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1.フルタイムワーママ、小1の壁に激突する
ご覧いただきありがとうございます。
2児の母、きいろです🐥
フルタイムで働いていたワーママが
小一の壁に見事に激突して適応障害になり、
休職に至るまでの出来事を記していきます。
フルタイム時代の1日を書いた0話目はこちら⬇️
☆今回は小一の壁に激突したお話です。
フルタイム時代の働き方
育休明け、慣らし期間の数ヶ月を除き
基本的にフルタイムで勤務してきました。
バリキャリを目指していた訳ではないんです。
単純に時短じゃ仕事が回らない。
仕事柄、お客さんと会わなきゃ始まらない。
外回りだから移動時間もかかる。
且つ基本的に在宅勤務は使えないため、
仕事を切り盛りするためには
たった30分間でいいから、
残業する権利が喉から手が出るほど欲しかった。
なんで夫は当たり前のように残業ができて、
私は誰かに頼み込まないと残業一つできないんだろう。それが、ずっとずーっと納得いかず。
夫も私も、フルタイムで働く親であることは変わらないのにな、って思ってました。
仕事終わりの日常
通勤時間は約1時間。
子供のお迎え担当のため、
退勤後は常に時間との闘い。
会社を出る
→駅まで全力ダッシュ
→お迎えギリギリの電車に飛びのる
→最寄り駅から自転車爆走
→閉園3分前の保育園に駆け込む
→タイムカードの打刻は閉園1分前
みたいな日が週の半分以上でした。
運良く一本早い電車に間に合えば、
駅前でコンビニスイーツ物色して、
自転車乗るまでの間に口に流し込んだり。
保育園に到着すると、最後まで残ってるのはうちの子たちとお友達の3人。
遅くまでごめん、そう思いながらも
3人は園を出てもずっと楽しそうに遊んでいて、
お友達がいてくれることが本当に救いでした。
小一の壁現る
お迎え事情
上の子が小学校にあがり、
長男:学童
次男:保育園
と送迎場所が2つに別れました。
(同じ保育園児でも兄弟別の園通ってる人、ほんと偉すぎる👏)
しかも閉園時間は公設学童の場合どちらも同じ。
さて、どうしよう。
悩みに悩んだ結果、
2つの学童を併用することにしました。
・公設学童(安いけど保育園と同じ閉園時間)
・民間学童(高いけど保育園より遅くまでOK)
・ちょっとだけ時短(登校に慣れるまで)
シュミレーション上はこれでいけるかな。
あとはやってみればどうにかなるでしょ💪
最初はちょっと大変だけど、保育園の時と一緒で少し経てば慣れるはず。
それくらいの軽い気持ちでした。
保育園事情
最初に戸惑ったのは下の子の反応でした。
定時で退勤して、保育園に下の子をまずお迎え。
いつもより20分早いお迎え、それでも時間のゆとりは無い。学童の閉園時間が迫ってる。
「ほら、お兄ちゃんお迎え行くよ!」
「やだ、行きたくない!」「やだやだやだ!」
まさかの拒否反応。優しく言っても説得しても全く聞かない。もう間に合わないと焦り、強引に車に乗せて出発。
すると次の日からは行き渋りがスタート。
「保育園嫌い!行かない!」
いきなりどうした、いままでそんなこと言ったこと無かったのに。
よくよく聞いてみると、お兄ちゃんがいない保育園が嫌だそう。
そうだよね、今までずっとお兄ちゃんがいてくれたもんね。
今までお迎えが閉園ギリギリでも成り立っていたのは、兄弟が揃っていたからこそだったんだと
初めて気付かされました。
仕事事情
小学校の登校班がないことが分かり、片道20分以上歩いてかかる小学校に、兄は1人で通うことになります。
さすがに慣れるまでは、と1ヶ月だけ時短に。
さて、30分の残業が欲しくてたまらなかった私。
時短で仕事が成り立つのでしょうか。
もちろん、成り立ちませんでした。
ただでさえ回らない業務、
前年度より増える目標と役割、
追い討ちをかけるかの如く、トラブル発生。
周囲に迷惑をかけてしまった申し訳なさに消えてしまいたいと思う程に落ち込みました。
何とか挽回しようとお昼を削って走り回る日々。
次第に、大事にしていた職場でのコミュニケーションが取れなくなる程、焦燥感で周りが見えなくなっていきました。
気持ちの変化
様々な変化に直面し、もがき苦しんで出た答え。
今こそ働き方を考え直す機会かもしれない。
今までは何だかんだやっていけるから、と
先延ばしにしていたこと。
慌ただしい日常で、日々を乗り越えることに精一杯だったのは間違いないけれど。
子供たちとちゃんと向き合ってきたのかな。
自分のことばかりを優先してなかったかな。
私が目指してたママってこんな姿だっけ?
今こそ変わらなきゃいけないのかも!
日毎に思いが強まり、とうとう環境改善に動き出します。
後から思えば、あの時やるべきではなかった。
やるならもっと前か、状況が落ち着いてからにすべきでした。
でも、冷静な判断ができない程に追い詰められていたのです。
つづく