素浪人花山大吉/第44話「おいらの父ちゃんカモだった」
この動画の、説明欄を見て、突然月影兵庫から花山大吉に代わった経緯を知って、感慨深いものがありました。
今見ても、何処にも「古さ」を感じさせない素晴らしい時代劇だったと感心しています。
テレビ番組の紹介
以下引用
素浪人 花山大吉 は、NETテレビ(現:テレビ朝日)系列にて1969年1月4日から1970年12月26日まで毎週土曜夜8時からの1時間枠で放送された東映制作の連続テレビ時代劇。全104話。
概要:
前作『素浪人 月影兵庫』に引き続く続編。前作最終話の後、一人旅を続けていた焼津の半次(品川隆二)が月影兵庫に瓜二つの素浪人・花山大吉(近衛十四郎)と出会い、再び弥次喜多珍道中の様な展開が始まる。第79話からお咲(南弘子)が加わり、レギュラーが3人になった。
『素浪人 月影兵庫』が回を追うごとに近衛と品川のコミカルなやりとりを中心に人気となり、コメディー色を強めた事で、原作者の南條範夫より原作から逸脱しているとクレームがつけられ、「家督を継ぐため江戸に帰る」ということで一旦終了とし、年を挟んだ翌週から「兵庫にそっくりで、兵庫よりも腕が立つ素浪人」花山大吉(近衛十四郎)を登場させ、新番組という体裁で続行させる処置をとった。
兵庫と別れて一人旅を続けていた半次は、兵庫と瓜二つな浪人花山大吉を見つける。半次は兵庫にかつがれていたと激昂し、兵庫の嫌いな猫を捕まえてきて浪人の首元に乗せたが浪人は全く意に介しなかった。兵庫とは別人と納得した半次は、花山大吉と引き続きヤジキタ道中を続ける、という展開である。
途中から南弘子が加わり、レギュラーが3人となった事情としては、近衛の持病である糖尿病や高血圧が番組後半から悪化、近衛の体重減少が見た目にも顕著となり撮影中に倒れるなど、支障が出始めたことが何より影響している。しかし高視聴率を保っていたため、焼津の半次に次ぐコメディーリリーフとして第79話からお咲を登場させ、番組後半は近衛の負担軽減のため、半次とお咲のやりとりの比重を増やした。しかし、1970年末にドクターストップにより続行困難となり、第104話で終了となった。
以上引用終わり
調べてみると、近衛重四郎は、64歳で亡くなっており、その死因は、糖尿病由来だったと読み取れます。私も、年季の入った糖尿病患者で一応治療中ですが、HbA1cが、15を超えたことがあって、主治医から、良く生きていたね、と驚かれたこともあります。
いずれにせよ、Youtubeで同番組を見ることが出来て、幸せですし、今のテレビにかけている物があるように感じるのは、私だけでしょうか・