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私は、なぜ、今、このタイミングで日本に生まれたのか?

なぜ、ちょうどこのタイミングで日本に生まれたのだろうか? なぜでしょうかね。アフリカに生まれたら、それこそ平均寿命は50歳ぐらいですし、まあ病気もあるし、裸で生活して毎日毎日やっとやっと働いて少しのご飯を食べているでしょうね。トイレはもちろん水洗トイレじゃない。そこにこのタイミングで生まれた彼らにとってみれば満足できる生活なんでしょうけれども、我々にとってはとても今はそういう生活になるのは嫌だという感じですよね。
人間は比較できるものを比較してしまうんです。それから、なぜ自分は天皇陛下の子供として生まれなかったんだろうか? いや、実はこれは非常に私に強い思い出があって、今から30年くらい前にある人が人生相談にきたのを聞いて、その人は自分の近い人と比較して不満を言っているんですよ。「自分は不幸だが、あの人はこうだ。この人はこうだ」と。その人に、なぜあなたは天皇陛下の子供じゃないんですか?と聞くと、ドキッとした顔をして「何を言っているのこと」という感じでしたね。
ただ、その彼が比較しているのは、自分の手の届く人と比較しているのであって、天皇陛下の息子だったら全然それはもう比較対象にならないんですよ。人間として生まれた。この時代に生まれた。日本に生まれた。それから天皇陛下の子供ではなかった。普通のサラリーマンの子供として生まれた。もしくは男性として生まれた。女性として生まれた。背が高かったか低かったか。容貌は良いのか悪いのか。健康に恵まれているのか、小さい頃から体が弱かったのか。もういっぱいありますよね。そういうもののすべての現状を認めて、その狭い範囲の中で、ちょっとの差を幸福と感じたり、不幸と感じたりすることが我々じゃないかというふうにも思うんです。

『幸福とは何か』武田邦彦(武田邦彦先生音声ブログKindle版大島久幸氏編 より)(雲雀電子出版)  20250211

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