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【偏差値38男】行政書士事務所開業までの道のり
人生は、予測できない出来事と選択の連続だ。
自分がどの道を歩むかは、時に偶然の産物であり、また自らの決意で切り開かれるものだとつくづく実感させられる。
この記事では、和歌山県和歌山市出身の29歳の男性が、数々の挫折や迷いを乗り越え、新たな環境で自分を変えようとする過程を記す。
迷いの始まり
小学校1年生の頃に両親が離婚した。
1度は母親に引き取られたが、母親が精神的に体調を崩したため(俗にいう鬱病)、小学校5年生の頃からは父親と過ごすことに。
正直言って僕は母親の方が好きだった。
だから、そこからは母親の調子がいい時は母親の家で、
体調が悪い日は父親の家で過ごすという日々を中学校卒業まで続けた。
中学卒業後、勉強が嫌いだった僕は地元の偏差値38の高校に進学したが、周囲の影響で遊びに流され、高校は1年で中退。(この辺りを周囲のせいにする辺りも僕らしい)
その後、友人の紹介で建設業(とび職)の仕事に就いたが、半年で挫折。車屋、ラウンジのボーイ、営業、風俗店店員、アマゾン配送と、さまざまな職を転々とする日々が続いた。どの道も一時的な逃げ場にしか感じられなかった。
新たな挑戦への一歩
特にやる気もなく、のらりくらりと程よくやることだけやっていた営業職時代に、ふと中学生時代に読んだ漫画『カバチタレ』を思い出し、行政書士への挑戦を決意する。(仕事しろ)
朝礼を終えると外回りに行って自由の身になるシステムだった。(仕事しろ)
初受験だった令和3年度行政書士試験では思うような結果を得られず、勉強からも逃げようか死ぬほど迷ったが。勉強方法を変えて再挑戦することに。
この試験からだけはなぜか逃げたくなかった。
2年目の令和4年度行政書士試験ようやく合格を果たした。
合格発表の日はうれしすぎて眠れなかった事、当時付き合っていた彼女に盛大にお祝いしてもらったことを今でも鮮明に覚えている。(笑)
翌年は宅地建物取引士の資格も手に入れた。
資格取得は、自分の可能性に対する小さな希望となった。
現実との衝突
行政書士・宅地建物取引士の【国家資格】を得たことで、人生が好転すると思っていた。
しかし、人生はそんなに甘くなかった。
地元和歌山の行政書士事務所ではほぼほぼ求人が出ていなかったし、
やっと求人を見つけても面接は上手くいかず、学歴不足や、実務経験の不足などの理由でことごとく惨敗。(2回ぐらいやけど)
結果として、行政書士業務は知人からの依頼を副業程度にとどめ、
取得した資格とは全く無関係のアマゾン配送の仕事に縋りつく日々が数年間続いた。
転機と決意
30歳を目前に、現状への危機感が次第に募る。
変わるべき時が来たと感じ、大阪市に住む不動産会社を経営している友人に相談した。
謎にプライドが高い自分は人に相談することが苦手だったりした。
友人の紹介で、大阪市内で行政書士事務所を運営する方と話す機会を得て色々お話させていただいた。
最初は勤めさせていただくような流れだったが、正直言って縛られるのがくそ嫌いな僕がわがままを言って、共同事務所という形で拠点は和歌山だが、大阪でも行政書士業務がしやすい環境を作っていただけた。
同時に、営業活動の幅を広げるため、人見知りで苦手だった交流会への参加も決意した。
最初は死ぬほど緊張したが、田舎者のアラサーの僕にも都会の方達は優しくしてくれた。
中には理解しがたい人間もたくさんいるが(向こうも思っているだろう)、
いまは素敵な方に恵まれて仕事をすることができている。(ぼちぼち)
未来への一歩
これまでの挫折と迷走は、無駄なものではなかった。すべてが今の自分を形作る大切な経験となった。過去を振り返り、反省しながらも、これからは目標に向かって着実に歩む決意は固まっている。
底辺からすべて奪いに行く。
新しい環境で、少しずつ自分を変え、未来へ向かって全力で前進する。
それが、今日の自分の、そしてこれからの自分の選んだ道である。
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