され、日常のなかで問題意識もなく跳梁跋扈しています。高齢者というのは何も65歳以上だけではなく年齢差別といった広義に該当する文脈でいけば、とりわけ中年男性は世間一般から厳しい目線に晒されています。そうした「正当化された差別意識」をいかに払拭し、いかに協力関係を築き協同していくか、ここが分水嶺のように私には感じてならないのです。

エイジズムに対抗する

 こうした諸問題に対抗する解決法のひとつとして、プロダクティブ・エイジング(Productive Aging)という理論があります。これは高齢者に対する否定的偏見に抗うためにバトラーが提唱した概念で、高齢者の生産性や社会貢献活動を積極的に引き出し、ポジティブな側面に目を向けることを目的としています。日本語で「創造的老い」と言われています。つまり生産性の有無に関わらず、社会的価値のある活動をすることで、高齢者の心理的影響とりわけ自己効力感などを向上させ、QOLを上げて生活や人間関係を豊かにすることで老いをプラスに捉えることを目指しています。

 そしてもうひとつはサクセスフル・エイジング(Successful Aging)といった概念で「良い人生を送り天寿を全うすること」という目的が込められています。日本語では「生きがい」、「幸福な老い」とされていますが、幸福は必ずしも「成功」ではありません。人生から離脱していくのではなく積極的に関わっていくことや、高い認知・身体能力を維持していくこと、他者と交流をしていくこと、Productivity(社会貢献)を追求していくこと、生活の質(QOL)を上げていくことなどを通して、衰退ではなく更なる発達へ、成熟への過程として人生の後半戦に彩りを与えることを諸目的としたものです。

エイジズムの具体例

 文字起こしするのも憚られますが、「老害」という蔑称があります。絶対に使ってはならないです。意味の説明をすることで傷を抉られる人もいるかもしれませんので、知らない方は是非各々で調べてみてくださいね。この「老害」という言葉は、何をもって定義されるのでしょうか?生きているだけで、少し老いているだけで、存在しているだけで害悪なのであれば、いなくなるしかないのでしょうか?大人も充分子どもに配慮しています。存在がハラスメントにならないように、権威性を消して下の世代に楽しんでもらうように努めています。自らを「若い」と自認していると、あっという間に歳を重ねていきます。そのときに自分が年長者に抱いていた偏見が全て跳ね返ってくるのです(これは偏見一般に適用できますね)。一般的に「老害」と言われる振る舞いは、その人固有の問題ではないこともあります。置かれた環境や時代など、往々にして「そうせざるを得ない」事情を抱えているのです。当然そのなかでもハラスメントは許されることではありませんから、区別する判断能力が必要になります。

 問題は、いま責めようとしている対象は、本当に対象にのみ帰属されるべき原因か?ということです。糾弾する前にそこをまず精査・留保してみるのもいいかもしれません。誤謬を突くときは柔らかい言葉に包んで届けたほうが予後はいいかもしれません。そこにこそ品性が出るような気がするのです。これ以上、傷つく人や傷が増えて欲しくないです。

 たとえば「おじさんはくさい」、「おばさんは非論理的だ」、等のステレオタイプがあります。言われるたびに心で泣いています。ですが歳を重ねてくると情けないので段々弱音を吐きづらくなります。大人げないと思いそっと受け流す良識のある大人の方が多いです。子どもは残酷です。おじさんから加齢臭がしたら嫌悪するのではなくまず、「ストレスがかかっていないか」、「生活習慣が乱れていないか」を疑ってみてくださいね。おばさんが非論理的な言動をした場合には「更年期障害で苦しんでいないか」と思いを馳せてみてくださいね。こういうときにこそ病理的にアセスメントしてみるといいかもしれません。往々にして本人も自覚的である場合が多く、悩んでいます。子どもはそこに想像が及ばず無邪気に傷つけ世間に許されますが、いつかは当事者になる日が来るのです。

おわりに

 このようにして、エイジズムという差別は、生きている限り全ての人間へ曝露されます。誰もがいずれ当事者になるのです。傷つけられる痛みや知識を知らないと、容易に差別者になります。自分にとってはたった一回の恣意的な言動でも、伝播し増大され積み重ねが社会問題になるのです。とりわけインターネットにおいて匿名化が進み、差別的発言を厭わない人が増えてしまいました。いまこの議題を俎上に上げるのはシルバー民主主義なのではなく、実際問題として高齢化社会に置かれた我々は、当事者/非当事者に関わらず認識や理解を高め意識していくことが要請されている気がしてならないのです。

 高齢者との心地良い共生と平和を願って。

 
参考文献

小松秀雄『現代社会におけるエイジズムとジェンダー』(file:///C:/Users/ishiy/Downloads/KJ00002413323.pdf 参照20240826)
柴田博『サクセスフル・エイジングの条件』第22回日本老年学会総会記録<教育講演>(https://www.jstage.jst.go.jp/article/geriatrics1964/39/2/39_2_152/_pdf/-char/ja 参照20240826)
橋本俊行『エイジズム—なぜ日本でエイジズムが取り上げられないのか?』姫路大学大学院看護学研究論究 第3号(file:///C:/Users/ishiy/Downloads/gra_03003.pdf 参照20240826)
朴蕙彬『日本のエイジズム研究における研究課題の検討—エイジズムの構造に着目して―』(file:///C:/Users/ishiy/Downloads/031001240004.pdf 参照20240826)

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