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すぎやまこういちさんとドラクエと私

すぎやまこういちさんが2021年9月30日に亡くなったというニュースを知ったのは、子どもに夕ご飯を食べさせ終え、一息つこうとスマホを覗いた時でした。
実の両親が自宅に遊びに来ていたけれど、訃報を知り私は両親と子どもの視線を気にもせずその場で泣き崩れた。それくらい、私にとってすぎやまこういちさんは特別な存在だったからだ。

新型コロナがなければ、昨年の5月にはすぎやまこういちさんの指揮によるドラゴンクエスト3の演目を京都まで聞きに行く予定でした。子どもが生まれるまでかなりの数のドラクエのコンサートを見に行っていたけれど、すぎやまこういちさんの指揮が見られるコンサートは年に2,3回しかなく、毎年東京芸術劇場で行われていたコンサートは、チケット発売開始から30分で売切れる程の人気でした。

他の指揮者のコンサートも楽しんで聞いていましたが、作曲家本人が指揮を振るうコンサートはやはり特別でした。
ゲームから聞こえてくる音楽のテンポ感、息遣いがそのままコンサート会場に広がり、ゲーム内の情景が何の違和感もなく頭に浮かんで来るのです。
演目の間にあるすぎやまさん本人の軽快なトークも好きでした。


私がゲーム音楽の作曲家になろうと思った直接のきっかけはプロフィールのページにも書いている通り、植松伸夫さんのFF3の楽曲なのですが、すぎやまこういちさんは実はそれより先に、ゲーム音楽…というより音楽そのものの素晴らしさを教えてくれた人でもありました。

それは私が小学4年生の頃(1990年)、当時のドラクエの最新タイトルは4で、私も自宅でドラクエ4を遊んでいました。
そんなある日、母が私を弟と一緒にコンサートへと連れ出しました。何もわからず電車に揺られ辿り着くと、そこは渋谷公会堂。なんとドラゴンクエスト4のファミリーコンサートが行われる会場でした。そして私はそこで初めて生演奏によるオーケストラを聞くという体験をしたのです。勿論、指揮はすぎやまこういちさん。

後になって母親に「どうしてドラクエのコンサートに連れて行ったの?」と聞いてみると、「聞いたことないクラシックのコンサートに連れて行っても子どもはつまらないだろうから、音楽を楽しんでもらえるようになるには本人が好きな音楽が一番だと思った」とのこと。
その言葉のとおり、私は初めてのドラクエのコンサートで脳天を鈍器でズガン!と打たれたような衝撃に襲われました。波のように揺れて流れるストリングスの旋律、ブラスセクションの凄い音圧。
「なんだコレ!?!? 音楽ってこんなに心を揺さぶられるものだったの!?」と。

母の目論見通り私はますます音楽が好きになり、その後、ドラクエ4のCDとエレクトーン譜を買ってもらい、ひたすらにドラクエ4の音楽をエレクトーンで練習していました。
その後、FF3の植松伸夫さんの音楽にも出会い、結果、人生このとおり…です(笑)。

ちなみに、弟は音楽の職業に就いてはいませんが、週末ミュージシャンとして仕事の合間にバンドメンバーのドラマー、サンバチームのパーカッション担当…と、やはり音楽好きに育ちました。大きくなってから弟に当時のドラクエコンサートのことを訊ねると「あれ、ヤバかったな!(笑)」と言っているので、我々兄弟へのすぎやまこういちさんのコンサートの影響は計り知れないと思います。


自分語りが長くなりましたが、それくらい、すぎやまこういちさんは私の人生の根幹に関わる存在だったので、すぎやまこういちさんが亡くなられたというニュースを知っても、にわかには信じられませんでした。
もうすぎやまさんの新曲をドラクエで聞けないのか…もうあの指揮と軽快なトークを見られないのか…そう思うと今でもまだ胸がギュッと締め付けられます。

すぎやまこういちさんと直接お話をしたことはありませんでしたが、私にとってすぎやまさんは人生の先導者であり、恩師でもあり、気さくなおじいちゃんでもありました。
こんな素敵な音楽を作る作曲家と同じ時代に生まれて本当に良かった。
素敵な音楽を沢山沢山作って下さって、本当にありがとうございました。

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